2005年8月10日水曜日

投げ売りの奔流



あちこちでブロガーが投げ売られ始めている。
それが何を意味するのかが理解されていない。
これは死だ。




インターネットに公私の境は無い。
ウェブ上のありとあらゆる行動は一元的に繋がっている。
そのどれかを言い値で投げうるという事は、その全てを言い値で投げうるという事だ。




つまり、投げ銭というものはブロガーのエントリーに支払われる対価などではなく、人間そのものへの支払いである。インターネット上での人としての全ての振る舞いを売るという覚悟が出来ていない人や、全てを売るという意思が無い人間は投げ売りの奔流に飲み込まれるべきではない。
それは死を意味するからだ。





長い事ブログを書いていると「これは売ってもいい」というエントリーを書く事はあるだろう。それを売る仕組みが無いという事は、機会の喪失であり、よくない事だ。



しかし、投げ売りの奔流が生み出すものは「商品文章の販売機会」などではない。全人格の投げ売りであり、人間の商品化だ。1億総パリスヒルトン化だ。忌わしい事だ。




インターネットには境が無い。
一文を言い値で投げ売るという事は、全ての振る舞いを言い値で投げ売るという事だ。


全ての振る舞いを商品にする。
それは、正気の沙汰では無い。




一度商品化された個人は、永遠に商品のままである。もう人間には戻れない。
小銭を稼ぐ手段なら、いくらでもある。更新への報酬を得たいのならば、グーグルアドセンスをつければよいし、iTmuscのアフィリエイトでもアマゾンアソシエイトでも貼っておけばよい。それらは、人間の投げ売りではない。一定の値段がつけられた商品が一定の値段で買われて行き、一定の金額が手に入るという仕組みだ。言い値で人としての全ての振る舞いが買われてゆくという投げ売りシステムでは無い。



mixiでの馴れ合い。
誰かを気遣うメール。
仲間と時間を共有するチャット。
どこかのコメント欄での和気藹々とした時間。
それら全てを投げ売るのか?


抱える悩みや諸問題。
苦しんでいる誰かへのアドバイス。
古い友達への面と向かっては言えない苦言。
事件の際の「ご冥福をお祈りします」という振る舞い。
それら全てを投げ売るのか?


全ての振る舞いを商品にする。
それは、正気の沙汰では無い。






ブロガーは人間であり続けるべきだ。
私生活を売って生活する三流芸能人のように商品化されるべきではない。
1人の人間として発言し、1人の人間として振る舞う。
それが人として生きるという事なのである。

人は人間であり続けるべきだ。
商品化されるべきではない。
それは人心売買である。