私は昨日から「差別主義者」になりました。
ガ島通信は2万PVを集めていた。
しかし、それだけではない。
ガ島通信は強烈な支持を集めていた。彼が新聞社を辞めると宣言した投稿には53のトラックバックと73のコメントが寄せられた。その多くは熱烈な支持者からのものだった。
その「熱烈な支持」の正体とは何なのだろうかと、ガ島通信を取り上げたブログを巡り、ガ島通信を何故支持するのかという事について書かれた文章を集めてみた。
それらを大きく分けると支持の対象は次の3つだという事がわかった。
「誠実」
「良心」
「知名度」
この3点だった。
ガ島通信が支持された理由は、この3点だった。
先日はトラックバック返していただいて有難うございました。
ガ島通信コメント欄より
・誠実(真面目)
彼を表する声の中で最も多いのが「ガ島通信さんは誠実だ」というものである。
その「誠実さ」というものが何を指しているのか、なかなか見えてこない。
真面目(誠実)という評価を下しているブログを読み続けた末に読み取れたのは、
「一貫したマスコミ批判」と、
「トラックバック返しに象徴される関連ブログへの対応」
の2点が真面目(誠実)だという根拠になっているという事である。
長く日本を覆ったマスコミ不信の影響により、世俗的なマスコミ批判というものを世間は待ちわびていた。マスコミを否定し、罵倒し、こき下ろす。そういう"有名なブログ"の登場を、多くのインターネッターが待ちわびていた。
既存のマスコミ批判は回りくどい。
論理的すぎる。
そこに来て、ガ島通信はわかりやすかった。
世間を賑わす時事ネタが出る度にそれに応じた徹底した「>マスゴミ」批判がガ島通信で行われるのを見て、「またやってくれた!」「我らのガ島通信は今日も真面目にマスゴミ批判!」と、彼を真面目であると評価した。
ガ島通信の投稿はほぼ毎日行われ、その全てで「マスゴミ」「全国紙の記者は馬鹿」と、インターネットと最も相性のいい、罵詈雑言が繰り返され続けた。
それを世間は、「一貫した批判の継続性」という誠実さだと受け取ったのである。
そしてもう1つ。
彼は来たトラックバックの全てにトラックバック返しを行い続けた。
今時の普通のブロガーの常識的規範からすると、ありえない行動である。
しかし、彼はそれをやり続けた。
2万PVを稼ぐようになってからも、来るトラックバック、来るトラックバックの全てへ返しトラックバックを撃ち続けた。それは、あたかもmixiの足跡機能のような
「著名ブロガー藤代裕之が貴方のブログを読みました!」という宣言である。
それを行い続けた結果、2万PVに及ばない中小ブロガー達はその足跡を「誠実さ」の現れであるとし、彼らはガ島通信に心酔し、真面目だ、誠実だと崇めるようになった。
・インターネットと相性の良い罵詈雑言による一貫した批判の継続性。
・トラックバック返しによるmixi的足跡コミニケーションの徹底。
この2点が、ガ島通信「誠実さ」「真面目さ」の正体である。
私が非常に憂慮しているのは、浜村さんや共同通信のブログメンバーのような現状に疑問を抱き、ブログという新しいメディアに挑戦している人ですら、このマスゴミ病にかかっていること。そして自覚症状がないということです。
・良心
ガ島通信が支持されたのは真面目だからというだけではない。
「ガ島通信さんには良心がある」。彼の支持者達が口を揃えて言う台詞である。
「藤代裕之に本当に良心があったのか?」
という問題についてはここでは触れない。
支持者達が言う、"ガ島通信さんの良心"とは何か?についてだけ、書く。
支持者が指した「良心」の正体。
それは、「既得権益への反抗」であった。
「天下りを受けられる立場にある官僚による天下り批判。」
それは、「良心」であると評価されるだろう。
「介護認定の査証で高禄を食んでいる人による内部告発。」
それは、「良心」であると評価されるだろう。
「捜査費の不正受給を受けられる立場にある人間が県警を告発。」
それは、「良心」であると評価されるだろう。
ガ島通信は我が国を覆う複雑に絡み合った既得権益というものに対して蓄積された市民の不満を背景に「既得権益への反抗」という非常に解りやすい言論により、「良心」、「善良さ」という評価を得た。
藤代裕之が得ていた既得権益とは、言うまでもなく「新聞社からの給料」である。
新聞社から給金を貰い続けながらも、新聞社を「マスゴミ」「職場は腐っています」「全国紙の記者ほど不勉強です」と徹底的に攻撃し続けた彼の言葉は「既得権益への反抗」「内部告発」と受け取られるに十分な罵倒であった。
そして、重要な事。
彼の良心を評価する人のほとんどは「危なっかしい所もあったけどその良心は素晴らしい」という評価をガ島通信に対して下している。
藤代裕之の良心支持者達は、
文章に良心があるとは評していない。
言論に良心があるとは評していない。
態度に良心があるとは評していない。
文章に良心は無い。
言論に良心は無い。
態度にも良心は無い。
評価されたのは、「既得権益への反抗」という振る舞いである。
つまり、ガ島通信の良心が成立するには既得権益というものが必須条件だったのである。「地方紙記者」という立場によって「良心」が成立していたのである。
「馬鹿マスゴミは」
「エビジョンイルのNHKには金を払いません」
「ライブドアを批判するのはモテない男の嫉妬のようなもの」
といった暴力的な放言の全てが、地方新聞社という既得権益によって「良心」へと変換され、人々を魅了し続けて来たのである。
良心であると評価されていたものの正体。
それは、既得権益である。
例えば、「ライブドアなどは本当のジャーナリズムではない!」などと考えているジャーナリズムを特別視する頭でっかちの人たちも多い。本の中には、「これはカジノだ。ロイターがカジノを経営するのか!」とロイターが「市場」を持つことに編集部門の幹部が反対して叫ぶシーンが紹介されています。
・そして。
ガ島通信への熱烈な支持の最も重要な実態。
それは、彼らが支持したガ島通信は藤代裕之では無かったという点である。
彼は、エントリーを書く毎にトラックバックを手当たり次第に撃ちまくった。有名なブログへ、無名なブログへ、有名なブログへ、有名なブログへとトラックバックを撃ちまくった。撃って撃って撃ちまくった。
彼らはトラックバックを撃たれた事によりガ島通信を認識し、ガ島通信周辺系という領域へと組み込まれた。R30やあざらしサラダ、木村剛といった人間がガ島通信を肯定的に取り上げた。それを見て、人々はガ島通信をR30や木村剛と比し得るブログであると評価したのである。
ガ島通信の支持者達が「支持」していたものは、「ガ島通信周辺系コミニティ」だったのである。
R30、高田昌幸、木村剛、大西宏、湯川鶴章、あざらしサラダ。これら、ガ島通信周辺海域へのショートカットとしてのガ島通信が支持されていたのである。
つまりは、お墨付きである。
R30が読んでいる。
R30が記事にした。
木村剛が読んでいる。
木村剛が記事にした。
高田昌幸が読んでいる。
高田昌幸が記事にした。
「ガ島通信・・・?よし、じゃあ俺も読もう」
と、お気に入りへ放り込み、ガ島通信の2万PVを支える支持者となったのである。
ここで、最も重要なこと。
彼らR30と木村剛に代表されるブロガーらが取り上げたのはガ島通信の文章ではない。
彼らが文章にしたのは、藤代裕之という人間とのコミニケーションである。
ガ島通信がどのような言論を続けてきたかという事に対して、まったくの興味を持っていないし、問題点を見つけたとしてもそれを指摘したり触れたりはせず「頑張ってね」と言うだけである。
彼らと藤代裕之の関係を支えていたものは、ブログではない。言論ではない。
藤代裕之が撃ちまくったトラックバック。
藤代裕之が書き込み続けたコメント。
藤代裕之が撃ちまくったメール。
コミニケーションである。
トラックバック、コメント、メールという流れの延長線上でガ島通信の投稿を取り上げたエントリーを行ったのである。「ガ島通信」がトラックバック乱発により人を集め、継続したマスゴミ罵倒というインターネッターが最も求める話題の1つであるネタを提供し、50ものトラックバックを恒例的に集める巨大ブログとなってからは、「ガ島通信」という話題は取り上げるに魅力的な題材となった事も手伝った。
そうして、ブログ好きのブロガーは「トラックバック来てるし、書いておくか」と、エントリーコミニケーションを行い、さらなるガ島通信幻想の拡大を手助けしたのである。
うどん屋がうどんを責めず、ボーリング屋がボーリングを責めないように、ブロガーはブログを責めないし、コミニティの一員はコミニティのメンバーを攻撃しない。
ガ島通信が躓かなかったのは、「都合のいい時だけ取り上げ、都合の悪い時は見て見ぬふりをする」とうコミニケーションの基本的なルールによってであった。
ガ島通信には度々問題点を指摘するコメントやトラックバックが来たが、藤代裕之はそれらを「建設的でないコメント」と切り捨てて相手にせず、友達ブロガーのコメントに対しては丁寧にレスポンスをつけ続けた。
鍋奉行藤代裕之はコミニティを防壁化させ、批判から耳を塞ぎ続けたのである。
ああ、また明日すごくページビューが下がってガッカリするんだろうな…
もう1つ。
ガ島通信が支持を受けた背景。
それは言うまでもなく、インターネットを覆い尽くしているマスコミ不信である。
松本サリン事件を出すまでもなく、現代の日本においてマスコミの信頼というのは地に落ちており、マスコミへの批判はどのような形であれ絶対是として受け取られる下地がある。
その下地に、「新聞側からの内応者」とう形で颯爽と読者の側へと舞い降りたのが藤代裕之である。マスコミを「マスゴミ」と呼び、渡邊恒夫を「ナベツネ」と呼び、NHK会長を「エビジョンイル」と呼び捨て、既存メディアを罵倒し続けるガ島通信は、メディアに批判的な眼差しを向けるネッターにとって、もっと都合のいいパズルの1ピースであった。
「著名ブロガーお墨付きの有名ブログ」と
「マスコミ批判という絶対是」が組み合わさり、
誰もがガ島通信を支持し見守るようになったのである。
このところ難しい話題が続いて、V30を積んだ脳がとろけ始めましたので、コーヒータイム。
3へ/1~5全部