2005年5月25日水曜日

藤代裕之~裸の駄々っ子(1)






藤代 裕之@ガ島通信


元地方紙記者。1973年生まれ。血液型B型。大学卒業後の1996年に新聞社入社。司法・警察担当、支局、地方部、文化部を経験。2005年3月末退社。新聞社では、事件事故、漁業補償交渉や合併・地方自治などを取材する一方、中高生向け紙面のリニューアルを担当し、「紙」媒体の価値と限界を認識。2004年9月にブログ「ガ島通信」をスタートする。既存メディアの問題点と意識改革、新しいメディアと参加型ジャーナリズムについて議論している。現在、1日に2万ページビューを超えるアクセスがある。






ある出来事をきっかけに、藤代裕之が作り上げたガ島通信という世界に対し、強い興味を抱くようになった。まずはそれを書く事から始める。





僕は以前、「藤代裕之はガ島通信を殺すのか?」というエントリーを書いた。そのエントリーで僕が行ったのはいくつかの矛盾点の指摘である。


彼はそのエントリーをブログで取り上げた。
投げかけ問題点に対する回答のようなものも、一応は書かれていた。添えられていた、といった方が適切かもしれない。何に添えられていたのかは後術する。




「参考になりました。TBありがとうございます。」
「私の文章力不足です」
「新聞には、まだまだいいところはあり、ネットも良いところも悪いところもある。物事は複雑で、意見は多様であるというのは、何度も書いてきていますし、変わらないスタンスだと考えています。」


これが、彼の答え。



礼。
原因。
そして最後の、、、新聞のいいところ?複雑?多様?


強烈な違和感を覚えた。
そして僕はガ島通信をもう一度最初から読み直した。
そこには、新聞のいいところは一度として書かれていなかった。


書かれている事は常にシンプル。
「物事は複雑」「意見は多様」とは程遠い攻撃的で断定的な文章。


ネットは新聞を殺す英雄として描かれており、新聞と既存のマスコミは「マスゴミ」と記述され、マスコミ関係者は悪を支える構成員として描かれていた。その中でも全国紙に対する非難は強烈で、新聞社は悪の帝国として、そこで働く記者は悪魔に魂を売った「社畜」として描かれていた。


「新聞には、まだまだいいところはあり」・・・どこ?
「何度も書いてきていますし」・・・何を?




僕は、藤代裕之がブログ上で真性引き篭もりの投稿にレスポンスを出したのは、僕に対する回答以外の目的があったのでは無いかと疑うようになった。




また、クレジット問題にかこつけて、日経BPのコメント欄に、真性引き篭もり氏の「藤代裕之はガ島通信を殺すのか」の記述を引用されていますが、真性引き篭もり氏のブログを見たら「事後報告」となっているようです。ブログは基本的に引用自由な場合が多いですが、やはり事前報告のほうがよろしいのではないでしょうか(引き篭もり氏と鮫島氏の当事者間の問題であり、ここでの記述は私の個人的な「感想」です)。



藤代裕之が彼が書きたかった文章はこれだ。



「事後報告で引用した」というウェブ上のルールからすれば過剰マナーとも言える行為を感想と言い訳しながら問題視して人格批判の材料とし、攻撃する為の道具として用いている。




いくらかの人達から肯定的に捉えられていたガ島通信というブログで、指摘された問題点に対しては一切触れずにそれら指摘の原因は「誤読にある」とし、都合のいい部分、というか部分ですら無い文章外の事象を自らを支える道具として利用する投稿が成されているという光景に、我が目を疑った。
まことに驚いた。



そうして、数度読み通しただけではいくらかの矛盾点と問題点に起因する違和感が残るだけであった藤代裕之という人間が作り上げたガ島通信という世界に強い興味を持ち、もう少し何か書いてみようと思うに至り、僕はガ島通信という巨大な世界を読み始めた。




「間違いの指摘」を認めないのが既存メディアの最低のところです。
よろしければ、これまでの私のエントリーをお読みください






ガ島通信は成功したと言えるのだろうか。
正直、よくわからない。


確かなのは、開設数ヶ月で1日2万PVを集めるブログに成長したという事だ。彼は何度かアクセス数に対する文章を書いており、そこではアクセス数が減ると落ち込むだとか、アクセスがあって嬉しいだといったような事が書かれている。




ガ島通信は成功したのだと僕は考える。
彼が望んだアクセス数というパラメータを開設数ヶ月で1日2万にまで成長させることに成功した、という点で。





瞬く間に2万PVを集めるようになったのにはいくつかの理由がある。まず第一に、ガ島通信がウェブの隙間にぴったりとハマり、読者の欲求を綺麗に満たしたという事が大きい。
ガ島通信は「記者が書く普通のブログ」というニッチを埋めたのである。




ガ島通信の開設以前から、記者ブログは多数存在していた。
けれどもそれらの記者ブログは他者や、読者、あるいは一般ブロガーと一定の距離を置き、積極的にブログをウェブ上に展開する事をしなかったし、朝日新聞や共同通信の記者ブログを巡る騒動に象徴されるような、一般ブロガーとは遠い存在であり続けた。




ガ島通信以前の記者ブログというのは、「社長ブログ」とか「AV女優ブログ」、あるいは「企業ブログ」といったような少し離れた特殊なジャンルだったのである。
そこへ登場したのが地方紙記者が書く普通のブログ、ガ島通信である。


ガ島通信は読者の側へとにじり寄り、というよりは猛スピードで駆け寄った。トラックバックを手当たり次第に撃ちまくり、各地でコメントをつけた。寄せられるトラックバックには全て返しトラックバックを撃ち、コメントで返礼する。それどころか、ほうぼうのブロガーへとメールを書きまくり、それらブロガーと親密な関係になる事に成功した。




彼に触れられたブロガーは彼に対して一定の好意的態度を取った。
各地のブログのエントリーに「ガ島通信」という文字が登場する度にガ島通信読者のブロガーは増えた。「新聞記者」という特殊な職業の人間による「普通のブログ」という希少性で一定数の読者を持つブロガーをねずみ算式に取り込み続けた結果、ガ島通信は2万PVを集めるブログへと短期間で成長したのである。




確かに、私自身も多くの読者や取材先を傷つけ、会社の方針にさからえず、マスコミ内にはびこるステレオタイプのレッテルはりに加担してきました。






また、忘れてはならないのはトラックバックセンター化である。


ガ島通信は世間の関心を集めた時事ネタを追い掛け取り上げ続けた。
球界再編、ライブドアと楽天参入、それに対する読売の対応。
NHKvs朝日では両者を批判し、中越震災ではメディアをマスゴミと呼び非難した。
フジサンケイ買収騒動ではライブドアを強く支持してフジテレビを含む既存のメディアを攻撃し、NHKの裏金問題では海老沢勝二を強く非難した。


藤代裕之はそれらの投稿を行う度に、大量のトラックバックを撃った。
撃ちまくったと言い換えられるほどである。それらトラックバックを撃たれた人間はやがてガ島通信を時事ネタに関する投稿を書くきっかけとし、トラックバックセンターとして利用した。


そして、藤代裕之は寄せられたトラックバック全てへトラックバックを撃ち返すことで他ブログとの繋がりをより強固なものとした。トラックバック数は増加の一途を辿った。




時事ネタに関する速報性のある投稿と、大量のトラックバックによる集客。
それらが生み出したトラックバックセンター化によって生まれた露出。
ブログ以前では考えられなかった積極的なアクセス数への取り組みが功を奏し、ガ島通信は巨大化の一途を辿ったのである。




バンドブームを経験しただけに「渋谷系」の登場は衝撃でした。田舎者の私は「これが都会というものか…」とそのおしゃれ感と音楽的洗練さに圧倒されました。ちなみに、見出しの「アニエスのシャツにはいつもホワイトリーバイス、とか。」にも「そうそう」とうなずきまくり。R-25にやられちゃっているようです。大学生のときに私の住んでいた街にもアニエスができて、開店の日にすごく並んでいましたことや、トレンディドラマ「予備校ブギ(織田裕二が若い!)」、さらには解散してソロ活動をし始めたばかりのコーネリアスのトークに抽選で当ったのに寝坊したこと(涙)、ラブリーすぎるオザケンのコンサートで「なんだ男もいるじゃ~ん」と指を指された(前から3列目でまわり女性ばかりだったから、多分私。いや私に違いない!)ことなどを思い出したのでした。っていうか昔を振り返るようじゃあもうオシマイですかね?






藤代裕之@ガ島通信
・大学卒業後地方紙に入社。
・警察・司法担当→支局→地方部遊軍→文化部を経て、2005年退社。
・労連のイベントに足繁く通っていた。
・社内では浮き、孤立していた。
・公務員の家庭に生まれる。
・現在32歳。
・独身。
・親元に同居。
・バンドブームを経験した。
・ある意味「私が神だ?!」(笑)ぐらい思っている。




頭が悪いので少しずつしか書けません。ゴメンナサイ。






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