2005年5月28日土曜日

「ブログの持ち主には見えない公開コメント」という夢のテクノロジー



ブロガーに求められるもの。
それは、エントリーだ。


そうではないかもしれない。
確かに、そうではないかもしれない。

しかし、僕がブロガーに求めるのはエントリーだ。
祇園精舎のエントリーだ。
とにかくエントリーだ。
エントリーをよこせ。



ところが、僕が毎日10度は訪れるブログはどこもかしこも、滅多とエントリーが来ない。

仕事が忙しいだとか、恋がしたいだとか、ゲームしてただとか、お勉強をしていただとか、エントリーをしばらく書かなかった理由のエントリーが途切れ途切れにぎこちなく、エントリーされる。

ふざけるな。
仕事なんてやめちまえ。恋なんてしようと思うな。ゲームなんて投げ捨てろ。女は勉強なんかするんじゃねえ。書くんだ。書け。エントリーをよこせ。







いや、まあ、確かに。
ブロガーってのは大変なものだ。
いろいろとものすごく苦労する。




たとえば、僕の場合で言うとである。
「2ちゃんねるでDOTA allsatarsやるので一緒にやりましょう!」
とか脳天気なメールが来るわけである。
いや、それだけならまだしもよい。むつまじくだ。

「勝率高すぎて怪しいです(2ちゃんねる風顔文字)」
とか書いているわけで、温厚なわたしもさすがに切れてというか生まれて初めて激昂し、「このメールに返信する」を押した次の瞬間には「死ね」と一行目に書き入れて返信ボタンを押した次の瞬間には削除したりといったような、予想外の労力精神的疲労困憊を強いられてしまうわけである。
まったく、ブロガーってのは大変なものだ。
まったくもって尊敬するぜ。
まったく、まあ、もって、結局の所、まったく、しかし、だ。



まあ、僕の場合はA8ネットとAmazonアソシエイトとグーグルアドセンスとカリビアンドットコムで稼ぎまくるというその一念があるからこそなんとか更新のモチベーションを保てているわけであるが、世の中にはA8ネットもアマゾンアソシエイトも貼っていない、まるで神のような、いや平成の大御神と呼んでも差し支えがないくらいのブログ時評の団藤保晴に代表されるような世界中の尊敬と畏敬とその他色々とを一身に集めているようなブロガーもいるわけである。
まったくもって尊敬するぜ。
奴はすげえ!すげえぜ!
いろいろと。



結局の所、世間がブロガーに何を求めているのかを僕が知る術は無い。
僕は世間とはかなりかけ離れているし、自らを世間であると定義する傲慢さも持ち合わせていない。ただ、僕がブロガーに求めるものはエントリーだ。それだけである。
他の何もかもは必要ない。

いくつかのブログを執拗にストっているのはエントリーを読みたいからだし、更新される頃合いになると2分に一度はF5しているのもエントリーが読みたいからだ。エントリーさえ書いてくれれば内容なんてどうでもいいんだ。くだらなくてもつまらなくても矛盾だらけでも腐っていてもムカついてもたった2行ぽっちでもだ。惚れた弱みだ。関係無いだ。



なのに、なのにである。
僕が執拗にストっているブロガーは往々にしてブログを止める。
少し間が開き開いて減らしてやがて、ブログを辞めるに至ってしまう。
ある日突然404だ。ブログサービスのポータルへ見るも無惨に転送される。



そうでない場合もある。
更新終了のお知らせがある場合もある。

「忙しくてちゃんと書く暇が無いので」
って違う違う。ちゃんと書かなくてもいいのに。適当でいいのに。そんな。





いや、まあ、辞めた理由が「忙しいから」ならまだ我慢が出来る。
お幸せに、くらいで見送るよ。
突然いなくなったとしても、そんなのこっちは慣れっこだ。

けれども、理由によっちゃあ、我慢がならねえ。
「コメント対応にくたびれて」なんてのはその頂点だ。
まったく、プログラマーには優しさが足りない。
血も涙もない。人間じゃねえ。少しは体を労れよ。



作られるべきなのは、優しいインターネットだ。
繋がりなんてまっぴらごめんだ。孤独は誰も傷つけない。
必要なのは、ブロガーを消耗させないレスポンス欄だ。
ブログの持ち主は読めないレスポンスだ。

どこでどうだか丸見えの、消耗させて404なインターネットは公開すぎる。
消耗してやがてはブログを止めるに至ってしまう。



けれども、気になる点がある。
「ブログの持ち主は読めないレスポンス」
ってのは本当に実現可能なのかどうなのかって事だ。

実現不可能だとすると、そんな事言ったところでそれは電波だ。
ただの頭のおかしいエントリーだ。
それはいけない。
電波は駄目だ。
そう思って、この投稿をずっと封印したままでいた。




ところが、である。
「ブログの持ち主は読めないレスポンス」
ってものが既にこの世の中には存在していた事に気がついた。

それは、mixiだ。
mixiからアクセスがあると、mixiで誰かがレスポンスをつけたんだって事がわかる。

けれども、である。
ブログの持ち主はそれを読むことは出来ない。



完璧だ!
これぞまさしく、全世界全人類全世界平和全ブロガーが待ちわびていたものだ。
ブログの持ち主には見えない公開コメントの完成形だ。


「コメント欄は管理が大変だから付けたくないけどそれはどうも……」
そういう人たちは、今すぐmixiにコメント欄を移転させるべきだ。

適当にヤフオクででもmixiの招待メールを落札して、「○×△ブログ用コメント欄」というコミニティを作ってmixiを脱退するんだ!



そしたらもう、完璧だ。
「コメントはこちらで」とか書いて、mixiにリンクを張っておけばよい。
盛り上がったら盛り上がったでアクセスが増えるだろうし、寂れたら寂れたでアクセスが減って途切れる。伝わるのはコメントからのアクセスの数だけで、内容に気を咎め消耗したりはしない。




凄い。
mixi天才。
っていうか、僕が天才。
物凄く天才。
ナツリャルb-オン。



正直、mixiからのアクセスが一番嬉しい。
だって、見られないから「クリックしたら負けだ」とか悩む必要無いし。見たら負けだとかそんなのなくて、アクセスがあっただけで有る意味勝ちだし。

mixiの内部がどんなものなのか知らないけれど、風の噂に聞くところによると「どうでもいい事をどうでもよく書く」インターネットらしい。そこからアクセスがあったという事は、どうでもいいような所にでも書きたいくらいに、僕のブログが何者かの日常に組み込まれてるってのを証明するというかプラス思考に伝わってくるインターネットなわけじゃん。それって最高。マジ最高。mixi最高。mixi万歳。