2005年7月3日日曜日
美しい裸
風呂に入った。
数日体を洗わなかっただけで、汗で蒸れて皮膚がどろどろになり、なんとかして治そうと懸命に掻きむしっても、爪痕が赤く腫れ上がるだけで、何一つ解決しない。暑さも、臭さも、汚さも、醜さも、弱さも、何一つ解決しない。結果として体中のあちこちが、アブドラザブッチャーの額のようになり、「飾り包丁を入れて焼き上げたいちごパンだと思って見れば、そんなに気持ち悪くない」などと必死で言い訳を考えてみたところで、気持ちの悪さは少しも減らない。これだから夏は嫌いだ。
その何もかもを脱ぎ捨てて風呂に入り、体中に点在するいちごパンといういちごパンの全てに対し、かなり熱めのシャワーを浴びせ、身も心も綺麗になって気分が良く、半裸で鏡の前に立ってみた。すると、美しい。
首から腹まで列を成し、全て丸見えの横骨が絶妙の間隔で整然と並んでいる。自分の裸を見て喜ぶようなナルシストでは無いし、事実喜んでなどはいないのだけれど、鏡に映った自分の裸はそこはかとなく美しい。少しの脂肪もなく極限までそぎ落とされた究極肉体美、などと書くと誤解されそうなので一言でそれを表すと、ボクシング選手の体から筋肉を全て取り除いたような裸である。
あまりにも美しいので酔いしれてじっくりと観察していると、右胸は収穫し終え放置されたサツマイモ畑の畝のようなでこぼこであるのに対して、左胸はAAAカップくらいの膨らみがある事に気がつき、「揉めるのではなかろうか」などとよくわからない感情に捕らわれ、執拗に撫で回してみたのだけれど、手の平に伝わるのはゴツゴツとした骨の感触だけであり、少しがっかりして脇の下を揉んだり、尻を揉んだりしてみたけれど、虚しくなる一方であった。
とはいえ、やはり美しいものは美しいわけで、その醸し出す曲線美やら間隔やらに酔いしれていると「ああ、人間に生まれて良かった」などと在り来たりな感嘆符を打ってその凡庸さに辟易したりするくらいに、それは美しいわけである。
けれども僕は、他の生き物の裸をじっくりと見た事が無いので、おそらくこれはただ単に「人生経験が足りないだけ」という悲しい美しさへの驚きなのだろう。そんな事は気にせずに、美しいと言い切れるくらいに、僕の裸は美しい。途方もなく美しい。
結局の所唯一の美しさとは、裸ではなく骨なんだろうと思う。