2005年6月13日月曜日

近藤の限界



近藤は近藤の限界を迎える。
何故ならば近藤は無限ではなく近藤は有限であるからだ。




















はてなアイデアは凄い。
読めば読むほどその凄さがすご凄い。
あれは、道具などではない。

革命である。
不具合報告革命である。











従来の不具合報告とは、要求である。
要求において、権力は要求する側にあった。


  駄目だ!
  直せ!
  当然だろ!
   「直しました。」
  ありがとう。







という段取りだ。
ところが、はてなアイデアはその権力構造を破壊した。

はてなアイデアにおいて不具合報告は要求ではない。
ゲームだ。



そして、ゲームにおいて権力を持つのはゲームマスターだ。
極めて単純な話で、はてなアイデアで不具合を報告する人間は、はてなマスターの掌ではしゃぐテーブルトークRPGの1プレイヤーである。当然、何の権力も持たない。

ゲームであるからして、望みが叶えばラッキーだ。
望みが叶った!という成功と、ポイントという報酬の2つのリターンを得られる。

ゲームであるからして、望みが叶わず却下されたはアンラッキーだ。
「失敗だった」「ついてなかった」と反省するのはユーザーの側である。




通常の批判要求にあるような「グーグル死ね!」といった責任所在の導きは成されず、全てがユーザーの側へと降り懸かる。良いアイデアを出すゲームという枠組みの中で「駄目なアイデアを出したユーザー」に責任がある。まさに見事な構造改革である。

ゲームという革命である。









はてなに発明家はいないというのは、衆知の事だ。



はてなに世を読めるセンスオブワンダーな発明家はいない。

はてなに出来るのは、はてなユーザーという資産と、後発の優位さ、速度と言う唯一の武器を持って手頃で適当なサービスを作り上げるか、潜水艦に向けて9四歩な爆雷を投げ落とすかの2択である。

著作権にしても、実名登録にしても、RSSにしても、ダイアリーにしても、ブログにしても、世間の動向を見て後追いで適当に対応してきた。もちろん、その後追い速度の速さと対応の正確さは凄さと呼ぶに値するものなのだが、先行入力で完成品を作り上げる能力は無いという事である。

はてなにとって世間の声を後追う速度を上げる事は、その発展の為に必須であり至上命題である。その至上命題を達成する為に生み出されたのが、ユーザーの要望を効率的に回収する為の道具、それがはてなアイデアである。




単純な話だ。
自分達が出来ない事を他人にやらし、自分達はコーディングに徹する。

単純な話ではあるが、簡単な話ではない。












ユーザーは最高だ。
勝手に働き、勝手に広める。
勝手に改良し、勝手に使う。

ユーザーを使う。
それは凄い。大事だ。





かつて、日本のアニメーションを全米中に広めたのはユーザーだ。
ユーザーが勝手に働き、ユーザーが勝手に広めた。
勝手に改良し、勝手に基盤を作った。
らんま1/2のユーザーによる無償翻訳が無ければ、犬夜叉の今は無かっただろう。

つまり、ユーザーの後をうまく追い掛けられれば利益は得られるのだ。
多くの大企業は市場の動向を掴むのに大金を支払っているし、リリース前には金を払って何度も何度も改良を加える。そうして完成したものを、市場へと送り出すのである。



はてなはそれを逆にした。
まずとりあえず出してから、ユーザーにアイデアの修正をさせる。
「やりません!」と言ってた事を平気で翻すぐやるし、「やります!」と言っていた事を平気で翻すぐ止める。一見すると統一性や企業としての軸が無いように感じられるがそれは違う。ただ順序を逆にしただけなのである。



それは、ウェブサービスだから成せる事だ。

これが発泡酒や車であればこうはいかない。
商品としての初動が重要で、また修正不可能な製品では、最初にリリースするまでにいかにユーザーの動向を読み取り、完成度を高められるかが重要である。はてなが提供しているものが商品ではなく、サービスだから成せる業である。

その具現化がはてなアイデアだ。
まさしく最も近藤的なはてなだ。










オープンは結果ではない。
オープンとは戦略であり、戦術であり、攻撃である。



ユーザーを使えるものなら使いたい。どこの企業も考えている。
彼らは勝手にブームを作り、勝手に信仰し輪を広げる。
企業にとってはいい事尽くめだ。
しかし、それは簡単ではない。
何故ならば、ユーザーを育てるというのは非常に困難な作業だからである。

ユーザーの育て方、最もいいのは何かを与えてやることだ。
何かを与え続ければユーザーは絶え間なく蠢いて、企業の為に働いてくれる。



最も良いのは満足だ。
満足した彼らは自ずからユーザーとなる。

他では、製品だ。
製品をばらまけば、手にした者は勝手に働きユーザーとなる。

あるいは、金だ。
作り上げられた巨大化写真のクッキーが、世界各地で大絶賛だ。

もしくは、宣伝だ。
打ち続ける宣伝で大衆にイメージを刷込み洗脳し、ユーザー化する。






「はてながユーザーにばらまいている"何か"とは、何か。」
はてなは他の企業と同じように、ユーザーを育てる為に"何か"をウェブ上でばらまいている与えている。



それは、何か。
簡潔だ。

情報である。




情報を与える。
ユーザーよろこぶ。
ユーザー働く。
はてなよろこぶ。


無限循環永久機関再生産。
単純であり、完璧だ。






つまり、である。
はてなの場合、情報を与えなければユーザーは育たない。
アメーバが金を出したり、ライブドアがデパートやポイントを出したりとユーザーへ餌を与えて自社を育てる為に働かせている。はてなはそれと同じ事をやっているだけである。奇妙奇天烈でもなければ、異端児でもない。至って平凡な餌を与えるという、しかしながら非常にアグレッシブにフォルテッシモな攻撃的仕掛けである。
攻撃としてのはてなはオープンであるが、はてな検問やはてな添竄にわかるように、本質としてのオープンでは無い。戦略としてのオープンである。








はてなアイデアは凄い。
言うまでもなく物凄い。

ユーザーを有効活用出来るからだ。
はてなが手に塩して育てた近藤を最大限に使えるからだ。



普通、ユーザーに耳を傾けた際に聞こえてくるのは大声を出せる奴の声だ。
あとから細々ぼそぼそと、小さな声で色々来る。
それらを寄り取るのは困難を極める。

そこで、はてなアイデアだ。
ユーザーの声を選別するのにユーザーを使う。
大声を出せる人間も小さな声の人間も、同じ1票の重さとなる。
しかも、選別するのははてなが情報を与えて育てたコアなはてなユーザーだ。




彼らははてなが「何を出来るか」を知っている。
また、「何をしようとしているか」も知っている。

何故知っているのか?
それは言うまでもなく、はてなが情報をオープンにばらまいて教育したからだ。







知っている。
つまり、はてなアイデアというゲームの中で勝つ方法を知っているのだ。難解さと取っ付きにくさを兼ね備えたはてなアイデアというゲームに時間を費やし興じられるのは、はてなが出す情報を食い尽くしたはてなの分身である。言うなれば近藤淳也の分身である。



並の企業ではこうはいかない。
光栄信者に信長の野望の新作アイデアを出させてみろ。

それはもう、壮絶な事になる。「面白くしてください!」とか「かんのようこ!」とか言い出し、挙げ句の果てには「シドマイヤーを招聘しろ!」とか言い出す輩もいたりして、収拾がつかなくなり、どれが「本当に求められているもの」なのかの判断にべらぼうな時間が必要だ。収めようがなく、悪影響しか無いだろう。びるろーぱー!







その点、はてなは完璧だ。本当に凄い。

はてなアイデアユーザーの中核にいる教育されたハテナーユーゲント達は、はてなが作成可能な難易度、注ぎ込むことが可能な労力、可能かどうかの判断、方向性、といったありとあらゆるはてなに精通しており熟知して、最適化された選別を行う。はてなアイデアは時間と共に、完璧なものへと進化し続けるだろう。経れば経るほど良いはてなアイデアになるだろう。

はてなアイデアが唯一無比なのは、はてなの能力、方向性、優先順位、といったものを知り尽くしているコアなマニアの多さである。これは凡百、いや超百の企業がどれだけ努力しても手に入れられないであろう凄さである。逆に言うと、普通のインターネッターがはてなアイデアに流れ込むとそれは普通のアイデアとなり、優位性特性を失い困るのである。




「はてなが実現可能なアイデア」をユーザーに選ばせる。
オープンで何を出来るのかを衆知させているからこそ成せる業である。
「オープンにした」というよりも、「クローズドに出来なかった」という言い方が正しい。







「アイデアを出させるという作業をユーザーに任す」
それ自体は新しくはない。
全然新しくない。
画期的でも何でもない。

これまで幾つもの企業がユーザーからアイデアを募り、それを製品化してきた。
「良いアイデアには100万円!」だとか、「特製グッズ!」とかだ。近い所で言うと、任天堂がDSでやっているようなやつだ。けれども、はてなはこれらとは違う。


ユーザーのアイデア応募動機を「ゲーム」という枠組みに流し込んだのである。
はてなアイデアはゲームだ。面白いぞ。ファンタジーサッカーみたいな奴だ。違うけど。とにかくゲームだ。ゲームは勝ってこそだ。と、ユーザーにアイデアを出す動機を与えた。

余りにも凄すぎて、狡猾という言葉でしか言い表せぬくらいだ。







もちろん、「緊急性の高い要望の発見」という側面も持つ。

もしも、実名登録問題のようなユーザーが重要だと思う問題や、致命的な不具合が生じた場合、ユーザーはその要望に殺到し、株式会社はてなは即座(数時間で!)にそれを発見する事が出来る。これは、はてな政策の失敗を修正する為にも使えるし、はてな発展の最適化にも使える。
センスオブワンダーな射手がいないはてなにとって、方向修正のスピードは全てであり、全てである。これまで行ってきたような後手後手の修正を高速化させ、効率化する為の道具である。ま、天才なんてどこにもいない。モリニューもライトも皆死んだ。それはつまり、即ち、ユーザーの声を聞く為の道具を作り上げたはてなというはてなアイデアが如何に優れた道具であるかを裏付けするものである。とはいえ、結局最終的にどれを選別するかという点と方向性で一定量の特別なものが必要となるのは間違い無いのだが。












しかし、はてなアイデアにも弱点はある。



「オープンにされるとまずい不具合」
が発見され、はてなアイデアに流れ込むとどうなるか。

「悪用される可能性のある不具合」
が先鋭的はてなアイデアゲーマーに発見されるとどうなるのか。





例えば、「カウンターのデータを他人でも閲覧可能」や、「mixi認証の脆弱性」といった不具合が生じた場合、それがはてなアイデアで公開されてしまうと、リスクが拡大し、被害が広がる。一度広まってしまった脆弱性は消火できない揉み消せない。

それらに対する対処や、窓口の作成がはてなアイデアでは行われておらず、下手をすれば「ポイントをGETしたい」という先鋭的ゲーマーによりリスクの拡散が行われるだろう。この点では自らの傷口を広める為の道具として機能してしまう可能性が高く、はてなアイデアという革命下での不具合対応における唯一最大の弱点である。

その不具合が致命的なものであった場合、はてなは2度死ぬ。3度死ぬ。
不具合が広まり死ぬ。不具合を広める道具を作り死ぬ。対応を間違えばもう一度死ぬ。













はてなアイデアは完璧なシステムだ。
しかし、問題が無いわけでもない。


はてなの想定対象ユーザーの一人目は近藤淳也だ。
これは長所であると同時に、欠点でもある。






近藤が使って使いよい道具というのは、はてなが使って使いよい。
はてなが使って使いよい道具というのは、はてニスタが使って使いよい。





しかし、である。
はてニスタが使って使いよい道具をどれだけ完璧に作ってみても、一般ピープルの使って使い良い道具は出来上がらない。つまり、はてなが作る道具を有り難がるのは一般ピープルでは無いのだ。はてニスタ、つまりは近藤な人達がはてなアイデアというゲームを通じて選び出すのははてな的なアイデアだ。

近藤は近藤にしかなれず、はてながはてなにしかなれない。
それが近藤の限界であり、はてなの限界であると僕は思う。

はてなアイデアは、はてなのはてな化を最適化する為の優れた道具であると同時に、はてなのはてな化を促進させ、はてなの限界をより明らかに硬化導く。







おそらく、と言っては何なんだが、手元のシンクタンクから先日見せられたデータから頂いた所によると、はてなのサービスの中で一般人が有り難いと思えるものは非常に少ない。
「はてなキーワードを伝ってのアクセス」と、「はてなアンテナ」くらいのものだ。そして、その2つは大昔に作られたものである。「はてなでは無いはてな」は、だいぶ前に終わってしまったのだとも捕らえられる。








近藤な人々にとって株式会社はてなの道具というのは正しく神のツールだ。
その近藤な人間がはてなアイデアを通じてはてなの近藤化を加速させた場合、はてなというウェブサービス会社はより近藤化してしまい、大衆化のきっかけを掴めずに終わる。


もちろん、「大衆化する事=アガリ」では無いからして、それが駄目なわけではないが、近藤というパイはそれ程大きくない。つまり、近藤の限界は間近に迫っている、あるいはもう既に近藤の限界に達しているのかもしれない。

「はてなは、近藤の壁を越を壊せるか?」
難問だ。
難問だが、壊せないだろう。


はてなブックマークがソーシャルなブックマークで無いのと同じように、はてなアイデアが放り出すものもまた、ソーシャルではないアイデアだ。はてなアイデアだ。それは近藤的なはてニスタにとっては"最善の選択"だろうが、多くの人はその利益を被ることが出来ない。結局の所、「はてなダイアリー+はてなアンテナ」の総和がはてなの限界であり、それを打ち破る事は出来ないだろう。






「特定の人が最高だと思うもの」それは狭き門だ。危険な道だ。

「はてニスタが最高だと思うもの」それは狭き門だ。危険な道だ。
ADOBEやAPPLEのようになればよいが、利率からしてセガやクインテットやデータイースト程度に停滞し老朽化し、GREE的に淘汰されて限界の壁に消えるだろう。greeが滅びていないのと同じくらいかそれ以上にはてなは滅びないであろうが、近藤化するはてなはmixiにはなれないだろうという事を、非常に強く感じる。


あるいは、脱はてな、脱近藤、いや、論外。
それに待つのは凡庸化であり、バッドエンドだ。
あるいはせいぜいノーマルエンドだ。はてなエンドでは無い。













はてなはポルシェを作れない。
はてなはビートルも作れない。
では何を作るのか。
何も作れない。
精々はてなだ。


現状のはてなは、"人力検索"としては機能していない。もちろん、ぐだぐだのコミニケーションBBSから利益を生み出す、という収益モデルである事は物凄いのだが、もはや金のかかる童貞くさい大手小町という程度の留まりであり、それ以上の説得力を持つ日は来ないだろう。


とすると、やっぱりイコール「ダイアリー+アンテナ」である。
それを越えられるだけの発明をはてなが成せるのか、となると非常に疑わしい。


もちろん、"近藤"が喜ぶものはこれから先いくらでも出るだろう。
しかし近藤は無限ではなく、近藤は有限である。
その近藤の壁を乗り越えてインターネットにはてなを解き放つには、それ相応のファンタジーが必要になる。


はてなには、ファンタジーが無い。「枯れてしまった」と捕らえる事も出来るだろうが、最初から無かったとするのが正解だろう。近藤淳也はファンタジスタでは無い。

彼はトーマスグラベセンでありクロードマケレレでありディディエデシャンだ。超人的労働者に過ぎない。無論、オレンジ革命は起こせない。
武器は労働力と対応力、スピードと適応力である。
フットボーラーはボールを追う。
はてなは近藤の分身を追う。



物凄いスピードと正確さで追い掛け続け、改善改良続けた所で、得られるものは諸手歓喜のはてニスタだ。それは、はやくも、もう、はてなが「ユーザーを抱え込むという局面」に突入してしまっているという事でもある。

はてなアイデアとはそういう事だ。














はてなの癌は近藤であり、はてなの宝は手塩に掛けたユーザーだ。
近藤イコールユーザーで、ユーザーイコール近藤だ。
癌はイコール宝であり、宝はイコール癌である。



結果として、はてなははてなになるだろう。
いや、はてなははてなにしかなれぬだろう。