2005年11月14日月曜日

コメント欄で書かずにご自分のブログででもやったらどうですか?



多くの一般閲覧者にとってのブログのコメント欄というものが往々にしてつまらないコンテンツと化しているのはただ単純に、魅力的なブログというものを書くブロガーのエントリーに対する取り組み強度と、コメンテーターのコメントに対する取り組み強度が致命的なまでに違う、というのがまず第一にあると思う。


僕以外のブロガーがエントリーというものにどれくらいの日常的思考労力と、純粋なタイピング時間というものを費やしているのかは知らないけれど、少なくともコメンテーターのコメントに費やすそれよりは遙かに多いだろう。


ブログというツールがエントリー毎にコメント欄を保持している事の弊害として、コメント欄の寿命が非常に短くなってしまっている、というのがまず挙げられると思う。僕がいくつか見ているブログなどを含めて感じる事は、コメント欄の寿命は基本的には次のエントリーまで、僕の感覚ではさらに~18時間程度で場としてのコメント欄はお開きになる、という感じがする。mixiのレスなんかもそんな感じだと思う。もちろん例外的なものも存在するのだけれど、その例外は「遅れて訪れた人が脊髄反射でコメントを書く」というものであり、場の寿命が長い、というものではない。


とにかく、場の寿命は驚くほど短いのである。そんな寿命の短い場所に、読むに値するコンテンツが生成される、なんてことは滅多とない。ブロガーの返すレスポンスを横除きして、人格や素顔をうかがい知る、というラジオ番組的なメリットなんかはあるのだけれど。




さらにもう1つ言うと、コメントをつける人間というのは「ブロガーの言いたいことをからっきしわかっていない」という場合が多い。というか、かなりの割合がそれである。そうして、見当違いな所にぎゃあぎゃあと文句を言うコメンテーターがブロガーが消耗させるのを何度か見て、コメントをつけるのは馬鹿か信者、というのがコメント欄というもののコンテンツとしてのつまらなさを助長しているのだろうな、と思った。


ブロガーという1人の書き手にとって「想定通り的確に消化してくれた人」というのはどのような人間なのだろうか。それは人それぞれ違うのだろうけれど、やはり多くの人は褒められれば嬉しいのかな、と思ったりもする。まあ、この話はまた別の機会に。





では、コメント欄不要論者なのか?っていうとそれは違うし、面白いコメント欄なんて無いのか?というとそれもまた全然違う話で、僕が呼んでいるいくつかのブログの中には物凄くコメント欄が面白いブログもある。それら「第三者が見てもおもしろいコメント欄」というものの成立条件には、参入障壁の存在が必須である。即ち、誰もがコメントを書き込める雰囲気ではない、という空気が存在し、同時に身内の為の馴れ合いではない、という場所が成立しさえすれば、それは物凄く面白いものとなるはずである。


参入障壁は同時に糞コメントの自粛に繋がるし、馴れ合いではないという事はブロガーの消耗を招くこともなく、またレスや満足の行く返信が成されなかったからといってコメンテーターがいじける事もない。


けれども、それって、よくよく考えればトラックバックでやればいい話的なものでもある。だけど、トラックバックなんて誰も見ないし、といった徒労ループ。





まあ、当ブログに過去につけられたコメントの中で中身の詰まった価値有るコメントなんて俺様の自作自演擁護コメントくらいのものであとは全部消えた方がいいってくらいの糞コメントばっかだしな。








無駄に長い(無駄に長いだけで、無駄なわけではないとわたくしは主張します)前置きのあとで、結局何が書きたかったかっていうと、こんな所のコメント欄に埋もれさせておくにはもったいない、ちょっとびっしりめのコメントがついていたので、うれしくなってコピペ!


「コメント欄で書かずにご自分のブログでやったらどうですか?」
ってのは基本的にはドードス的煽り文句なんだけれど、そうじゃない場合もあるってことで。とはいえ、ブログなんて書くもんじゃないし、ブロガーになんてなるもんじゃない、って思っているからそうは言えないんだけれど。





スタークラフトを発売当初からやっていたぼくの記憶では
初期のころの世界チャンピオンとかラッダーのランク上位
はアメリカのオタクばっかりだった気がするな。
ところがある日突然どっかの韓国人がラッダーランク1位になったた。
そこから一気に韓国人が台頭してくるようになった。
毎日のように酔っ払った韓国人や小学生中学生がJPNチャンネルをあらしに来てた。
それが原因で辞めていった人も多かったし、とても新規の日本人が参加できる環境じゃなかった。
知り合いを誘う気にもならなかったな~。我慢できなくなったたくさんの日本人プレイヤーのなかの一人
T氏が私設サーバーを立ち上げて、ほとんどの日本人スタクラプレイヤーははバトルネットを去り
私設サーバーに避難した。結局もともとプレイ人口がおおくなかったので
(最高接続人数は100人ぐらいだった)
閉鎖的なコミュニティのなかでプレイすることがほとんどだったと思う。
日本でスタクラが流行らなかったのはそういうことも関係してると思うな~。