2005年5月15日日曜日

スパゲティ



プログラマはダサイ。


みっともない服装でむずむずするラバーのソファーでウェインナイトにくるまって眠り、風呂にも入らないままで起きて再びろぐらむるを繰り返し、青のYシャツと昭和のフィギアをしゃれたアイテムだと思いこんでいる無脂肪コーラだ。
まあ、そのくらいもう常識で僕が重ねて書くまでもないのだけれど、パスタの事をスパゲティと呼んでいるプログラマーを見て、ドン引きした。


プログラマーにイタ飯は似合わない。
しかもパスタの事をスパゲティだよ、スパゲティ。
ナンセンスにも程がある。

今時パスタの事をスパゲティって呼ぶのは、名古屋人くらいのものだ。
まったくもって、名古屋はダサイ。


おっと、名古屋の話じゃなかった。
プログラマの話だ。


とにかく僕が言いたいのは、プログラマはダサイって事だ。

おっと、これじゃあ駄目だ。荒れちまう。
名古屋人がだぎゃーとかうみゃーとか言って暴動を起こさないように一応書いておくと、名古屋にもいろんな名古屋がある。
ダサくない名古屋だってある。
えびふりゃーとかういろうとか金のしゃちほことか無駄に豪華な結婚式の引き出物の帰宅時には真っ二つに割れている原価120円の白い皿とか、物凄くハイセンスでかっこいい。
名古屋はかっこいい。
ごく一部の名古屋はかっこいい。


おっと、名古屋の話じゃなかった。
プログラマの話だ。

今時パスタの事をスパゲティって呼ぶのは、プログラマくらいのもんだ。
まったくもって、名古屋はダサイ。

おっと、名古屋の話じゃなかったみゃー。
プログラマの話だぎゃー。


まったくもって、プログラマはダサイ。

おっと、これはよくない。
嘘大げさにの広告公共機構だ。
これじゃあ駄目だ。荒れちまう。
別に荒れてもいいんだけれど、名古屋はよくない。

おっと、どえりゃーしもたぎゃにゃーでらげなけった。
ぷろぐりゃみゃーの話だにょ♪



プログラマはダサイ。
けれども全員が全員ってわけじゃあない。
プログラマがifだとかforだとか言って暴動起こさないように一応書いておくと、プログラマにもいろんなプログラマがいて、中にはダサクないプログラマだっている。
えびふりゃーとかういろうとか金のしゃちほことか無駄に豪華な結婚式の引き出物の帰宅時には真っ二つに割れている原価75円の白い皿とか、物凄くハイセンスでかっこいい。
プログラマはかっこいい。


プログラマーはプログラムをする。
KIKUI選手は現在ウェストサーバで30勝無敗。
いやがらせfor nubだとしかおもえない。いったい。
「勝算はなかった。ただ戦い続けたかった」かっこい。


oops
即ち、プログラマーはかっこいい。



つまり、僕が言いたいのはプログラマーにもいろんな人がいるって事だ。
例えば、牛乳があるとする。
それにヨーグルト菌を投げ込めばヨーグルトになるし、トマトを投げ込めばトマト牛乳になる。まあ、トマト牛乳なんて名古屋以外じゃ滅多と見かけない代物であり、僕らの口には合わないけれど。



けれども、トマト牛乳にもいろいろある。
トマトの入っていないトマト牛乳もあるし、おしゃれなトマト牛乳もある。
つまり、プログラマーにもいろんな人がいるって事だ。


おっと、熱くなりすぎた。少し話を変えよう。
例えば、プログラマーにもいろんな人がいるとする。
けれども、名古屋にだってプログラマーはいる。
つまり、プログラマーにはいろんな人がいるって事だ。


「動けばいい」
というプログラマーもいれば、

「動くだけじゃ駄目」
というプログラマーもいる。

「美しく動く事が大事」
というプログラマーもいれば、

「美しく書く事が大事」
というプログラマーもいる。

「特定の環境下で速く動く事が大事」
というプログラマーもいれば、

「どんな環境でも正確に動く事が大事」
というプログラマーもいる。

「読み直す時に読みやすく書く事が大事」
というプログラマーもいれば、

「読み直す必要なんて無い」
というプログラマーもいる。



結局の所、名古屋は大阪よりも北で東京よりも南だ、って事だ。
もしも名古屋が大阪よりも東にあるって言う奴がいたら、そいつは詐欺師だ。
強いて言えば、サムソンリーかな。ジェットリーの弟子。



この問題は複雑なので結論からまず先に言ってしまうと、
「プログラマーにもいろんなプログラマーがいる」って事だ。


例えば、


「動けばいい」
というプログラマーもいれば、

「動くだけじゃ駄目」
というプログラマーもいる。

「美しく動く事が大事」
というプログラマーもいれば、

「美しく書く事が大事」
というプログラマーもいる。

「特定の環境下で速く動く事が大事」
というプログラマーもいれば、

「どんな環境でも正確に動く事が大事」
というプログラマーもいる。

「読み直す時に読みやすく書く事が大事」
というプログラマーもいれば、

「読み直す必要なんて無い」
というプログラマーもいる。


つまり、僕が何を言いたかったかというと、プログラマーにはいろんなプログラマーがいるってわけじゃない。って主張する人の言っている事は間違っている可能性が高い、って事だ。もちろん、全否定するわけじゃあない。確かにそういう話もあながち正しいとは限らないわけで、間違いだとは言い切れない。


人生だって似たようなものだ。
トマトの入った人生もあれば、トマトの入っていない人生もある。



いろんな考え方の人がいるって事だ。
けれども、それらプログラマーに共通している事は、
「プログラマーはプログラムをする」って事だ。


天守閣を建てたプログラマーやなまこを人類で初めて食べた人は偉いというネタを書くに辺り、かぶっていないだろうかと検索エンジンを叩くような弱気な人間はブログを書くには向いていないって事である。


何が一番言いたいかというと、スパゲティプログラムが出来上がってしまった場合は一度全て放棄してまた0から書き直した方が手っ取り早いって事だ。僕の場合、出来上がるのはまた同じスパゲティプログラムであり、1から書き直したにもかかわらずまったく同じバグが再現されてしまうわけだけれど。


そういう事実を目の当たりにして僕が一番強く思ったのは、ヌンチャクがカラテやニンジャという文脈で語られていた時代は終わってしまい、それはもはやパロディとしてしか成り立たなくなってしまったというコメディ的なパロディだなと思っていた。


今にして思えば、名古屋は30年先を行っていたのかな、と思う。
時代が名古屋に追い付けず、逆に名古屋が取り残されて新幹線の停車駅も無い過疎地だ。



ようは、プログラムをしないプログラマーはいないって事である。
それはちょうど、人生を送らない人間がいないのと同じように。

天守閣を建てたプログラマーや北極点に到達したプログラマーはほとんどいないけれど、プログラムをしないプログラマーはいないという事を僕は言いたかったのである。

つまり、引き引き出される結論は、プログラムをしないプログラマーはいないくらいに、人生を送らない人間はいないって事だ。

けれども、もしもの話をしよう。
やっぱり、やめておこう。


つまり、人間とプログラマーが似ていると主張するにはこれだけの証拠があるって事だ。
確かに、人間とプログラマーというのは似ても似つかない存在である。
だが、もしも人間とプログラマーが似ているとしたらどうだろう。
まるで同じようなものだとしたら。




人間にも、いろんな人がいる。


「楽しければいい」
という人もいれば、

「楽しいだけじゃ駄目」
という人もいる。

「今が美しければいい」
という人もいれば、

「美しい歩みが大切」
だという人もいる。

「特定の環境下で速く動ければいい」
という人もいれば、

「どんな環境でも正確に動かなくては駄目」
という人もいる。

「悔いのない過去を築くべきだ」
という人もいれば、

「過去を振り返る必要なんて無い」
という人もいる。





だけど、みんな同じだ。
プログラマーがプログラミングして出来上がるものはどれだってプログラムだ。

プログラマーがプログラミングして五重塔を建てただとか、プログラマーがプログラミングして屏風に上手の坊主な袈裟まで憎いし、ある意味では言い換えれば日本語ではうまく表現できないけれど、コモンセンス的なものがあったのかもしれない。今となっては確かめる術は無いのだけれど。


そういう事から推測するに、プログラマーがプログラミングして出来上がるものは全てプログラムなんじゃないか、という疑念が芽生える。

これは仮説に過ぎないんだけれど、プログラマーがプログラミングして出来上がるものは全てプログラムだ。


それは、ちょうど人間と人生の関係と同じである。



「楽しければいい」
という人も、

「楽しいだけじゃ駄目」
という人も、

「美しく動く事が大事」
という人も、

「美しく書く事が大事」
という人も、

「特定の環境下で速く動く事が大事」
という人も、

「どんな環境でも正確に動く事が大事」
という人だって、

「読み直す時に読みやすく書く事が大事」
という人も、

「読み直す必要なんて無い」
という人も、みんながみんな到達する所は同じである。




動くか動かないかの違いこそあれ、人間とプログラマーは同じである。
結局の所、まったくの余談であるが、プログラミングと人生は似ていると思う。


どちらも色々やって、色々やるけれど、辿り着くのは同じ場所だ。
こんがらがって、ぐしゃぐしゃで、今何をしているのかもよくわからず、何を作っているのかも理解出来ず、わけもわからず一心不乱で、心の整理も出来なくて、読み返しても何一つ理解できないスパゲティ人生。

けれども、いっしょ。
楽しくても読みやすくても、拡張性に優れていようがパスタでも、美しかろうが醜かろうが、出来上がるのはプログラム。みーんな、いっしょ、人それぞれ。辿り着くのは同じ場所。やりたいように、やればよい。

行き着く果ては味噌煮込み。
おっと、名古屋の話じゃなかった。