2005年7月19日火曜日

「ひぐらしのなく頃に」コンシューマ移植に際し、望むこと。



ひぐらしのなく頃にが許せない。
断じて許せない。極めて不快である。


何が許せないかというと、食べ物を粗末にする描写がある。
それが、許せない。極めて不愉快である。










「日本人にとって」などと言っていいのかどうかわからないけれど、日本で生まれ育った自分にとって、「食べ物を粗末にしない」というのは人として絶対に守らねばならぬ、重要な事である。




「食べ物を粗末にしてはならない」という命題に反する内容を含む「ひぐらしのなく頃に」というゲームは僕にとって、ポスタル2(子供を殺して小便を浴びせ、隣人の首を切り落として足蹴にするゲーム)や、GTA3(売春婦に金を払ってよろしくやった後で、その売春婦を撃ち殺して払った金を奪い返すゲーム)よりも、その存在を許すことが出来ない。




食べ物を粗末にするシーンは、「悪戯っ子の幼女(以下、沙都子)がカレーを地面にぶちまけて、台無しにする」という形で登場する。これにゲームの進行上重要な意味があるのならば、ゲーム自由主義を信奉する1ゲーマーとして、「食べ物を粗末にする描写」というものを容認する。


けれども、僕は「カレーを地面にぶちまける」このシーンはゲームに必要であるとは考えられない。故に、僕は「ひぐらしのなく頃に」をどうしても許すことが出来ない。賛美しているブログのエントリーを見るだけ(あるいは"ひぐらし"という文字列を目にするだけ)で、不愉快な気分になる。







・「カレーを地面にぶちまけるシーンが作られた理由」

竜騎士07がこのシーンを作ったのは、月姫という同人ゲームに登場した、シエル先生というカレー好きのキャラクターをゲームに登場させる為である。つまり一言で言うと、動機が不純である。

その月姫フォロワーである事の表明としてのカレーを、「地面にぶちまけて台無しにする」という扱いで処理している事は、月姫へのリスペクトでも何でもなく、愚弄である。月姫のシエル先生のリスペクトとしてのカレーを登場させるのならば、大切に扱って初めてリスペクトになると思う。




・「食べ物を粗末にする事への反発が存在しない」

「食べ物を粗末にした」→「食べ物を粗末にするなんて許せない」という描写が無い。(あるいは極めて薄い)カレーが地面にぶちまけられるのは、「シエル先生の為においしいカレーを作ったら勝ち」というシーンだ。その競技の中で、沙都子がライバルのカレーを次から次へと台無しにしてゆくのである。

ここで自分のカレーを台無しにされた側の反応は「ゲームにおいて手段を選ばない沙都子恐るべし」という反応で、「ゲームに負ける事への怒り」は存在するが「食べ物を粗末にする人間への怒り」はまったく存在しない。

人間を描くノベルゲームというジャンルにおいて、「食べ物を粗末にする人間の怒り」が描かれていない食べ物を粗末にするシーンとは、実にモラルハザードな書き手の倫理を真に疑ってしまう文章である。




・「これに対する想定される反論」

「食べ物を粗末にされた事への怒りを抱かない登場人物達」というキャラクター描写が行われている点については、「ゲームの登場人物全員が頭湧いてるんだって暗に言ってるんだよ!」という反論を自分の中で用意し、立ててみた。




けれども、「ゲームの登場人物達は食べ物を粗末にして平然としていられる。"=頭湧いている"」という事が描かれているようには思えず、無邪気さを象徴するギャグシーンであるように見える。BGMや効果音、画面描写や台詞等も完全にギャグ、ノリ、勢い、という感じである。よって、「そのような意図は無い」という結論に達した。(これに関しては、竜騎士07さんに聞かない限り本当の所はわからないのだけれど。)


また、仮にそのような意図があったとしても、「食べ物を粗末にして平然としていられる頭のおかしい人達を描いている」としてユーザーに受け取られていないという事は、失敗であると考えるし、「食べ物を粗末にして平然としていられる日本人」という描写でしかないと考える。


残虐ゲームとしての「ひぐらしのなく頃に」において、「食べ物を粗末にした→それを気にとめない登場人物達」くらいでは、意味を持たせられないという弱点もある。(食べ物を粗末にするシーンが、計算されて意図的に間延びさせられた、のほほんギャルゲーとしての冗長な前半部に登場するというのも問題をややこしくしている。)






結局の所、「必然性が無い食べ物を粗末にする描写」が許せないのである。

「月姫のシエル先生を登場させる為」に作られたという原点からして不純であるし、カレーとしてのシエル先生に失礼である。また、「沙都子の性質(無邪気さ)」を描き、「登場人物への親和感」をプレイヤ-に抱かせる為の場面において、「食べ物を粗末にする」という描写に必然性はまったく感じられない。しかも、のほほんギャルゲーチックなギャグシーンとして処理されている。

「食べ物を粗末にしなければならなかった理由」がまったく感じられないのだ。
だから、僕はひぐらしのなく頃にを容認する事が出来ない。






そのひぐらしのなく頃にが、家庭用ゲーム機に移植されるという。僕はこれに辺り、食べ物を粗末にする描写が削除される事まではあんまり、望まない。ゲーマーとして、そういう行きすぎた自主規制のような規制が、基本的には大嫌いだからだ。

けれども、食べ物を粗末に描いて平然としていられるゲーム制作者や、その必然性の無い食べ物を粗末にするというシーンをなんの違和感も持たずに平然と消費する事が出来るような神経を持った人達を容認する事は、人として絶対に出来ない。






ひぐらしのなく頃にが家庭用ゲーム機に移植されるのであれば、「食べ物を粗末にしてはならない」と描かれる事には期待したいし、されて当然であると思う。








1行で済む話ではないか。
「もったいない」、で。