世の人はまるで人が希望によって生きる生き物であるかのように言い、「生きる希望」という言葉を好んで使うが、そんなものは無い。生きる希望などというものは存在しないのである。
人は何によって生きるのかという問いに対する答えは1つだ。
それはパンでも無ければケーキでもない。
無論の事、エロでも萌えでも希望でもない。
人は人によって生きるのである。
世界100億人類の中に「人間に生まれたい!」と望み願って世に生を受けた者は1人としていない。人は皆、「人間に生まれたい」などと希望していないにも関わらず無理矢理に、人として生まれてきたのである。
そこで人に与えられる唯一のものは、「人」という既得物である。
人間は誰もがその「人」という既得物を守銭奴の如くに守って生きる事を強いられる。
火の中に飛び込めば熱いからして人は火を避ける。
水の中で溺れればば苦しいからして人は水を避ける。
腹が減る故に食を強いられ、眠たい故に睡眠を強いられる。
それら全ての生という行為は、人という既得物を守るために行われるのだ。
それらの選択を願い望んで、即ち希望して行う人間など1人として存在しないのである。
故に「生きる希望」などという言葉は嘘だ。
「生きる希望が湧いた」などというシチュエーションは人が生まれ持った「人」という既得物の価値を再定義しただけであり、希望が人を生かすことなど人類の歴史上一度たりとも存在しなかったし、これから先も未来永劫存在しないのである。