2005年11月15日火曜日

実名などというものは何の抑止力にもならないし、それがハンドルネームともなれば無論のことである。




はてなブックマークにおけるコメント欄が2ちゃんねると違う点があるとすればそれがブログと紐付けられているかどうかの一点。ブログと紐付けられていればそれは純粋な匿名とはいえず何らかの立ち位置が示された個が識別可能。コテハンといいうるものがあるかどうかが重要。



いったいどこをどのように考えればそのようなお話しに辿り着けるのかがまったくもって理解できない。さすがは引き篭もりなだけあって、糞ブログで毒電波垂れ流すのだけは上手だな。っていうかお前それしか脳が無いだろ。







おおよそ、匿名の2ちゃんねるでは治安は保たれず、コテハンのはてなブックマークではあ治安を保つことは可能、という主張が成されているわけだけれどまったくもって馬鹿げているとしか言いようがない。被害者側が加害者の人格あるいはハンドルネームを知っているというだけで全ての暴力が止むというユートピアな思想にはまったくもって驚かされる。


仮にそのような世界が現実のものとしてあれば、この世の中の存在する犯罪行為や嫌がらせの大半は存在しないだろう。たかが「人物が特定される」という事で暴力の抑止となるならばドメスティックバイオレンスなどという犯罪は一切おこらないだろうし、ストーカーという行為の大半は存在しないという事になる。無論のこといじめなどというものも存在しないだろうし、いじめた人間のフルネームをGoogleで検索してその人物の大学学部や勤め先を知っている人間、なんてものは存在しえないだろう。


即ち、ありとあらゆる諸問題への取り得る選択肢は唯一、超権力による統治のみである。他の一切、あるいは合切といったものは何の効果も無い。





一つ進んで結論から言ってしまうと、いざこざの正体は全てパワーハラスメントである。


その場において、「どちらが正しいか」だとか「正当性があるか」などといったくだらない要素はまったくもって関係が無い。つまり、強きものは弱きものを娯楽として消費し、弱きものはその人生を強きものの娯楽として消費される事を余儀なくされるというのがこの世の中のあらゆる場所に横たわる現実である。


そして、2ちゃんねるで殺害予告をされた小学校の学徒が2ちゃんねるを知らないことからわかるように、2ちゃんねるにより迷惑を被る真の被害者と呼べる層は真の意味で2ちゃんねるとは何であるかを知らないのと同様に、はてなブックマークにより真の被害者と呼ぶことの出来る人間あるは層が生まれているとすれば(いや事実生まれているのであるが)、彼らははてなブックマークとは何であるかを知らないだろう。





つまり、まったくの弱者というものは、自らに拳を振り上げているものが何であるかを理解するだけの能力あるいは余裕というものを持ち合わせていないのである。それが匿名だろうと実名だろうとそんなものはまったく関係ないし、悪意のある言いがかりだろうと、善意ある嘲笑だろうと他の何であろうとそんなことはどうでもいいのだ。


言うまでもなくそのような人々ははてなブックマークに不条理かつ不愉快なコメントを発見したとしても、それを不条理であると指摘し弁舌反論を行う能力を持ち合わせていない。また、どこかに駆け込み助けを求める能力を持ち合わせていない。そもそも問い合わせ窓口も規約も無い無法地帯だ。


即ち、声なき弱者の声を聞く方法は無い。
それらに対する唯一の対処こそが、絶対なる統治である。





そして、なによりも忘れてはならないのは、インターネットの企業においては「儲ける為には統治を放棄する」というのが最も有効な手だてであるという事だ。即ち、はてなに道徳が無いのは「はてなに道徳がないから」ではなく、それを戦略として選択しているに過ぎない。


例えば2ちゃんねるが、あるいは一部アップローダーの管理者が、winnyの開設サイトの運営者が、違法アダルトサイトの運営者が、道徳の無さというものを戦略として選択肢し、暴利を貪っているのと同じように、はてなはそれを戦略として選択し、持ちうる資源の全てを特定箇所に集中することで成長しているのであり、仮に礼による統治というものがこの世界に実在するとしても、そんな高コストを費やす余裕はない。そもそもそのようなものは実在しない。


つまり、これは場としてのはてなブックマークが放置という戦略を象徴する場所であり、そのような場所にはそのような行いが生まれるのは当然の帰趨である。


そもそもはてなブックマークにはブログとの紐付けなどというものは存在していない。ブックマーカーのコメントからブログを見てそれがどのような人物であるかを見るのは、引き篭もりだのNEETだのというどうしようもないくらいの暇人か、コメンテーター側の、コメンテーターについての情報を持つ関係者だけだ。それは信者と表現してもよいくらいの狭い領域の馴れ合い関係者である。即ち、第三者は知り得ない領域の話であり、存在しないに等しいのである。





もう、まったくもって、たかだがハンドルネームだなにだがわかったくらいで世の中の全てのパワーハラスメントが存在しなくなると考えられるようなおてんとさまには白旗降参。