2005年6月18日土曜日

顔が見えるという不安



顔が見える企業、ってのは頼りがいがある。というか、信頼が置ける。
けれどもそれが逆にデメリットになる場合もあると思った。






顔が見えない企業、ってのは匿名企業だ。
誰が何をやっているのかわからない。
通説的に言うとだから不安である。


顔が見える企業、ってのは実名企業だ。
誰が何をやっているのか見えてくる。
通説的に言うと、だから信頼が置ける。


でも、その構図があらゆるものに当てはまるというわけではない。
顔を見せるってのが無条件で肯定要素なのは有機野菜くらいのものなんじゃなかろうか。

というか、有機野菜であっても作り笑顔で笑われるとうさんくさい。本来ならば製品の性能をアピールするべきなのに、人柄や人相というフィールドに問題を持ち込み消費者を丸め込んでいるとしか思えない。

ところが、世の逆淑女さん達は「まあ、素敵な笑顔素敵な野菜」みたいなムードでそれにころっと行くわけだ。もちろん、顔の見えない外国野菜や既存野菜への反発ってのもある。けど、それを購買に結びつけるのならば、それこそ製法、製作過程を写真と文字で表すべきであって、「うちのじさまも、息子も食べています!」みたいな顔写真でアピールすべきじゃない。

それじゃあ売れないから、とフィールドを変えているわけだ。まあ、顔を見せるってのは信頼どうこうじゃなく、宣伝戦略になってしまっている。極端な話、有機野菜の笑顔の裏でDTTぶっかけてるかもしれない、ってのは極端な話であり、言い過ぎだが。




口八丁手八丁のたかたの社長の売り笑顔や、よくある自己啓発系の「俺はこれで成功したぜ~」みたいな両目見開いたレタッチ写真、あるいは中身なんにも無いのに高い講演料で各地を回っている企業家もどきみたいなのを見ると、「商品を売らずに人を売る」というものに宗教臭さを感じてしまい、嫌悪感を覚える。

ってのは本題じゃないから置いておこう。







日記というかメモのようなものをつけているのだけれど、その整理整頓が上手く出来ずに困り、はてなダイアリーを借りようと思い立った。ところが、「はてなに登録したら負け」みたいなムード以外に、心理的な壁がある事に気がついた。

それが、運営側の非匿名性だ。



公開できる事は全てブログに投稿しているわけで、メモの側は全てが絶対に公開できないような自分自身の事である。それを顔の見える運営母体に預ける、ってのは相当に抵抗感がある。

もしも、はてなダイアリーの運営母体がYahooや、MS、Googleのような顔の見えない匿名企業であれば、なんの迷いもなくレンタルし、プライベートモードで書いていただろう。けど、顔が見えるとそうはいかない。
「えー、こいつら見てんのー?」といった言葉に出来ない不安がわき上がる。



これは僕の側に問題でレアケースなんだろうとは思う。けれども、やっぱりなんか顔の見えている奴に読まれる可能性がある、ってのは凄い不安だ。




プライベートな事を書く、という例外的な場合を除けば、


はてな>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>Google>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>MS>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>Yahoo
といった具合なのに、これが公開するためのものでなくなると、

MS>Google>>>>>>>>>>>>>>>>>Yahoo以下略になる。
なんか嫌なんだよな。
見られたくない文章を見る事が出来る立場にいる奴の顔が見えている、ってのは。ものによっちゃあ、企業匿名性ってのはかなり重要。アダルトグッズとかも多分そうなんじゃなかろうか。ウェブサイトに「私が責任を持って梱包します!」と、笑顔で販売者の顔写真が載ってたら嫌だろう。アダルトグッズなんて買った事無いからわからないけど多分。

あー、MSあたりに売ってくれないかなー。
はてなダイアリーシステム。
そしたら心おきなく借りれられるのに。





そんなわけで、xyzzy-howmでちまちまとやっている毎日。メモ取りやタグ付け的には互角なんだけど、xyzzy-howmは小さなメモがどうしても増えるので見渡しづらく、タグクリックで出てきたものをマウスでぐりぐりまとめて読める、ってのに憧れつつも、まあそれなりに使い勝手もいいのでこれでいいか、的な妥協。やっぱり、タグ分け+HTMLを見渡しクルージグってのがしたいんだけど。






任天堂信者の任天堂観のような、
「誰が何をやっているのか見えてこないんだけれど信頼が置ける」
ってのが商品を使う側から見ると、最高なのかもしれないと思った。

致命的なミスをしたって企業がズドーーーンとコメント出して対応すれば、「下っ端が血迷ってやったんだ」みたいな修正が効くし。