2005年8月8日月曜日

For A TUMIKI Fighter(2)



http://sinseihikikomori.on.pc1.jp/ag_tunagaru1.jpeg
TUMIKIは人と人との関係、言うならば繋がりを全力で扱ったシューティングゲームだ。
繋がりゲームなのである。
言い換えれば人間関係ゲームなのだ。




TUMIKIでは、繋がれば繋がるほどプレイヤーは巨大化する。
躓かない限り、どんどん大きくなれるんだ。際限なく、どこまでも。

けれども、一度躓くと色々なものを失う。
例えば、「自機~A~B」という繋がりが形成されたとする。

その状態でAに被弾し、Aを失うと、Bも同時に消滅する。完全に消滅する。
ゲーム的にはAを失っただけなのに、どうしてBまで失わなければならないのか。


「Bは一体、何と繋がっていたのだろう?」
「Aって、何だったんだろう?」
それが、アバオブクエスチョンだ。



Aとは何か。
お金?地位?名誉?刺激?新鮮さ?それとも、若さ?

1つ言える事。
Aを失えば人はそれによって維持していた繋がりの全てを失い、孤独になる。アバがTUMIKI Fightersでうたい続けているものは、繋がる事、手に入れる事の儚さだ。




その一方で、繋がるという事は強くなるという事だ。
「貴方との関係だけが私を強く逞しくさせるのよ♪」というか、
「君の手を握りしめていると僕はどこまでも行けそうな気がしていたんだ♪」だ。

アバさん実に赤裸々に語りすぎである。遊んでるこっちが照れてくる。
赤面せずには遊べないシューティングであり、CAVEなぞでは太刀打ちできないレベルだ。


完全にイっちゃってる。
もちろん、いい意味で。










「繋がるとは強くなる事!」
それがTUMIKI Fightersのテーマであり、アバメッセージだ。

けれども、Xボタンを押せば繋がりは全てへっこみ、プレイヤーは孤独な戦いを強いられる。ただし、Xボタンを押した状態では、既存の繋がりを失うことは絶対に無いんだ。

Xボタンを離して、強く、強く、強く巨大になった状態では、巨大化しているが故に繋がりを使い捨て失い続けながらゲームをプレイせねばならない。「失いたくない」と思いXボタンを押すと、新たなる繋がりは得られない。つまり、手にしているものを失うことを恐れては何も得る事が出来ないというアバの答えなのだ。






さらに、Xボタンを押した状態で被弾すると自分が死ぬ。
Xボタンを押して繋がりを守ろうとしなければ、繋がりを失うだけで済んだのに。





「繋がっている他人を守って自分を失うか。」
「繋がっている他人を使い捨てて自分を守るか。」
殺伐二択。
ABA二択。

鬼だね。
悪魔だね。
残酷すぎるね。
こんな残酷なゲームを野放しにしている神奈川の目は節穴である。








http://sinseihikikomori.on.pc1.jp/ag_1bos.jpeg
http://sinseihikikomori.on.pc1.jp/ag_1bos_zako.jpeg
1面のボスは、普通の雑魚敵とまったく同じフォルムである。
即ち、「全て同じ人間である」というTUMIKIのテーマを最もよく表しているボスである。




ところが、1ボスには普通の雑魚敵と決定的に違う点がある。
それは、「1ボスはプレイヤーと繋がれない」という事だ。
1ボスは倒されると、「キャッチミー」と叫ぶ事無く木っ端微塵に吹き飛んで死ぬ。


全ステージに登場する雑魚とまったく同じ人間であったのに、だ。
どうして1ボスは孤独に死ななければならなかったのだろう。






それは、優秀だったからである。1ボスはその優秀さと弛まぬ努力で歩んできた人生によって、巨大な繋がりを手に入れた。

素晴らしい職業。
素晴らしい地位。
素晴らしい学問。
素晴らしい知識。
素晴らしい身形。
素晴らしい生活。
素晴らしい人生。


それらを手に入れて1ボスは死んだ。
それらを守るために1ボスは戦い、それらを守れずに1ボスは死んだ。




プレイヤーとの戦いにおいて、1ボスが所持していた素晴らしい職業、素晴らしい地位、素晴らしい学問、素晴らしい知識、素晴らしい身形、素晴らしい生活、素晴らしい人生といったものは、何の役にも立たなかった。





人間の生き物としての限界を超えた繋がりを維持して生きるには、勝ち続けるか死ぬかの2択なのだ。自分を見捨てて敵に寝返るかつての仲間達にを見て、1ボスは何を思ったのだろう。


1ボスは本当に、きらびやかに輝く見栄えの良い繋がりが欲しかったのだろうか。
それらは、1ボスを「どこに出ても恥ずかしくない立派な人間」に仕立て上げた。

誰よりも巨大になり、誰よりも強くなった。
けれども、1ボスは孤独に死んだ。

本当は「キャッチミー」と叫びたかったのかもしれない。
けれども、1ボスは叫べなかった。
いや、叫ばなかったのかもしれない。




自分が手に入れたものを誇りに思い、全てを失った孤独の中で走馬燈のようにその人生を思い出しながら、必死になって1人の人間としてプレイヤーに立ち向かい、そして敗れ、死んだのだ。孤独に死んだのだ。

1ボスの人生は誰よりも華々しく、1ボスの能力は誰よりも優れており、1ボスの生活は誰よりも豊かで、1ボスの財布はいつも札束がぎっしりで、1ボスは誰も見たことの無いような世界を生き続けてきたのに。1ボスは死んだのだ。孤独に死んだのだ。




1ボスは今日もどこかで孤独に死んでゆく。
世界のどこかでtf.exeが立ち上がる度に、1ボスは孤独に死んでゆく。
それが1ボスの人生である。幸せとは、一体何なのだろう。










http://sinseihikikomori.on.pc1.jp/ag_kyodaikaJIKI.jpeg

Xボタンを押せば繋がりは全てひっこむ、という事にはもう一つの意味がある。それは、どれだけ繋がりが肥大化しても、強い意志さえあれば自分を見失わずにいられるという事だ。

上記のスクリーンショットを見ていただければわかるように、色々なものを手に入れて繋がると、原寸大の本当の自分が見えなくなる。自分がどこにいるのかすらわからなくなる。




組織だとか、地位だとか、名誉だとか、あるいはフリーゲームのプレイヤーだとか、ブログの読者だとか、仲間だとか、金だとか、愛だとか、といったようなくだらない繋がりで自分自身を見失うんじゃない。「自分を強く持て!」というアバメッセージである。




逆に、意思無く生きれば繋がりに飲み込まれ全てを失い自分を見失う。
是正に、アバテーターの面目躍如。
即ち、「大切なのは、自分自身を思うこと」である。












TUMIKI Fightersは繋がりの存在を許さない。

驚くべき事に。
繋がりゲームであるはずのTUMIKIでは、繋がりの存在が許されないのだ。
これこそが、アバのアバたるアバの真骨頂と言っても良い。


「ひとなげ」において語られていた、「人と繋がったら投げ捨てられてスコアに変えられるだけさ」という絶望の続き、「お前の手を握ろうとする奴はスコアを得る為に投げ捨てようとする奴だ」という絶望の続きである。アバとは即ち絶望である。







TUMIKI FIghtersでは、繋がれば繋がる程に敵の攻撃が激しくなる。
繋がって、大きくなれば大きくなるほど、それは猛烈に激しくなる。
繋がって、強くなれば強くなるほど、敵の攻撃は猛烈に激しくなる。

TUMIKI Fightersとは、ルサンチマンシューティングなのである。





それらたくさん、手にしたものを「失いたくない!」との思いで熾烈な攻撃から守る為にXボタンを押して引っ込めると、回避不能なまでの物凄い攻撃の激しさにより、瞬く間にプレイヤーは死んでしまい、積み上げてきた全てを失う。






人は色々なものを手に入れ繋がり巨大化すると、1人の人間としては生きてゆけないのだ。繋がりを信じ依存し飲み込まれ、自らを希薄化させてあらゆるものを使い捨て続けながらながら臆病に走り続けるしか道は無い。
----

----
その3/ALL