2005年4月22日金曜日

なんの思い入れの無い最も優れたゲームソフト

自分に対する世間の評価は不当であると考える人は多い。

この評価はなんだ。
俺は世が下克上なら大名の器なのに、と。


けれども、自分と世界との力関係を知るにつれ、自分への過大評価は消えてゆく。
今の自分というものがこれまで積み重ねてきた人生における少しの努力とかなり多くの怠慢さによって作り出されたものであり、こんもりとした地位と吹き出物程度の評価は至極正当なものなんだと理解し、大人しくなる。
中には大人しくならない大人もいて、そういう人は、そういう人はどうなるんだろう。
僕は知らない。


ささやかながら退屈で小さな人生が自分に見合ったものであると受け入れるのはつまらない。
つまらないからと受け入れないでいると、でいるとどうなるんだろう。
僕は知らない。


とにかく、自分のしょぼくれた地位とありふれた評価に満足して生きる退屈な人生というのは退屈だ。

そういうなった時、人はその退屈さの発散先を、自分以外のものへと求める。豊田清の世間の評価は不当なものだ!
倖田來未の世間の評価は不当なものだ!
イブラヒムバの世間の評価は不当なものだ!
オレンジレンジの世間の評価は不当なものだ!
もっと評価されるべきだ、彼にはそれだけの価値があるのに、と。



野球にもサッカーにも音楽にも興味が無い人たち、世間ではゲーマーと呼ばれる人達の場合、その不当さの捌け口は当然ゲームに向けられる。
海原川背への世間の評価は不当なものだ!
パネキットへの世間の評価は不当なものだ!
カオスシードへの世間の評価は不当なものだ!
ゴールデンアイへの世間の評価は不当なものだ!
ブランディッシュへの世間の評価は不当なものだ!
ジョイメガファイトへの世間の評価は不当なものだ!
ファンタシースターIIへの世間の評価は不当なものだ!
もっと評価されるべきだ、それだけの価値があるとの希望を託すのだ。

はあ、かなりの無理を抱えながら斜めにするってのは疲れる。疲れた。
この労力はもっと評価されるべきだ。そこだけは断固として戦う。


特に一部のゲームオタクは粘着質でしつこくて、特定のいくつかのタイトルに固執して延々と、まるでそれが義務であるかのように褒め続ける。俺の仕事だ、任せてくれ、みたいな。




それが僕の場合はスタークラフトだというだけのオチもヤマも色気も無い投稿である。

スタークラフトの不当な評価に気がついたのは、購入して帰宅してキャンペーンを始めたのにほとんど進めず、ネットで検索した時の事である。

日本語版の出来とサポートが非常に悪い事、拡張版が当てられず、また発売される気配も無い事、そもそも日本語版を買う奴は馬鹿だという事などが目も当てられない惨状で記されており、買ったのは日本語版であった僕は酷く落ち込んでそのまま放置した。

少し経って他のゲームにも飽きた頃に引っ張り出してインストールし、10時間ほど1人でちょこまかちょこまかと軍隊を左右に動かしてはezのcpuをボコボコにしてご満悦して防波堤。

思い出も思い入れも何も無いゲームソフトで1投稿を立ち上げるという事がどれ程までに無茶であるかを痛感させられる今日でした。気の抜けた投稿。おしまい。