2005年6月4日土曜日

ほんとうに残酷なもの



永久岩のVaultの中じゃ、秩序もとろけず形無しだ。
溶けない壁も、あるって事だ。


あちら側では、消えた穴熊が卑怯とされる。
こちら側では、消えない壁が卑怯とされる。
立場が違えば正反対だ。











例えばの話をしよう。
和尚が2人いたとする。

1人は東海道を東から西へ、もう1人は北海道を西から東へ歩いていた。
一人の和尚は富士山を見て「綺麗だな」と思った。
もう一人の和尚は、ツキノワグマに襲われ凍死した。



そういう事だ。
わかるだろ。
残酷だね。

ああ、これじゃあ、通じないかな?
賢明な読者の方ならわかってくれたと思うのだけれど、駄目かね。
まあ、ちょっとたとえ話が拙かったかもしれない。








もう少し、うまい事言おう。

例えばの話をする。
力士が2人いるんだ。

1人は東海道を東から西へ、もう1人は北海道を西から東へ歩いていた。
一人の力士は安倍なつみを見て「素敵だな」と思った。
もう一人の力士は、ヒグマに喰われて溺死した。





よく、わかったろう。
完璧だ。


つまり、こちら側で卑怯な事はあちら側では律義だ。
向こう側では卑怯な事は、こちら側では律義だ。

書くことが卑怯で、書かないことが卑怯だ。
書くことが律義で、書かないことが律義だ。





僕はここ数日、この今までは卑怯であった。
しかし、この今をして、律義になる。

同時に、僕はここ数日律義であった。
しかし、この今をして、卑怯になる。


卑怯になる為に書いているのではない。
卑怯でなくなる為に書いているのである。







わかりにくい。
確かに、わかりにくい。
わかりよいように、たとえばの話をする。






和尚が1人いたとする。
宗派は、そうだな、無宗教だ。無宗教。
ああ、無宗教の和尚ってのはちょっと変か。

和尚はやめておこう。
力士にしよう。力士に。


力士がいるんだ。
和尚じゃなくて力士がいるんだ。
無宗教かどうかは知らない。
力士が1人いるんだ。


そこに、力士がもう1人いたとすればどうだろう。
力士が2人だ。
言い換えれば、2人の相撲取りだ。



相撲取りが2人いたとなれば、話は簡単だ。
やる事は決まっている。
相撲だ。



ところが、である。
仮に、この2人の相撲取りが兄弟だったとしたらどうだろう。
あくまでも、たとえばの話だ。





1人は「兄弟なんだから手加減してやるのが律義だ」と考える。
もう1人は「兄弟であっても本気を出すのが律義だ」と考える。

正反対だ!
弟は兄の律義さを「卑怯だ!」と思うだろう。
兄は弟の律義さを「卑怯だ!」と思うかもしれない。



兄弟ですら、これなのだから、書き手と読者であれば、どのような。ま、他人の事を気にしても仕方がない。ここ数日抱えていた卑怯さをテトラポットには登らずに、遠投で投げ捨てる。抱えたままじゃあ、さっしが開かない。












その頃の僕は未完成だった。分解のない秩序くらいに弱かった。人としても、そのものとして不完全だった。なぜならば、最も重要なパーツ、世間ではSFCと3文字に略されているものが欠けていたからである。


SFCは随分と前から家の中にあった。「どこにも売ってない」という言い訳を一年ほど聞かされた後に誕生日のプレゼントとして買って貰ったものだ。電気仕掛けの幼児用の縫いぐるみがガチャガチャと太鼓をかき鳴らす中で丁寧なプラスチックの取っ手の付いたスーパーファミコンを親から強奪し、それを家へと持ち帰った。けれども、僕が何度目かの誕生日と引き替えに手に入れたのは「SFCを買って貰う権利」だけであった。



問題点ははっきりしていた。
頭が弱く、一人前の子供ではなかった。
一方はそれは親のせいだとし、親は信心が足りないとした。
親はなんとかして僕を一人前の子供へと仕立て上げようと躍起になっていた。


帰宅して、車を降りる前に成された提案は「3分で九九を」というものだった。指令、かな。とりあえず、その意味が良く理解できないままで胸に抱えた巨大な箱がとにかく無性に嬉しくて、その提案を一つ返事で呑んだ。その数字が途轍もなく遠いものであると気がついたのは随分と後だ。

どの位であったかはもう覚えていないけれど、Vaultで区切られた升目に数字を放り込む度に親戚の家に行く度にずっと遊んでいたゲームの事を一通り思い出してから次の升目へと進入した。緩慢だった。


けれども、それは最も幸せな生活であった。僕には3分という目標があり、夢があり、希望があった。それさえ成し遂げれば最も重要なものを手に入れられるという幸せな時間であった。いや、正確に言うと手に入れてはいたのだけれど、開封したらいけないという決まりになっていた。ある時僕はたまりかねてそれを解き開け、こっぴどく叱られ見えない場所へと取り上げられた。


だからといって、それが遠のいた訳ではない。
僕は少しずつだが確実に、3分へと近づいていた。








僕には他に、まだあった。
体が弱く、一人前の子供ではなかった。
一方はそれは親のせいだとし、親は信心が足りないとした。
親はなんとかして僕を一人前の子供へと仕立て上げようと躍起になっていた。

毎日僕をそっと叩き起こして階段の上でて硬貨を手渡しそれを放り投げさせて、帰りに公園で鉄棒を握らせた。



気がついたら、僕に許された時間は倍になっていた。
3分で100升と3分で5回。それが何を意味するのかはよく理解できていなかったけれど、画用紙に定規でスーパーファミコンやゲームボーイの絵を丁寧に書いているだけで幸せだった。




だけど、ある日突如として近づいていた物が遠ざかった。
レゴブロックの小さな箱を手渡されるのと時を同じくして、1分で100升と3分で5回という新たな指令が下された。とにかく、嬉しかった。3分という目標を達成する。褒められる。物をもらえる。物凄く嬉しかった。1分で100升、というものがそういうものだと気がついたのは、それからだいぶ経ってからだ。だいぶ、というか、1分を切ってから更に相当後の事だ。










そんな中で僕の通っていた学校の組に、教育実習の教師が来た。いや、教師ではなくて学生か。それは女であり、それなりの身なりをしていた。幾つだったのかは知らないけれど、同じくらいの歳になり、それが何であったのかが少し理解が出来るようになった。



それは子供であった。他の子供と同じように僕にあたった。違ったのは大きさくらいのものだった。ある時下駄箱の前を腕を掴んで引きずりあるき、視線を寄越して少し笑って立ち去った。恐怖であった。


僕は弱かったので、恐怖する以外に選択肢が無かった。スーパーファミコンをやりたいと思うのと同じくらいに、強くなりたいと思っていた。怯えるのは懲り懲りだと思っていた。近くの席の学童が挙手をする度に肩を凍らせて鉛筆を握りしめていた。目を突いたら勝てるのではないか、くらいの恐怖はあったが怖かった。




やがて教師が去る日が近づき、教師に向けて作文を書けと言われた。僕は真正直に、思っていた事を書いた。どのような事を書いたのかは忘れてしまったのだけれど、大きくなったら必ずお前を殺しに行くからそれまでに死んでおけ、といった事を書いた。子供って残酷だね。僕は悪くない。悪いのは子供だ。






どうしてかそれは家へとまわり、掌を尻につけて立たされて、メトロノームのように殴られた。一方はそれは親のせいだとし、親は信心が足りないとした。1分で100升と1分で5回という許された目標と言う名の夢と希望は白紙に戻され、1分で100升と1分で5回だけが残った。他に選択肢が無かったので仕方なく、縮まる気配の無い時差に向かって毎日毎日繰り返していた。逃れる術は何もなかった。


それからしばらくして、夏が来た。
いや、冬だったかもしれない。


その教師だった女から、年賀状が来た。
いや、残暑見舞いだったかもしれない。
それは毎年続いて来たが、何が書かれてあったのかなんてほとんど覚えていない。
僕が記憶しているのは、教師になるのは止めにした、と綴られていた手紙だけだ。
その女から葉書が来る度に、横に手本が置かれた机に監視され、鉛筆の握り方がおかしいと言われる中で何度も何度も書き直させられた。握力が少し欠けていた。


それから随分と経って、僕は冬を丸々伏せて過ごした。一方はそれは親のせいだとし、親は信心が足りないとした。年賀状は来ていたけれど、返事を書ける余裕はなかった。そして、夏と冬とに欠かさず来ていたその女からの葉書はそこで途絶え、僕はスーパーファミコンとドラゴンクエストVを手に入れた。



同じくらいの歳になり、あれは教師ではなく老いた子供だったのだと解った。
結局何度も書いたのだけれど、僕が書いたのは1枚の原稿用紙だけであった。
























届いたのだろうか。
永久岩のVaultの中から。