2005年5月25日水曜日

藤代裕之~裸の駄々っ子(3)






新聞社でネット事業に関わる有志が集まる会合に出席しました。
実は、この会合への参加を事前に社内の若手が加入するMLに呼びかけていたのですが、
反応ナシ。これは悲しかった… 危機感ないのかな~? 逆に心配になってしまいます。






「彼は寂しかったのだ。」
そういう結論から入るのはあまりにも安すぎる。


けれども、188投稿とそれに付随する無数のトラックバックへの対応、そして特定の人物のみに向けて丁寧にレスをし続けるその姿、また幾人かの重要なブロガーに対してメールを送り続ける彼を見てしまうと、他の入り方が思い浮かばなくなってしまった。




ガ島通信とは、藤代裕之の孤独が生んだ狂気の記録である。


しかし、彼が寂しかったという認識を持っているのはインターネット広しと言えどもそう多くはないだろう。リアルタイムの時事ネタとそれを彩るトラックバックにより、藤代裕之の実像はかき消されてしまっているからである。そのかき消されてしまった藤代裕之とは何だったのかを、書こうと思う。




彼の寂しさ、それはいくつものエピソードから見取る事が出切る。
確かに、一般的に言えば彼は寂しくは無い人間であると分類されるだろう。


誕生日パーティーを丸投げ可能な同僚がいて、同居する家族がいて、同窓生や後輩といった活字も度々登場する。年末年始に一人でカナダへスキーに行った、という事を取り出して「彼は寂しかった」などとやるつもりはない。
一般的に言うならば、彼は寂しくなかったのである。


しかし、彼は孤独であった。
彼の感情を理解してくれる人間が彼の周囲にはいなかったのである。




彼には十二分な程の人付き合いがあった。
しかし、彼の心を理解し彼を受け入れてくれる人は1人としていなかったのである。




どうして、彼は理解されなかったのか。
なぜ彼は職場の人達に受け入れられなかったのか。
それは、彼が愛社精神の無く、落ちこぼれである無能な労働者であり、新聞に敵愾心を抱いていたからである。彼は自分の人生を狂わせた新聞を怨んでいたのだ。




藤代裕之は自分の人生に希望を抱いていたのだと思う。
しかし、その希望はいくつかの要因によって打ち砕かれた。


まず、彼が希望していた進学先。
それは学力不足によって打ち砕かれた。


そして、彼がなりたかった職業。
それも頭の悪さによって打ち砕かれた。


そうして辿り着いた先。
それが、地方紙の記者という職業である。




そこにあるはずであったばら色の人生は存在しなかった。
いや、そんなものは始めから無かったのだ。


彼はあらゆる努力を怠り「大学」に辿り着き、
あらゆる妥協の末に「地方紙」に入社した。


そして、妥協と失意の末に辿り着いた職場で、自分の人生への直視できない失望を抱えながら9年間の労働で、「>会社で不良債権化」し、「>社内で浮き、孤立」しやがては「>単純にやりたくないのです。」という結論へと辿り着いた。


彼は自分の人生がうまく行かなかった事を自分自身の責任であると認めず、その責任を求める事の出来る存在を探し「>マスゴミ」という敵を見つけ、「>マスゴミ」で働きながらも、それを言葉に出来ないままで怨み続けた。




孤独なのは自分のせいじゃない。
仕事が出来ないのは自分のせいじゃない。
職場で孤立しているのは自分のせいじゃない。
将来の展望が上手く描けないのは自分のせいじゃない。


マスゴミのせいだ。
新聞のせいだ。





そして、彼はその責任転嫁を言葉にする方法を発見した。
青木日照 湯川鶴章 共著、「ネットは新聞を殺すのか」である。




ガ島通信の「1996年から地方紙で記者をやってます。」という文章で始まった初投稿には、湯川鶴章のブログを見てブロガーになったと書かれている。


そして、ガ島通信の1つの終わり。休止宣言の1つ前。
そこには、「ネットは新聞を殺すのか」の書評がある。
その書評は、次のような文章で結ばれている。


>湯川さんの気持ちが、一人でも多くの読者、
>そして新聞関係者に伝わることを願っています。



僕は、湯川鶴章と藤代裕之は対極にある存在であると考える。
湯川さんの気持ちが伝わるべきであった一番の存在は、藤代裕之なのだ。
その、一番伝わらなかった人が「伝わることを願っています」と書き更新をやめる滑稽さ。


いや、滑稽さと呼ぶにはあまりにも悲しすぎるすれ違い。
それが、ガ島通信を最初から最後まで覆っていた。
そして、その"誤解"あるいは"滑稽さ"とも言い換えることが出来る「すれ違い」こそがガ島通信を読み解くキーワードの1つであると僕は思う。




マスコミは常に自分たちを安全圏において、企業や行政を批判し続けます。そして自分たちが批判されると感情的になったり、卑屈になったりする。すでにこのあたりの構造は見切られています。






どうして藤代裕之は無数の誤解をし、ガ島通信という世界はその外側の世界とまったく噛み合わないままで、すれ違いを続けたのだろうか。





藤代裕之の最も致命的な誤解。
世間が「ガ島通信」だと捉えていたものは藤代裕之ではなく、R30や木村剛、あざらしサラダなどの著名ブロガーと、ガ島通信に押し寄せる数十単位のトラックバックを含めた「ガ島通信と愉快な仲間達」であった事である。


彼が「ガ島通信読者」だと捉えていたのは藤代裕之の文章の読者ではなく、ガ島通信と愉快な仲間達を見に来た客でしか無かったのである。




それ以前に、ガ島通信のエントリーは藤代裕之の考えた文章ではない。
時事を彩るニュース、方々の有名ブログのエントリー、そして本。
その3点へのうなずきや同意、レベルの低い読書感想文でしかない。


藤代裕之が思い描いていた「ガ島通信」というスーパーブログはそもそも、彼の頭の中にしか存在していなかったのである。



ありとあらゆる誤解と思いこみの中で孤立を深め孤独を彷徨い逃げまどった結果、ガ島コミニティのブロガーへとメールを送りつけ続ける馴れ合いにその寂しさの解法を求めた。そして、「俺はコミニティから支持されている」という自信の元で暴走を継続したのである。




新聞記事を書いても、よほどの原稿でない限り当事者(例えば取材した相手)以外の人からはあまり反響がなかったりします。反応があっても多くが高齢者ですし…。ブログはダイレクトに反応があり、自分自身の気づかなかった点や視点も教えてくれます。ブログは「知恵袋」みたいなものですね。






藤代裕之はインターネットをまったく理解していなかった。


「トラックバック」には、かつてのホームページ時代に最も有効なアクセスアップの手段の1つとして存在していた相互リンクの申し込みが自動化されたという側面がある。
藤代裕之はそれにまったく気がついていなかった。




トラックバックとは宣伝である。
当たり前。
基本的。
その認識が完全に抜け落ちていた。




自分からはアクセス数を事ある毎に気にし、無関係に近い記事へと宣伝目的のトラックバックやトラックバック返しを撃ちまくるのに、自信へのトラックバックは「読者からのフェードバック」だと捉えていた。誤解どころの騒ぎではない。




アフィリエイトをトラックバックという宣伝行動と直接的に結びつけて論じるつもりはないが、ガ島通信にトラックバックを撃ったブログのアフィリエイトを1サービス毎に1とカウントすると、1を大きく上回る数字が出る。


かつてホームページの必死な宣伝というものは、藤代裕之のようなアクセス数マニアだけが行うものであり、普通の人間にとっては精神的な壁が立ちはだかっていた。しかしトラックバックという宣伝相互リンクの自動化、システム化により、かつてアクセスアップというものに付属していた精神的な障壁は完全に消え失せ、アフィリエイトという普遍的な動機をも得た。


時代が"相互リンク申し込み厨"に追いついたのである。





そして、ガ島通信がトラックバックセンター化という方向で時事ネタを速報してマスゴミを場道するプチメディア化の色を強めるにつれ、ガ島へのトラックバックは増え続けた。


その時代が許したトラックバックの全てを「読者からの反響」と受け取り、
「ブログってなんて素晴らしいんだ!」と眼に星を浮かべて酔い続けたのである。


なんとも、これは、誤認識である。




大いなる勘違いのまま、反権力ぶってた可能性すらあります。






まともに仕事が出来ず職場で不良債権化し文化部に飛ばされ、ますます孤立している。それが藤代裕之自身による地方紙記者、藤代裕之評である。


プライベートでは誕生日会は同僚に丸投げして準備をさせる、32歳の独身パラサイトシングル。年末年始の進行で会社が慌ただしい最中で、「関係無い」と言い捨ててカナダへ一人スキーに出かける。




そして、労連の会合へと足繁く通い、ブログではマスゴミを罵倒し続ける。


>新聞社員て、他の業界ではすごく使いにくいと思うんです。
>態度はでかいし、謝れないし、文章カタイし、資格とかほとんど持ってないし… 
新聞社員は他の業界では通用しない無能者で、人間がなっていない。


>そういえば上司とは、ほとんど飲みに行かない。
>理由は一緒に行きたい魅力的な人がいないから。
と、人付き合いを否定する。
そして口を開けば「職場には危機感が感じられない」。




何故彼は職場で孤立したのだろう?
・・・いや、この質問は無意味か。
孤立しない方がおかしい。


そもそも、世間の労連に対する認識すら理解していないというまぬけさ、仕事が出来ず、人付き合いもしない人間が「職場で仕事についての議論がしたいのに出来ない」とブログ訴え続けるというまぬけさ。




誤解、というには余りにも大きすぎる。
藤代裕之には、事実を認識する能力が決定的に欠けていたのである。
彼は目が見えない。




「大学」「地方紙」「孤立」という堕落した人生の果てに辿り着いた職場という事実を見たくなかったから、認識するのを止めたのかもしれない。


コンプレックス発散ブログ。
それが、ガ島通信。




単なる嫌がらせだと思っていますがね。






ガ島通信には開設当初から、問題点を指摘する書き込みが成され続けていた。
同一文面で同一人物が繰り返し、考慮と冷静さを求める文章を書き続けたものや、矛盾点に関する事を指摘したトラックoックを幾度か撃った人もいた。
もちろん、コメント欄で「そこはちょっとおかしい」という人もいた。
藤代裕之の論調自体を「ライブドア妄信的」「結論ありき」などと批判する人も幾人かいた。


しかし、彼らはそれら自分の文章への批判を完全に無視した。
いや、無視したのではない。
彼はそれらへの解釈を提示した。


1,俺に文句をつける奴は悪意を持っているのだ。


2,俺に文句をつける奴は既存メディアに毒されているのだ。


3,俺に文句をつける奴は誤読しているのだ。


この3つが、藤代裕之の提示し続けた批判と反論への見解である。





「議論がしたい」
このような人物との議論が成り立つだろうか。
それ以前の問題として、会話が成り立たない。




「悪意」
「毒されている」
「誤読」


そしてもう1つ、彼が反論を受ける度に口にし続けた言葉がある。
「過去のエントリーも読んだ上でコメントしてください」




つまり上の3つに、もう一つ付け加えるならば、「文句をつける奴は過去のエントリーを読んでいないから俺の言う事を理解できていない」というものである。


読んだ。
問題点が次から次へと浮上した。




なかなか新聞記者の体質(嫌な汁?)は抜けないものです…。






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