2005年11月7日月曜日
日本にプロゲームというものが根付かない理由。
熱狂が過ぎ去った後に何が残るかなんて、誰にもわかりやしない。
けれども、1つだけ確かなことは熱狂の後には必ず何かが残るという事だ。
もちろん、それが負の遺産であるか正の遺産であるかなんて、誰にもわかりやしない。
宇宙の誕生を目にした人がいないのと同じように、あらゆる評価や真っ当な事実認識なんてものは事後に歴史家が行うものであり、その意味で僕らは直視出来ない未来を生きている。
その光、即ち2005年の11月7日夕刻という今この瞬間に光っているものが我々の目に届きその姿形を明らかにするのは、5年10年先のこと。瞳は常に何かを見ており、自分が何を見ているのかを知らない人は1人もいないが、己の瞳が何を見つめているのかを確かめられた人は1人としていない。
出来ることといえば、ただひたすらにその場を離れ続けること。
その全容が見えてくるくらいまで、遠く、遠くKEEP LEAVEING!!
全力疾走というものがもしも仮に存在するとすれば、それは追求や探求などではなく、逃れ得ぬものからの逃亡に他ならない。そして、逃れえぬものの半分は享楽を求める欲望であり、残りの半分は老いだ。
「時間が全てを解決してくれる」という言葉が示すように全て灰燼、俺は廃人、ブログの中に住む怪人、ここはハイチ、今来た海路、アルプスの少女、、、ハイジ!!!。
色々な意味で、僕はもう駄目だ。
人が何かを駄目だ、とけちをつける場合、 その人そのものが駄目なのを責任転嫁している事が多い。 この場合もまさしくその類で、僕はもう駄目だ。はじめからわかっていたことだけれど。って、そのままじゃねえか。((インスパイアmyself))
即ち、時間が全てを解決してくれるという言葉が示すように全ては灰燼に帰すのだ。真実というものがもしも仮に存在しているとするならばそれは。
*はいのなかにある*
こんな酷い前置きを書いてしまったその続きとして、日本にプロゲームというものが根付く余地は無いだなどと書き進めていいのかどうか相当に悩んだのだけれど、どうせだから書いてしまおうと思ったので、書かないことに決めた。逆を行く。常に逆を行く。泣きたいときには笑い、笑いたい時には泣き、叫びたいときには星より秘かにインターネットで歌おうじゃないか。僕らが立ってるこの場所は、ここは未来の歌声喫茶。