2005年7月17日日曜日

未知の突風、既知の風。



揺れる窓枠を耳に聞くと、風が吹いているのだとわかります。
それは昔、風が窓を揺らしているのを目にしたからです。

もしもあの時見たものが、風ではなくて、まぬけな蝙蝠であったのならば、「まぬけな蝙蝠が勢いよく、ガラスめがけて飛んでいるのか。」と思うでしょう。けれども、そうは思えません。あれは風です。明らかに。




揺れる大地を体で聞くと、地震が来たのだとわかります。
それは昔、プレートが日本を揺らしているのを目にしたからです。

もしもあの時見たものが、プレートではなく大きななまずであったのならば、「おおきななまずが今日もまた、暴れているのか。」と思うでしょう。けれども、そうは思えません。それは地震です。明らかに。




揺れる視界の匂いを嗅ぐと、酔いが来たのだとわかります。
それは昔、3Dが自分を酔わしているのを目にしたからです。

もしもあの時見たものが、3Dではなくて酷い頭痛であったのならば、「ああ、またか。」と思うでしょう。けれども、そうは思えません。「ああ、またか。」と思うだけです。それは3D酔いです。明らかに。




揺れる信念の揺らぎに気づくと、その不確かさがわかります。
それは昔、確かになろうと信念を、貫くべきだと思ったからです。

もしもあの時願ったものが、確かさではなく幸せであったのならば今頃は、Holy Shitな時間でしょう。けれども、それはありません。これが幸せです。何もありません、明らかに。




揺れる心に揺れ動かされて、それが何だかわかりません。
これは一体、何なのでしょう。わかりません。知りません。

いつの日かまた訪れて、「わかりません。知りません。」とでも思うのでしょうか。わかりません。知りません。わからないことはわからないまま、知らないことは知らないまま。ずっとこのまま揺れてくのでしょう。地に足つかず、立てないままで。