2005年11月6日日曜日

仮にGoogleが未来を作っているとするならば、金子勇は犯罪を作っており、西村博之は暴徒を作っている。



Googleは未来をつくっていない。
これは主張では無い。
事実である。








仮にこの世の中に未来を作るという行為が存在しているとすれば、それは愛のある子作りだけである。Googleは愛のある子作りをしていない。即ちGoogleは未来をつくっていない。

しかしながらGoogleが何も作っていないとするのは間違いである。
Googleは確かに何かを作っており、事実、Googleは何かを作ろうとしている。




Googleは何を作っているのか。
それは、インフラである。
未来という文脈上で言うならば、それは未来のインフラである。




インターネットのあらゆる道具は、何かしらの基盤即ちインフラとなる。
実のところ僕はGoogleが未来のインフラを作っているだなんてこれっぽっちも思ってはいないのだけれど、もしも仮にGoogleが未来のインフラを作っているとするならば、金子勇は犯罪のインフラを作っているし、西村博之は暴徒のインフラを作っている。

GoogleはGoogleであるが故に未来の巣窟であるし、
winnyはwinnyであるが故に犯罪の巣窟であるし、
2ちゃんねるは2ちゃんねるであるが故に暴徒の巣窟なのだ。




そしてそれら全てのインフラに共通して言える事は、それらのインフラはそれを使う人民には利得をもたらし、作り手には利益をもたらす。言うならばGoogleが作ろうとしているもの、あるいは既に作り上げたものは新たなる利益構造であり、新たなる既得権益の礎となるインフラであり、それは即ち現在のインフラではなく、現在のインフラの一部を破壊しその場に収まる未来のインフラである。




では、はてなブックマークは何のインフラたるのか。
それはウェブサイトへの暴言のインフラであり晒し上げのインフラである。

今更言うまでもなく、はてなブックマークとはURL必須の一行掲示板である。
即ち、はてなブックマークとは盗まれたコメント欄である。
であるかどうかは別として、盗まれたコメント欄として機能するのである。

それはウェブサイトの管理人が存在すら知り得ぬという点で盗まれているし、
ウェブサイトの管理人が管理出来ないという点においても盗まれている。

それだけであればコメント欄が盗まれた事のみが問題となるだけであろう。しかし、問題即ち重大な事実は、はてなブックマークはただ単純なる盗まれたコメント欄ではないという事だ。




はてなブックマークという盗まれたコメント欄には、通常のウェブサイトのコメント欄というものには存在していなかった横の繋がりというものが存在する。コメントをつけた人間のコメントは全て一覧にして閲覧が可能であるし、さらに多数のコメンテーターがコメント、より正確に言うならばブックマークしたウェブサイトは、はてなという巨大サイトの巨大ページにおいて衆人の目に晒される。

そして、それに対するウェブサイトの管理人は常に無力である。盗まれたコメント欄にして何の対応も不可能である。無論の事2005年にという現在においてコメント欄につけられるコメントとウェブサイターの間とのトラブルが当事者間の話し合いで解決する事などありえない。ウェブサイトがインターネットに向けて振り上げられた拳であるのと同じように、コメントというのはウェブサイトに向けて振り上げられた拳でしかない。仮に話し合いによる解決の手段というものが存在しているとするならば、それは拳と拳の語り合いでしかなく、過半を占める多くのウェブサイターはそのような事柄を全く望んではいない。

つまりその点において僕が指示する行動というものはコメント欄の完全なる閉鎖において他はなく、海は陸へと成り代わる。それはガ島の昔から自分が主張し続けている事柄である。話せば解るは嘘なのだ。




つまり、仮にはてなブックマークに問題があるとすれば。
いや、この仮定はおかしい。
なぜならば事実。

はてなブックマークには問題があるからである。即ち、はてなブックマークの問題は、盗まれたコメント欄としての機能に対する対策というものが一切用意されておらず、そればかりははてなは当然にして用意するべきその責任を果たすつもりが一切ないのである。




今更言うまでもなく。
はてなブックマークは墨俣にて作られ、それにより生じるであろう一切の諸問題に対する対策というものを行わず、その責任を果たさず、無論のこと果たすつもりもなく、より正確に言うならば果たさない事による利益というものを保持する為にはてなブックマークは50%にてリリースされたのである。そしてそれは永遠の50%即ち1/2である。




はてなはなぜ、いやインターネットの企業というものは往々にして、なぜ、50%即ち完全な形ではない未完成な段階でウェブアプリケーションというものをリリースするのか。

それは、利益の為である。
インターネットの速度というものは犬にも増して速きものであり、その1秒1分を1セントに変換し回収するが為に、彼らは一秒でも早く、遅れをとらぬ事だけを目指してリリースを行うのである。即ち、それは作り手の利益の為であり、その他一切の諸々は考慮されない。




結局の所、あらゆる製品を製造する企業には、ユーザーに対する責任というものが生じる。そしてそれは果たすべき義務であり、本来ならば当然の勤めなのである。

不良品を売った企業は回収する義務が生じるし、ユーザーに不利益が生じなたらばそれに対する責任というものが当然にして生じるのである。即ち消費者は保護される。




ところが、インターネットという道具は消費者という概念を破壊した。
ウェブ時代の消費者とは、元来の消費者という言葉が指し示したお金を出して物品を購入していた人という構図を打ち壊し、お金を出さずにサービスを利用する使用者という緩い広がりへと形を変えたのである。

さらに、それだけには留まらない。
ワールドワイドウェブという境界の存在しない場所におけるあらゆるサービスは、インターネットに息吹を吹き込む全ての人々を繋げ、「消費者」と「非消費者」という境界線を消し去って、閲覧者という1つの枠組みに括ってしまったのである。

しかしながら、それ自体は新しいものではない。
それは丁度、テレビ番組やラジオ番組の消費者が、莫大な金額を費やして生産された商品を一円の対価をも支払うことなく消費するのと同じように、インターネットもそうなのである。




ただし、インターネットと元来のマスメディアには、大きく違う点がある。
それは、結論から言ってしまえば、自由であるか自由ではないかだ。

放送というものは様々な規制の下にあり、自由でも無法でもなく責任追求衆人環視白日の下に晒される。対してインターネットは様々な規制が事実上無効化されており、行き過ぎた自由を享受するインターネッターだけがそこにあり、彼らは一切の道義的責任の管理外にある。








結局の所、はてなブックマークは暴言暴徒の根拠地と成り得、晒し上げの場所としての機能を持ち、事実暴言暴徒の根拠地と成り晒し上げの場として機能し続けているにも関わらず、はてなはそれに対する一切の対策責任というものを行わず怠り、50パーセント1/2、即ち企業の利益保護だけを追求し、インターネッターの保護というものを放置し続けているのである。


はてなブックマークとは商品の作り手というものが当然にして果たすべき勤めを果たさぬインターネットが具現化した無責任であり、道義と愚か者とが愚かであるというたったそれだけの理由により死に行く象徴の場所である。