2005年5月26日木曜日

エントリーを読むのか、それともブログを読むのか。



「たかがブログを読んだくらいで何もかもを知ったつもりか」
前にそう書いた事があったのを思い出した。







誰一人としてブログを読んでいないという事に対する、不満のような凄い不安が常日頃からずっとあって、エントリーとエントリーがトラックバックに交錯し続けるだけのインターネットに、身の丈不足を感じていた。


ウェブサイトを読む人はいても、インターネットを読む人はいない。
エントリーを読む人はいても、ブログを読む人は滅多といない。

何故ならば、膨大すぎるからである。
数百のエントリーとそれに貼られたリンクと無数のコメント、さらにエントリーの数倍の量のトラックバック。インターネットに比べるとブログは随分と小規模だけれど、それでも易々と読めるような規模ではない。

読まれるのは常にエントリーだ。
ブログは置いてけぼりだ。




エントリーが読まれるというのも、それはそれで良いことだ。
誰が書いたかとかそういうの抜きで、文章だけが読まれるってのも重要な事だ。




けれども「何が書かれているか」の他にも、重要な情報はあると思う。
「誰が」、「なぜ」、「なんのために」。

僕はガ島通信に興味を持った。
誰が、なぜ、なんのために書いたのか読み取ろうとした。

エントリーだけを読んで、誰がなぜなんのために書いたのかを判断するのは物凄く危険だ。
だから、僕はガ島通信というブログを読む事にした。






始めてガ島通信を目にしたのは昨年の11月頃だったと思う。
とりあえず過去ログをmoreはクリックせずに一通り読んで、
「えらくライブドアーな人だな」と面白く読み、立ち去った。


今年の3月頃に再び訪れて、過去ログをmoreはクリックせずに一通り読んで、
「なんかつまらなくなってるな」と思って、立ち去った。


あとはほぼ書いた通りである。

「不正な正しさ」をガ島通信にトラックバックをしたら、返しトラックバックが来た。
それにちょっと驚いた勢いでガ島通信と日経BPの過去ログをmoreをクリックして一通り読み、「藤代裕之はガ島通信を殺すのか?」を書いた。



あとはほぼ書いた通りである。

藤代裕之はガ島通信を殺すのか?を書いて、その反応が返ってきてから、自分がエントリーしか読んでおらず、エントリーについてしか書いてなかった事を反省、というか後悔、というか、「なんか違うなー」。



エントリーだけじゃなくて、ブログ丸ごと読むことにした。
ホームページダウンロードソフトでハードディスクがぎりぎりなるまでガ島通信とその周辺を丸ごと全部取り込んで、テキストエディタとグーグルデスクトップとタグブラウザを総動員して夜から晩まで読み続けた


ガ島通信に関する事は全部読んだと思う。
重要だと思った周辺系ブログはガ島通信に関係の無い文章まで全部読んだし、ウェブ上にある「ガ島通信」という文字列は洗いざらいに何度も何度も読み返した。



たかがブログを読んだくらいで何もかも分かった気になったわけではない。
けれども、とりあえずはブログを読んだのである。







最初に書き上げた投稿は、全然違うものだった。

「ブログ投稿を書く」
というのがガ島通信を読み始めた一つの理由だったわけで、その目的を達成しただけの投稿だった。「今時の若者が社に忠誠心を抱けなくなったのはどうしてか」みたいな事を強めのテンションで飛ばしまくって書いた。



けれども、ブロックブログのIEに貼り付けた所でその文章が、
「ガ島通信のエントリーを全部読んだ感想」でしか無い事に気がついた。
僕が書こうと思ったのは「ブログを読んだ感想」だ。


それをShift+Deleteして、ちゃんと全部読もうと思い、上で書いたように全部読んだ。
たかがブログを読んだくらいで何もかも分かった気になったわけではない。
けれども、とりあえずはブログを読んだのである。




ガ島通信にある数字を全部書き取った上で、言葉と名前についても片っ端からGrepして出てきた数字を書き取ったりと、ちょうどDOTAやDOTA allsatarsにしたような無駄なデータをとり続けた。

それらを行ってから最初に書いたのが、
「藤代裕之への100の質問と100の模範解答と100の回答予測」
だった。




どうも違うな、と思った。
僕が書こうとしていたは、問題点や矛盾点の指摘では無かったはずだ。
それは、「エントリーを全て読んだ上での全エントリーの突き付け」でしか無かったので、駄目だ駄目だと思い直して書くのを止めて、はっきりするまでまた読み続けた。




次に書いたのは、藤代裕之とそれを取り巻く幾人かの「不誠実さ」を責める文章だ。
けれども、これもどうも違うな、と思った。

人はそれぞれモラルやルールが違うわけで、そのモラルやルールのレベルが僕の考えるものとかけ離れている事を指摘したところで、なんの意味も無い。「人それぞれ」で終わる。
それ以前に、不誠実な人間に不誠実だと言うことは、トマトに「お前はトマトだ!」と言うくらいに意味が無い。のれんに首だ。
それに、少なくともこの投稿に関しては、道徳を書く気は無かった。




それからしっかりと何を書きたいのかを理解して、文章構成から組み立てた。
これは3で書いて、これは5で書いて、段取りを立て終えてから書き始めた。

けれども、どうもうまくいかなかった。
引用、問題点、分析、指摘。
引用、問題点、分析、指摘。
引用、問題点、分析、指摘。
引用、問題点、分析、指摘。
と、バイトサイズだけが増えるばかりでどうにもならず、書くのを止めた。







「これ結局は書けないで終わるんじゃないか」
と、かなり落ち込んで、宛もなくガ島通信を読み続けた。なんか他にいくつかやりたい事があるのに、物凄く時間を無駄にしてるような気になって猛烈に落ち込んだ。

そこで、ガ島通信が突然復活した。
物凄い方向へ転じてきてびっくりした。



「書き遅れたかな」
みたいな雰囲気になって、とりあえずなんとか書こうとした。
それで、段取りや数字といったデータを全部捨てて、勢いだけで書くことにした。





しばらく何も見ずにどんな感じで書くかを考えてから、勢いだけで書いた。
引用を持ってくる箇所には記号を打って放置して、とにかく勢いで書いた。

それが、あれである。今読み比べると物凄く色々と不満があったりするけれど、まあこんなものかなといった感じだ。こんなものだろう。
えらく丸くなったもんだと自分では思う。それか、老いたか。




エントリーを読む人ばかりのインターネットで、ちゃんとブログを読んでわかったのは、ブログを読んで何かを書こうだなんて、絶対に思わない方がいいって事だ。
いくらなんでもしんどすぎる。
とりあえず、もうガ島通信はもう見るのもごめんだ。
ガ島通信の付近も嫌ってほど周回したのでそれらも全部お断りだ。
あー、なんか疲れた。
無駄に疲れた。
物凄く無駄に疲れた。
もー二度とこんなのごめんだ。
頭がガ島通信になってしまって吐き気がする。
まだ色々と残っているんだけれどもう考えたくもねえ。


やっぱり、エントリーを読んでエントリーを書くくらいが自然だと思う。
ブログを読んでエントリーを書くってのは見合わない釣り合わない食べられない。



「文章が読まれる」
ってのもしんどいけれど、
「文章の外まで読まれる」
ってのはもっとしんどい。くだらない。


「読みたいものを読みたいように読む」
それが自然だって事だ。






少し眠って目覚めてすぐに、ずっとほったらかしにして絶っていた、E3を片っ端から全部読んで、その品質と僕自身との適合性に物凄く満足した。メディア論とか全然興味無いし。

ブログ書いたりメール書いたりzipのゲームを解凍してすぐにShiftDeleteし続けるといった至って普通で平凡な日常へと舞い戻ろうと思う。
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なんらかのかかわりがある投稿。

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