2005年5月30日月曜日

ゼルダのwikiと、月野うさぎのカスタム隷奴。



気に入らない。
コメント虎の、威を借りて、癒し系ブロガーを脅しておきながら俺素敵モードに突入し、違うんだ。俺じゃねえ。虎だ。だから、虎が。虎が。とか言ってるのを見かけたらはてはてささーん、くらいのもので何の興味の沸かずにいろんな人がいるもんだね、と思うくらいのものであるが、ゲームのゲも理解していないような畑違いの人間がゲームを叩いているのを見つけて久しぶりに激昂した。
前に省略した部分を中心に書こうと思う。












・「パクリは何故駄目なのか」

それは、単純である。
パクリが許されると、発展が阻害されるからだ。
発展を阻害しないようにと、発見と創造性と独創性が保護されているのである。




「生み出すA社」
「パクリのB社」

という2社があったとする。


A社は想像力と独創性を持ち、新しい物を編み出す事に長けている。
けれども、売るのは下手だ。

B社は宣伝や流通が上手く、物を売る事に長けている。
けれども、生み出すのは下手だ。





この2社が、パクリが許されている世界へと放り込まれると、


A社 := 「編み出す」→「売れない」→「儲からない」
B社 := 「パクる。」→「売れる。」→「儲かる。」

という単純さが延々繰り返される事になる。
やがてA社は倒産し、B社だけが残る。

B社は創造性も独創性も持ち合わせておらず、発展が止まる。
よって、発展には「パクリは駄目」というルールが必要であると言える。







それが企業であるならばパクられ利益が奪われる事により発展が阻害される。
それが個人の場合であるとモチベーションが奪われて、発展が阻害されるのである。





宣伝下手な「生み出すAさん」
宣伝上手な「パクリのBさん」

という2人がいたとする。
Aさんが生み出したものを、Bさんがパクルり上手く宣伝したとする。


すると世間は
「Bさんが生み出したものだ!Bさん凄い!」
となり、Aさんが評価される機会は失われてしまう。


それが続くと、Aさんは創作活動を中止する。
すると、もう何も生まれなくなってしまう。

よって、発展には「パクリは駄目」というルールが必要であると言える。











しかし、ゲーム界隈に「パクリは駄目」というルールは必要ない。
何故ならば、ゲームの発展には「パクリは必須」であると言えるからである。




どうしてゲームにはパクリが必須なのか。
それは、ゲームとは文化であるからである。

文化の発展には、「影響」という要素が不可欠である。
それは、「パクリ」と言い換える事が可能なものである。



開拓→「影響」→発展→「影響」→開拓→「影響」→発展
というように、先人が切り開いた道の上に発展してきたのがゲームである。
そして、パクった側が発展し、パクり元へと逆に影響を還元する事により、さらなる進歩を遂げてきたのがゲームという文化である。





影響と言ってもそんじょそこらの"影響"ではなく、継承と呼んでも差し支えがない程の影響である。

鉄拳はバーチャファイターを継承したものである。
強い影響というかそのまんま、言ってみればパクリである。
しかし誰も鉄拳を完全否定したりはしない。
ほぼ全ての3D格闘ゲームの継承元となったバーチャファイターが尊敬されるだけである。また、バーチャファイター4は鉄拳から逆影響を受け、還元されているとも言える。。


同じように、ウィザードリィが無ければドラゴンクエストやファイナルファンタジーは存在しなかっただろうし、横スクロールアクションや縦シューティングは全てが幾つかの段階を経て継承を重ねる事により、発展を遂げてきた。


結論から言うと、水清くして魚棲まず。
パクリ無くしてゲーム無し。








しかし、ゲームの発展を阻害するパクリも存在する。

それは「金を奪うパクリ」と、「モチベーションを奪うパクリ」である。
他の許されないパクリとまったく同じである。
ゲームの根幹部を丸々ぱくっておきながら、オリジナリティを主張して売り上げを伸ばすというのが最も悪質な形であろう。


具体的に言うと、ワームズアルマゲドンに対してポトリスがやった事や、アローンインザダークに対してバイオハザードがやった事、ボンバーマンに対してボンバーマンがやった事などは許されるべきパクリではない。

なぜならば、影響だとか継承だといったような言葉で言い表せる範囲を超えた根幹部のパクりを行いながら、それを隠して偽りの独創性を主張してその地位を築き上げたものだからである。




それに対して、ゼルダに対するwikiの問題性は非常に低い。

まず、ゼルダの利益をwikiが害するというのは想像出来ない。
ジャンルがまったく別物であるし、市場自体も同じではない。

次に、wikiがゼルダのモチベーションを奪うとは考えられない。
逆に「風のタクト」というものに再度光が向けられるという継承元の浸透が起きるだろう。




また、昨今のゲームにおいて「パーツを組み合わせて何かに似せられる」というのは頻繁に提供される"遊び余地"であり、否定されるべきものではない。特にネットゲームや、自由度の高いRPGなどにおいて、パーツを山ほど用意しておき、組み合わせとカラーリングで既存のキャラクターにそっくりになる、というのはまま見られる光景である。

「パーツを組み合わせて」
というギミックを用意した場合、何かに似るのは当然である。
その"遊び余地"への文句に妥当性があるとは考えられない。



もちろん、それが上品な事であるとは考えていない。
例えば、アーマードコアというパーツを組み合わせて自由に機体を作り上げる事が可能なロボットゲームは相応のパーツを用意しておけばアッガイやガンタンクといった"遊び余地"をプレイヤーに提供する事が出来るのに、それをせずに高い金を払ってぶさいくで少し離れたパーツばかりを用意している。これは多少上品であり、敬意を払うに値すると考える。



しかし、問題にするような事柄であるとは考えられない。
そもそも、我が国を代表する自動車会社や家電会社だって過去に散々外国製品のデザインやらアイデアやらを丸パクリして発展してきたわけで、30年以上遅れている国が"許されるパクリ"であるゲームにおいてのスキンを似せたくらいが何なんだと。こんなくだらない事を取り上げるならゲームの歴史を書ける人間に大金支払ってゲームの進化の継承図を書かせて世に出すとか、そういう価値のある事をやりながら、やれと。こんなものを前に出すと何が問題であるか解らなくなるだろ。この事件の問題点は任天堂の大人げの無さと、wikiの開発元の幼稚すぎる最悪な対応だろう。









・「wikiのような安易なパクリの蔓延は市場に害を為すのではないか?」
わからない。

ただ、任天堂は安易なパクリから出発してそうじゃないところまで行った。
バイオハザードもまた安易なパクリから出発し、我が国を代表するゲームの1つとなった。
バイオハザードがそうじゃないところまで行ったとは僕個人としては絶対に認めたくない所であるが、一応はなった。


「安易なパクリの蔓延はゲーム市場に害を為す」という点でwikiを叩くのならば、剣と草とバクダンとブーメランを手に「遊びにパテントは無い」と言っていた本丸の親分を叩いてからにするべきである。





結局の所、Wikiはカスタム隷奴程度の代物であり、問題視する奴は頭がおかしい。
そのWiki問題の配布元が探偵ファイルであるというのは物の馬鹿を寄せ集めて出会い系サイトと糞広告で回収するという糞客層に合った糞商法の糞どもの糞ネタであり、「韓中叩きはアクセスが数倍になる」という法則通りに馬鹿が飛びついて広めているわけであり、そんなくだらない事にゲームを利用する輩がいてそれを喜ぶ輩が大勢いるという事はゲームが好きな人間にとっては非常に腹立たしい。というか、許し難い。というか、論外。