2005年8月25日木曜日

デフレスパイラル夢精



夢精が止まらない。

ここ数ヶ月、眠れば必ず夢精する。
目が覚め意識が戻る度に、血が流れず節々が動かない四肢と、汚泥と化して頭蓋にべっとりとへばりついた脳みそが待ち受けている。「ああ、またか」と思う。






夢精で最も困るのは、気力と体力の消耗である。
眠りという気力と体力の回復を期待して行う行為が消耗というまったく逆の効果をもたらすのだからたまったものではない。


夢精の後に待っているのは「関節が軋む」といったやさしい疲労ではなく、筋肉の軋みである。心臓が波打つ度に伸び縮みする心筋がミシミシと音をあげて心の在処を締め付ける。倒壊寸前のビルディングの中に1人座っているような緊迫感が半日向こうを撫で覆う。

黒く腐った脳髄が呼吸の度に頭皮を膿ませ、溶け出した頭痛が血液を伝って全身を駆け巡る。ひび割れ粉々に砕け散った血小板の破片が血管を内側から傷つけ破り、全身に不快な電気刺激を行き渡らせる。その痛みを治めるべく、二の腕や二の足を丁寧にさすってやると、体毛逆立つ痛みは飛んで、少しだけだが楽になる。けれども、治まる痛みの量よりも汚い手で体中を撫で回された不快感が上回り、拒否反応を起こした喉元が腫れ上がる。

動かない意識と思考をなんとかして立ち直らせようと懸命に九九を唱えてみるも、9*4が出てこない。夢精によって流れ出すものは精液ではなく脳みそであるということを認識させられ、眠る度に陰茎を伝って漏れゆくシナプスにに恐怖し怯える。記憶が、感情が、思考回路が飛んでゆく。

悔しい。本当はもっと悔しいはずなのに、それを感じる事すら出来ない所までに劣化してしまった自分の脳が悔しい。悲しい。本当はもっと悲しいはずなのに、それを感じられない失われた感性が悲しい。苦しさも、怠さも、痛みすらも正確に感じ取ることが出来ない。

不潔、不埒、不能、不快感、絶えず眠たいとりあえず寝たい。






時計を見る為に薄く開けた瞼がささくれだった眼球と強い摩擦の痛みを引き起こし、再び目を閉じることの出来ぬ夢精後の失意のまどろみの中で、「PCの電源を入れなければ」という根拠の無い責務あるいは希望のようなものだけが僕の背中を押す。毎朝、毎朝。

けれども荒れ狂う血の腸詰めと化した肉体とはそれに従ってはくれず、椅子の上に這い上がることはおろか、転がり動くことすら出来ない。それと同時にじっとしていることも出来ない。体中を駆け巡る鋭い痛みと鈍い痛みと不快感が四肢を揺さぶる。

顕微鏡でのぞかれた海星型のバクテリアのように絶え間なく、ぐにゃりぐにゃりと地面を這う。汗と体液でべとついた腕や太股がダスキンのモップのように地面の埃を引き寄せ集めて皮膚を突き刺す折り紙の蓑虫。煮え立った最高級のオリーブオイルに全身を3日2晩漬け込んで煮沸消毒してしまいたい衝動に駈られる。種分類と実情との食い違いが胸を引き裂く。どうして、よりによって人間。






「夢精は気持ちいい」などといった類の文章を目にすることがあるが、冗談ではない。
それは微塵の快感も伴わない純然たる不快である。

電子レンジでチンされたり、風呂釜の中に閉じこめられたり、下駄箱に追い掛けられたり、銃撃戦に巻き込まれたり、巨大な生き物から逃げまどったり、ブログを読まされたりといった恐ろしい夢を見せられて、不安と恐怖と緊張が限界に達した所で射精する。それと同時に目が覚める。

夢の中で「これは夢だ」と気がつくし、「このまま行くと夢精する」とわかるのだけれど、それを止める事が出来ない。微妙に目が覚めていて、なんとかして瞼をこじ開けようとするのだけれど、薄れ行く夢が射精を止めようとする意思を打ち砕いて陰茎に裂けるような痛みをもたらし、気力と体力を奪ってゆく。どうしてこんな事になってしまったのだろう。無力だ。






気力と体力を回復させようと机にうっぷし目を閉じていると、睡魔が襲ってくる。そこで眠ってしまっては元の木阿弥全てが失われてしまうからして必死に闘い堪えていると、その徒労感が疲労を増幅させる。かと言って開き直って横になり、眠ろうとすると眠れないのだから質が悪い。眠ったら眠ったで夢精。埒が明かない。始まらない。






以前から夢精はあった。
40時間ほどぶっ通しで新しいゲームをした時や、長い外出を強いられたとき、精神的に追いつめられてなかなか寝付けなかった日などに夢精していた。つまり、心身ともに疲れ果てた時に夢精をしていたのである。けれどもここ半年の多さは少し異常であるし、ここ最近の眠る度に必ずというのは前例が無い。とはいえ、まあこんなものかな、と納得していたりもする自分が悲しい。






夢精をすると脳の回路が明示的に死に、頭が回らなくなって何も考えられなくなる。
即ち、夢精という行為は無意識が思考を止めさせようとしているようにも受け取れる。

けれども、僕は考えるのを止めるつもりはない。
感じ続け、思い続け、考え続ける。
何故なら人間だからだ。

避けて爽やか快眠し、脳天気に目覚めて過ごすつもりは無い。
どんな苦痛を伴おうとも、考え続けることをやめない。
逃げない。目を逸らさない。思考停止に陥らない。
意思。強い意志。





何故夢精をするのか、単純に言えば「起きすぎている」からだ。なぜ「起きすぎている」のかというと、考え尽くしているからだ。なぜ考えるのかというと、知りたいからだ。

自分自身に何が起こり、自分自身が何を感じ、自分自身が何を思い、自分自身が何を考えているのか。それを知りたいのだ。一体どうしてなのか。何が起こったのか。何が起こっているのか。知りたいのだ。

たとえ真にまで到達できなくても僕は考え続けたいし、事実考え続けている。
考え続けると何が起こるかというと、眠れなくなる。
脳みそを働かせているのだから当然である。

眠れなくなるとどうなるかというと、夢精する。
夢精するとどうなるかというと、眠れなくなる。
悪循環。

考える故に夢精する。
夢精すると脳が死ぬ。
繰り返し。




人間不信。
また夢精した。
小さくなってゆく。
デフレスパイラル夢精。