2005年11月17日木曜日

ムカつくトラックバックが来た。



どれくらいムカついた、というかどれくらい激昂したかというとブログごと削除してやろうかと思ったくらい腹が立った。というかトラックバックは削除しません的俺ルールに基づいてブログをやっている身であるからして、リアルでやりそうになったがぎりぎりのところで踏み止まった。やっと精神的には多少落ち着いてきた。というかそれどころじゃなかったというのもあるのだけれどとにかく腹が立った。

何が気に入らない、というか腹が立ったかというとというか生真面目に書こうとすればまた脳みそがちぎれそうな感じになって文章が書けずまたさらに気分だけが害されてゆく。即ち、何故ムカついたかというとそれが検索エンジン経由の検索トラックバックだとか、言及リンク無しのトラックバックだとか、そういうことではなく、トラックバック元のブログが韓国叩きで生計を立てているというイデオロギー的に僕が最も忌み嫌う類のブログであり、そのようなブログの宣伝行為に自分のウェブサイトが利用されているという事は今すぐに滅多刺しにしてやりたいという類の怒りを禁じ得ない。というか本当に八つ裂きにしてやりたい。皆殺しにしてやりたい。地球を爆発させるスイッチというものがもしも仮に存在しているならば迷わず押す。たとえそれがエベレストの山頂にあろうとも押しに行く。

トラックバックという極度に機械化かつ大衆化された自動リンク挿入システムの一番の弊害はおそらく「話の通じない人からトラックバックが来る」とういものだろう。自分自身どちらかというと話の通じない側にいるからして、余計にそう思う。あ、これは別の話か。




そういや、「○○は駄目です」という記事を物凄く真剣に書いた所、Googleアドセンスによってこともあろうかその「○○の宣伝」が挿入された事に腹を立ててGoogleアドセンスを削除した、という話をどこかで読んだことがある。

それはいくらなんでも過敏すぎるだろう、とその時は思ったのだけれど、今ならば少しくらいは理解が出来るような気がする。その程度の実入りだった、という事なんだろうが。




どうでもいいのだけれど、未だに発作的にやばいくらいに腹が立つので、しばらくの間に跡形もなくブログ削除してどっか行ったりしていたらそれは「ああ激昂したんだな」くらいの話って事で。というか、都合良く収まっていたのにまたむかついてきた。

こっちはゲームもせず、食うもんもろくに食わず、飲むものもろくに飲まず、満足に手洗いにも立てず朝から晩までエントリーの散らばった骨格、フレーズ、キーワード、というものを必死に寄せ集め続けてなんとかして1エントリーをこしらえようとそればかり考えて一年中過ごし、言うならば大げさでも何でもなく人生の全てを注ぎ込んでおかげでアホほど金も時間も浪費してインストールキーも飲み込んで書きたいことばかりが増えていく中で収拾がつかず、ろくに一つも書き上げられずに何一つ成し遂げられない、それどころかブログのエントリーの1つを書き上げる能力すら失われ、さらに日々失われ続けてゆく自分自身というものに苛立ちばかりが増しては「元々そんなものは無かったのだ」などと逆方向に自分自身を慰めて見事逆効果あばら骨が全開になって心臓がおっぱいミサイルのように飛んで行ってしまいそうなくらいの虚無感を感じまくっている間中もずっと、頭の中ではブログの切れ端、あるいはエントリーの原型が「俺を書け」「俺を書け」とあたかもオレオレ詐欺の実行犯のように自己主張を繰り返しては修行中のラマ僧の鳴り止まぬ読教のように、ブログのエントリーになる余地の無いくだらなくて取るに足らないフレーズやら感情やらを脳髄に突き付けてくる。当然にして僕は浮き足だって「ああ、ブログを書かねば」「ああ、ブログを書かねば」と、もはやそれ以外の一切の自分自身の人生における選択、あるいは決断というものを下す能力を失ってしまっており、ただ阿片の中毒に骨抜きにされた眠れぬ獅子言い換えれば不眠症の巨大な猫のようになった自分自身を眺めてはまた「ブログを書かねば」としか思えないという破滅。目が覚めるとまず一番に本日のエントリーというものをまだ書き上げられていないという事実に気が重くなり、投稿ボタンを押した瞬間からは明日のエントリーというものがまだ原型すら成していないという事実に滅びそうになる。滅びろ、いっそ滅びろと思ってみてもこしゃくなことに一向に、滅びる気配というものが無い。ああ、ムカつく。結局の所激昂したからという理由付けを行ってブログなんて捨てちまえばよかったのではないかと思うくらいにムカつく。おそらく怒り方というものが間違っている。おそらくは少し疲れているのだと思うが、眠ればどうにかなる、あるいは休めばどうにかなるといった類の疲れではなく、書けばどうにかなる、としか思えない類の疲れであるからして書くしかないのだけれど、「書けばどうにかなるだろう」という予測自体がまったくもって間違っており、書いたところでどうにもならないという事はこの一年間が証明しているではないか。ゲームをプレイして駄目なやつというのはゲームをやめたところで他の事をやるだけであり、その本質的な駄目さ、即ち救いようの無さというものはまったく変化していない。つまりは魂が汚れているのだ、魂と書くと宗教じみていてキモく聞こえるから書き換えると、性根が腐っているのだ、そう。性根が腐っているのだ。根腐り。根腐り。今の自分に必要なものというのがもしも仮にあるとすればそれは消毒だ。ホルマリンの中にでもたたき込んでしまうべきなのだ、全てを。ホルマリンという薬剤がどのような効果を持つものであるかなどまったく知らないが、消毒用アルコールなどよりは強力だろう。強力であればよい。即ち何か大それた強さによって全てを蒸散させてしまえばよいのだ。思慮とか、配慮とか、気遣いとか、気配りとか、優しさとか、怒りとか、希望とか絶望とか己の人生これまで生きた軌跡の全てとか。そうして馬鹿になってしまえばよい。ほんまもんの馬鹿にさえなってしまえばおそらくは、ブログなんて書かなくてもよくなるのだ。だからといって、ブログを書いている人間が馬鹿ではないかというとそうではない。馬鹿にも色々あるのだ。よくわからないがとにかくムカつく腹が立つ激昂。いったいなにに?ってそれは最初に書いただろ。
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というかマジでムカつく。朝まで腹が立つ腹が立つ収まらない収まらないって書き続けられそうな位にムカつく。いい加減精神衛生上よくないと思うのでブログのエントリーでも書くか、という思考順序からして間違っている。それではおそらくではあるが余計に腹が立つだけだ。何故ならば自身が労力あるいは人生というものを注ぎ込んでいるからこそ、それが糞野郎に商業利用、しかも、という形でされた事に腹が立つのであり、「俺はブログなんてどうでもいいよ」という斜に構えた態度で適当にブログをやっておればおそらくは、こんなには腹が立たなかったはずなのだ。つまり正面から全力でブログというものを書いているからしてこんなにも腹が立つのだ。畜生。なんでこのように賢明に書き続けてきたものを糞トラックバックで汚されねばならんのだ。まったくもって忌々しいにも程がある。死ね。