2005年6月3日金曜日

藤代裕之さんへ贈るリアル。



どうして、「藤代裕之はレッテル貼りを行う議論の出来ない人物」
という指摘に対して、レッテル張りで対応するのですか?


「レッテルを貼って人格批判を行う」
という僕が提示した藤代裕之観をそのままなぞるのですか?





全ての責任を「引き篭もり」に求めてどうするんですか?
「全国紙」が「引き篭もり」に置き換わっただけじゃないですか。




僕は藤代裕之さんが「地方紙>全国紙」「問題意識を持つ俺>脳天気な同僚」という絶対的な価値観を基準にして"議論"と呼ぶものを行ってきた事を批判しました。


それに対するリアクションが「働く俺>引き篭もり」という絶対的価値観の提示というのは、批判し、指摘したその通りの行動です。
読ませて頂いて、これは無理だな、としか思えないです。





文章に対して投げかけた文章を「リアルが全て」という意味不明の絶対的な基準を持ち出して処理する人間に対して何かを言う事は不可能です。議論どころか、会話すら成り立ちません。


「リアル」って何ですか?



そして、ほとんどのブロガーが、イベントや旅行、買い物など身の回りの出来事や家族や友人との付き合いや悩みなど、リアルに根ざしたエントリーを立てています。



って、ご存じでは無いようですが、当ブログでは「リアルに根ざしたエントリー」を書き続け、投稿し続けてきています。





「リアル」って何ですか?
「サイバーへ引き篭もる」って、何ですか?
サイバーで文章を流すことにより生活している藤代裕之さんは「リアルの住人」なんですよね。対してフィードバックを生活へと持ち込む事なくブログを書いている僕は「サイバーへ引き篭もる」なんですよね。



という事は、僕が真面目にアフィリエイト貼って稼いで生活していたら「リアルの住人」に認定していただけるのですか?それとも「実名で書く事」ですか?


本当にわからないので、お聞かせいただきたい。











藤代裕之さんは過去のガ島通信において、ジャーナリズム考現学さんを「発想そのものが全国紙的」と、高田昌幸さんを「出している和菓子には問題があるけど、私たちは懸命にやっているし、努力している。ただ、組織はそう変わらない。それぐらい分かってるでしょ?」「メディア側の論理しか見えません」と、レッテルを貼って門前払いし、カレーとご飯の神隠しに記載されていた具体的な指摘に対しても「私は炎上とは思っていませんけど」と具体的な事には一切答えずに結論だけを述べています。


そのような人物に対して、どのような文章を書くべきかかなり悩みました。
矛盾点を1から指摘する文章も書いたのですが、繰り返された異論反論に対してレッテルを貼って対処するか論点をずらし言い訳に終始してきた人間に何を書いても無意味であると判断し、ガ島通信というメディアを全て読んだ結果として抱いた評価を素直に書く事にしたわけです。





私がヘナチョコとへりくだることで安全圏に自分をおいてメディアを批判したように、hankakueisuu氏は引き篭もっている(頭が悪いという言葉もある)という設定で安全圏に身を置ている(その際、hankakueisuu氏が本当に引き篭もっているか、引き篭もっていないかは無関係である)、自分が傷つかないように。



頭が悪い人間が自己紹介の途上や、謙遜としてその事実を書く事が、卑怯であるとは考えていません。






僕が指摘したのは、議論がしたいと言いながら反論が寄せられた際に、


・全国紙的発想ですね。(レッテル張り)
・頭が悪くて書けませんでした。
・私の文章をちゃんと読んでいませんね。


という3点に責任を転嫁して安全圏から全てを処理する姿勢です。
「答えない」という最も安全圏な選択肢が一番多かったですが。




つまり、反論に対して「頭が悪い」「故に上手く書けなかった」という免罪符を持ち出す事に対する批判です。真性引き篭もりのどこを読んで「頭が悪いという言葉もある」としているのかは知りませんが、私投稿と混同しないでください。僕は頭の悪さや無教養さに対する責任は全面的に背負います。










「何度も言いますが、物事は複雑です。」
と、僕のそちらに対する初投稿以来散々述べてらっしゃいますが、高田昌幸さんの「物事は複雑だ」という指摘を菓子屋で切り捨てた人間が、そんな事を平然と言ってのけるのを見ていると、本当にどうしようもありません。
都合のいいように、都合のいいように変節し、新たなアリバイ、新たな材料を探し続けておられますよね。「リアル」の次は何を拾ってくるのですか?先日の投稿ですら1日遅れていたらどのような事に利用されていたか解らないというのを想像すると背筋が寒くなります。





「自分が傷つかないように引き篭もっている」
と主張なさっておられますが、真性引き篭もりではブログというメディアに対する姿勢がまったく相容れないと思う某弾道ミサイルブロガーからのトラックバックでさえ削除したことがありませんし、コメント欄も昨年来から荒れ続けていますがガ島通信さんとは違い、引き篭もらずに解放しきっています。


「自分が傷つかないように引き篭もっている」
のはどちらですか?




どうして僕が以前「荒れるブログの作り方」で書いた「リアルに引き篭もればいい」という最強の対処法を平然と行って、それをぶつけて来られるんですか?








まるで初期のガ島通信のように…。近親憎悪にも似たコンプレックスとガ島通信@藤代裕之が望むものではなくなった失望。リアル藤代裕之はhankakueisuu氏にとって「ダメ」でなければならなかった…(新聞を憎んでいるとか仕事が嫌いだとかもはずれています。hankakueisuu氏が行間や言葉の裏が読めなかったのではなく、藤代裕之が仕事が嫌いでなければならなかったのです)。



あの、酷いです。
僕はガ島通信@藤代裕之に何一つ望んでいません。

批判や指摘に対する解答を行わずにマスコミを攻撃し続けた人間が、罵倒によって集めた2万PVという数字を武器にマスコミに転職するというグリーンメーラー的卑劣さへの怒りはありますし、エントリーを一瞥して条件反射的に書かれた文章がウェブ上を駆けめぐる事への抵抗感もあります。






「リアル藤代裕之はhankakueisuu氏にとって「ダメ」でなければならなかった…」
という文章が核となっていますが、「ダメだ」「ダメだ」と延々と書き続けて来たのはそちらでしょう。自分で書いた文章に対する責任は一切取らないおつもりですか?ご自身で書いてこられた事を全部無かった事にして、それを反論材料にするというのは、正直正気の沙汰とは思えません。


「なければならなかった」のはどちらなんですか?


・レッテル張り。
・頭が悪くて書けませんでした。
・私の文章をちゃんと読んでいませんね。


という、ガ島通信そのままじゃないですか。





私はサイバーという虚構世界の言葉遊びをガ島通信でやってきたつもりはありません。



存じていますよ。
「勇気が欲しい」って仰ってましたよね。
ブログで新聞を攻撃し、退職をする勇気と新たな職を得た。
インターネットを自分が幸せになる為の道具として使う。
素晴らしいじゃないですか。自分たちが利益を得る為に好き放題の暴力的な報道を続けるマスゴミそのものですね。僕が「無かった」と書いた事の意味がおわかりですか?






私はサイバーという虚構世界の言葉遊びをガ島通信でやってきたつもりはありません。hankakueisuu氏が脳内世界の妄想でとどまるならそれでいいでしょう。しかし、それならば私のことをあそこまで書く資格はない(とか書くと「資格ってなんだー」という反応がありそう。あそこまで、です。程度問題です)。今までどおり「引き篭もればいい」のです。



意味がわかりません。
僕もサイバーという虚構世界の言葉遊びをやってきたつもりはありません。
全責任を負っています。






>hankakueisuu氏が脳内世界の妄想でとどまるならそれでいいでしょう。
って本当に意味がわからないんですが。


インターネット=脳内世界の妄想なのですか?
ワールドワイドウェブはリアルじゃないのですか?
新手のゲームか何かですか?


読まずにレッテルを貼るのがリアルで、過去のエントリーも全て読めと言われて真面目に全て読む事がサイバーなのですか?お前暇だな(藁)ですか?




「マスコミ」や「ワイドショー」といったものはは脳内世界のものではありません。好き放題に書いてお金を稼いで生活している人達は、立派な労働者であり、リアルです。


同じく矛盾点や問題点の指摘を完全に無視して好き放題に書いてお金を稼いで生活している藤代裕之さんも、脳内世界の妄想の住人ではないわけです。


では、真性引き篭もりhankakueisuuのどこが「脳内世界の妄想」なんですか?
現実世界の現金というフィードバックを受け取っていない事なのですか?


「リアル」。
それは、何なんですか?








。あそこまで、です。程度問題です



程度問題というのは、自分に都合のいい事は書いてもいいけれど、ムカつく事は書くなって事ですか?僕は藤代裕之さんが度々述べてこられた「読んでいませんね」という主張を受け入れて、エントリーを一瞥して文章を書く人間へのアンチテーゼとして、ウェブ上に存在するガ島通信関連の全ての文章に目を通した上で書かせていただいたのです。



大量に引用を用いてますし、疑いを持った読者さんには本家の原文を読んで確かめていただけるようにと周辺系へのリンクも貼りました。





ガ島通信ではこれまで、問題指摘する投稿が幾度も繰り返されてきました。
僕はそれに対する藤代裕之さんのレッテル張り、完全無視、論点のすり替え、責任転嫁といった対処を見て、問題を指摘しても無駄であると考え、見解を述べる形の投稿を行ったわけです。


僕が一方的見解を述べるに止め、放置可能な形で投稿したのは、藤代裕之さんには何を言っても無駄であり、レッテルを貼り、論点をずらし処理されてしまうだろう、という推測からです。真面目に書かれた文章に対して「全国紙的発想ですね」とか、「ケーキ屋だと」とか言い、再反論や再指摘には完全無視を決め込む人間に何を言っても無駄だと思いました。







もしも、半年にわたって繰り返されたあれらの対応が何かの間違いであったとするならば、これまで成された異論反論にでも構いませんし、新たに異論反論を募るという形でも結構ですので、3人ほど選んで解答して見せて頂けませんか?


話の出来る人間であるという所を見せていただけませんか?
ラプターさんや徳保隆夫さんとは違い、何を書いても無駄だと思っています。
そんなコミニケーションとして成立しないコミニケーションを行う気は、今のところありません。





私はこの連載の二回目から再三言葉の定義の不備を指摘しているが一向に改まらない。
例えば連載の第三回、「既存メディア」という言葉の使い方は以下の有様。


>ネット上にあるソースのほとんどが既存メディアから発信されて
 ⇒新聞、ラジオ、テレビなどITの発達以前からある(発信者としての)マスメディア
>一方、既存メディアからの
 ⇒新聞社
>既存メディアとネットでは、
 ⇒ネットを伝達手段の主としないマスメディアのビジネスモデル
>既存メディアはニュースで食べているという意識が強すぎて
 ⇒新聞社(通信社含む。且つロイター通信除く)の企業意識(或いは経営方針)
>既存メディアは「ホリエモン祭り」を巻き起こして
 ⇒ライブドア情報を伝えた(発信/媒介者としての)メディア(ネットを主な伝達手段とするメディアを除く)
>ニュースの使い方を自覚しなかった既存メディア
 ⇒新聞社(通信社含む。且つロイター通信除く)の経営戦略


「既存メディア」というくくりで何から何までごっちゃに理論を(おそらく思考も)展開している。
これでは何を批判し何を評価して何を問うているのかさっぱり分からない。
高田氏の「「伝達手段」の話であって、「伝達内容」とごっちゃにして論じるのは、少し違うのではないか」という疑問は至極当然だ。


~(hal*、2005/04/29)
~日経BPコメント欄より



カリーさん所から連想引きで悪いのですが、hal*さんの上記の指摘に対して、解答できるものをお持ちですか?滅茶苦茶な論理で「既存メディア」「新聞社」「新聞記者」というものを散々に叩き続けて来た事に対して責任を取る形での説明が出来るのですか?








きちんと対応して頂ければ、こちらもきちんとした対応をします。



真性引き篭もり攻撃において使用した「リアル」という言葉の定義を書き、説明を行った上で、異論や反論を募るなり、過去ログから選び出すなりして3人くらいの質問に対しきちっと解答し、会話の出来るところを見せて頂けたならば、もう1度自説の展開という形ではなく、最初はそうするつもりであった「藤代裕之さんへの文章」というものを真面目に書かせて頂きます。









これは藤代さんじゃないので関係無いですけど、ガ島通信で「その反権威は一番厄介な切込隊長や、膨大博識なファイナルベントには向かっていかない」とコメントなさってる方がいましたが、http://sinseihikikomori.bblog.jp/category/sine/荒らしの親玉ってカテゴリーがあるんですが。また、藤代裕之が2ちゃんねらーよりもやっかいだとは思えないのですが。


確かめずにそういう逆引きをするのは止した方が良いと思います。