2005年6月1日水曜日
映画のようなゲームが好きだ。
「映画のようなゲームはいらない。」
映画のようなゲームなど、最初から1つも無かったのである。
興味を持って観に来た人を2時間飽きさせないようなゲーム。
2時間という枠の中に幾つもの山と見せ場が絶え間なく続くゲーム。
そんなもの、噂すら聞いたことがない。有名な題材を引っ張ってきて最初の90分と次の日からの30分を面白く遊べるようにするという、最近の海外家庭用ゲームの方向性は比較的それに近いのかもしれない。それでもやはり、まだ遠い。映画のようなゲームなど、そもそも無かったし、これから先も存在し得ないだろうと思う。
けれども映画のようなゲームが好きだ。映画のようなゲームがしたい。
「映画のような」という言葉の意味は、「2時間という枠の中に幾つもの山と見せ場が絶え間なく続く」というものだけではない。名声を得ている映画の幾つかには、「スクリーンに映される全ての部位への情熱」という共通項がある。それどころか、スクリーンに映らない部位にまでも気が遣われている。"映画のようなもの"の正体は、狂気だ。
昔はそういうゲームがたくさんあった。画面に映し出される全てのシーンに狂気のような情熱が注ぎ込まれていたゲーム。僕はそれらのゲームの事を「映画のようなゲーム」と呼びたい。
カードリッヂの容量が小さく、全てが2D画像であった頃は、1人の人間が全ての場面、全ての絵、想定される全てのプレイに満遍なく情熱を注ぎ込むことが可能であった。けれども今のゲームではそうはいかない。
3Dのゲームであればプレイヤーは裏側に回って何かを覗き見るだろうし、容量が大きくなってしまった今のゲームじゃ、1人の人間が細部までをも徹底的に管理するのは不可能だ。
リンダが竜になって失ったものは「映画のようなもの」だ。
細部の全てにまで情熱が感じられるゲーム。
それこそが「映画のようなゲーム」だと思う。
「映画のようなゲーム」がスクウェアやEAゲームスによって量産される一方で、映画のようなゲームは少しずつ少しずつ減って行き、市場から消えつつある。もう消えてしまったのかもしれない。
けれども、「映画のようなゲーム」は潰えてはいない。
http://www.ntsc-uk.com/feature.php?fea=ABAGamesInterview
http://www.ntsc-uk.com/feature.php?fea=OMEGAInterview
http://www.tigsource.com/features/interview_pixel.html(情報元兼邦訳)
読み比べていて、そんな気がした。
ありとあらゆる場面において作者の情念が滲み出しているダンジョンクロウルは、「映画のようなゲーム」とは最も遠い場所にある、「映画のようなゲーム」なのかもしれないなと、考えたり、思ったり。