2005年7月13日水曜日

睡眠幻想



なにかがうまくいかない時に人は色んなものに原因を求める。

「DHAとビタミンBの効いた良い食べ物を毎日食べていれば俺だって今頃は!」「環境さえ整っていれば俺だって出来たのに!」「幽遊白書にハマってなければまともな人生歩んでたんだよ!」「インターネットなんてなければ真面目に勉強していて今頃は!」「高校時代の小遣いがあと2000円多ければお洒落に金使ってモテモテ人生だったのに!」などとまあ、色んなものに原因を求め、馬鹿げた責任転嫁を行う。




僕の場合は睡眠である。
これには、救いがある。

一般的な「たら」「れば」というのは過去に原因を求めているわけで、時計の針が逆に回ることの無い現実を生きる上では絶望にしか繋がらない。それに対して、「睡眠」というのはこれから先、いくらでも好きなだけ得る事が可能だ。


「少し眠れば、ちゃんとやれる!」
幸せを夢に見る満ちあふれた希望。
足りないのは睡眠だ。快速快眠新快速。

逆の視点から見ると、眠っても眠っても「もう少し眠れば!」と思えてしまう、脳みそお気楽永久連鎖。止めどなく溢れる仮想幻想という希望。光溢れて今そこにある、指先かすかに触れる夢。僕にとって「眠っていない状態」というのは、「眠れば!」という実現可能なifに満ちあふれた充足状態。素晴らしい希望、素晴らしい人生。実に幸せ者。幸せ状態、夢状態。幸せ脳、正確に言えば睡眠脳。



というわけで1眠り。
今日から明日へひとっ飛び。