2005年11月8日火曜日

コメントに対するコメントとか。



どのエントリーについても物凄く本気で人として持ちうる人生そのものを上回るパワーを注ぎ込んで全て真剣勝負状態にいる自分としては他人のエントリーも全てそのようなものであると反射的に思ってしまうのだけれど、世の中はそのような人ばかりでは出来ておらず、適当だとかネタだとかか書き捨てだとかそういうものがある中で、web上に一度あげた文章を削除する輩が後を絶たずけしからん、という話ではない。ほんと、一度ブログにあげたエントリーを削除する輩にろくなやつはいねえ。あ、R30さんの事ではないです。真性引き篭もりhankakueisuuさんのことです。僕はそんな昔の事をうじうじ言うような粘着質な人間ではないです。断じてR30さんの事ではないです。違います。私は潔白だ。


あと、はてなブックマークのコメントを必死で書き換えてた奴とか小物すぎて笑える。おまえ絶対に初孫出来たら全力でいたづらしてやるから覚悟しとけよあるいは泥沼の中に沈んで死ね!!てめえだよてめえええid:(ry。違う私じゃない。私は潔白だ。







はてなブックマークという仕組みそのものに罪はない。


問題があるとするのならそれははてなブックマークユーザの個々のコメントのつけかたをどのようにするべきかという問題であり、はてなが放置していると憂うのであるのなら、自治を試みてみるなどの対案を提案するのが筋であろうと私は考える。



で、本当に性質の悪い冗談だと思えてしまうのだけれど、本気であるとして本気で書くと、それを言うのならばululunさんは2ちゃんねるの悪しき側面に文句を言う人には「文句ばっかり言っていないで自治を試みなさい」と言うべきだし、イラクの悪しき側面に文句を言う人には「文句ばっかり言っていないで自治を試みなさい」と言わなければならない。



いやあ、もしもそれを「言う」と仰るのならばそれはそれでいいとは思うのだけれど、それではただの電波になってしまいますよ。その土俵、即ち非現実ワールドで勝負するのですか?という率直な疑問。





>コメントのつけかたをどのようにするべきか
>自治を試みてみるなどの対案を提案
しかも、インターネットのグローバルなこの時代のこの場所でそんな村社会的発想が通用すると本気でお考えなのですか?暴徒は暴徒であるからして暴徒であり、あらゆる人間は万物を想像する能力を有していないが故にそのような行いを行う可能性というものがあるのです。つまり人を傷つけるのに悪意に基づく出刃包丁は必要ない。無神経さだけあればよい。即ち、無神経という暴力により生じるトラブルを未然に防ぐことなど不可能であり、対抗手段は対処療法以外に存在しない。そしてそれを行うには権力が必要である。つまり運営側しか行い得ない。


仮に対処療法の自治というものが存在するとすればそれは風紀委員のおままごとでしかなく、即ち学級会ごっこのようなそういうのはよくないと思いますみたいなぬるま湯的解決手段が本気で存在すると考えているとすればそれはもう取り返しの付かないところまで非現実主義者の所業だ。





そもそも、対案を出せばOK!みたいな所でもはや間違っているのである。
つまりはてなブックマークの仕組みそのもの、即ち「コメントがを削除出来ない」というURL必須の一行掲示板即ち盗まれたコメント欄につけられたコメントというものが永遠に残り、それに対する手段は放置以外にないという仕様と、それに対する対応即ち「当事者間で解決しろ」という方策が間違っているのであって、対案なるものがあるとすれば「運営側がコメントに対する対抗手段を用意する」か「解決のガイドラインを作りそれに基づく運用を行う」でしかない。で、それは既に書いている。


現状のはてなブックマークの運営は2ちゃんねると同じか、それより悪い。
即ち、はてなブックマークが2ちゃんねるのように大きな問題の真っ直中にいないとすれば、それはただ単に人口母数の問題でしかない。そして、さらに言えば既に同様の問題は幾たびも生じている。


即ち単純に言うと、はてなは道義というものを果たさないという戦略をとっている。即ち、犠牲者が出てもコストが削減できればいいという考え方であり、そんな奴ははてなの成長の犠牲となってしねばいいと思っているというだけの話である。




商品の使用により生じる諸問題から人民を守る責任が企業にあるのは当然の事である。とは言っても、金属バットで殺害された人間に対する保証を金属バット製造会社が行うべきであるか、という点についてはNOだ。





つまり、おそらくこの話は「どこに境界線を敷くか」という側面をも持つ。
仮に一定のガイドラインが存在して、「当事者間の話し合い」などという馬鹿げた方策ではなく、はてな側が一定の努力を行ってさえいれば、然したる問題ではないとしていただろう。即ち管理能力が無い事が問題なのではなく、管理意思が存在しないという事が問題なのである。





事実として、


1,管理側は自由に、個別のブックマーク及びコメントをログイン中の本人以外からは見えない状態に出来る。


2,管理側は自由に注目エントリー/人気エントリーに表示されない状態に出来る。


3.管理側は自由にURL毎に1及び2のモードを指定出来る。


4,厳格な運営規程と常時1人の人足。


という予備措置、即ち十分なトラブルに対する準備というものを行ってリリースし、そこに1人の人足を24時間張り付けてさえおれば、はてなブックマークにより生じたあらゆる被ブックマーク側の心労トラブルというものは大いに解消されたであろう。という対案は既に出している。なぜそれをやらないかというと、それは「そうした方が安くつく」からだ。それは維持コストの面でも、工数の面でもそうである。即ち利益の為に暴力を放置する、という姿勢が問題なのである。当たり前の話であるが、規模の拡大に伴って果たすべき社会的責任というものも増大するのである。


一応補足しておくと、1に関してはブックマーク毎であり、ブックマーカーごと不可視にするわけではない。つまり、あたかも本人以外からは「そのブックマーク+コメント」がなされていないかのように見えればよい。幸いにしてはてなブックマークはそれを包容出来る「プライベートユーザー」というものを持っており、可視ユーザー数とブックマークユーザー数の間に差異があっても不自然ではない。


「はてなブックマークはブックマークです」という主張に基づけば、特定の暴力的ブックマークや、暴力的ウェブサイトが注目のエントリーや人気エントリーに入らなくても何の問題は無いはずであり、ブックマークした当人にさえ見られればそれで良いはずである。そのような目に見えて問題のあるブックマークの割合などたかがしれているわけで、それらが抹殺されたとしても何の問題も無い。


自治などという脳みそ空洞化現象状態の空想を語れるまでには幼くはない。





つまり単純に言うと、はてなは真の意味で馬鹿である、とする事も出来るし、そのような問題は存在していないと定義し放置する事によりコストを削減し動きを軽くしているとも言えるのである。より正確く言えば、それらを利用していると言い換える事も出来るのであり、単純人足という最もつまらないコストを削減する事で軽量化を行っているはてなというものの姿勢を悪しきとするのは当然の事である。





さらに言えば「はてなにより削除しました」はそれにあたるわけで、はてなははてなの利益の為ならばそれを行うという事は証明されている。即ち、ネットの末端の馬鹿な人民を守ることははてなの利益にはならないからやらないが、金と力をある人には媚び従った厳正な運用を行い、それを持たない人には「当事者間で解決しろ」と曰うを平然と行える汚さが汚いというだけの話。


つまり、弱者と馬鹿ははてなの犠牲となって死ね、というのがはてなの描く世界であり、無論のことそのような選民思想的な強者の描く世界観は受け入れられない。





もう1つ付け加えておくならば、仮にそのようなインビシブル化を行う管理体制というものが存在しており/あるいは導入されて、表題に馬鹿だとか死ねだとか入っていると即インビシブル、といったような極めて厳格な管理が導入され当ブログのエントリーなどは片っ端から即インビシブル化されたとするならば、当然にして僕は「言論統制はてな死ね」などと書くだろうが、その運営姿勢自体は当然にして強く支持する。





即ち、仮に混沌というものを鎮められるものがあるとすれば、強大な権力による何よりも厳格な管理でしかない。付け加えるならば単純労働者を必要量確保しての人海戦術以外にありえない。そして人を集めれば混沌というものが生じるのは当然であり、それを未然に防ぐだけの準備を行うのは当然の責務である。