2005年12月9日金曜日

ブログにつけられたコメントを全て読むというのはブロガーに課せられた責務である。



とやってしまっては幾らかの不都合が出る。

とはいえ、僕は「コメントは読みません」だとか「読むかどうかわかりません」などと言っているブロガーは全て人と呼ぶに値しないインターネット強いては世界の粗大ゴミであると認識している、のだけれどそれは個人的嗜好に過ぎず、過ぎない。








ブログというのはコミニケーションを貪欲に求める層との相性が非常に良く、インターネットのあちらこちらでは今日も、我が物顔で居座りコメンテーター化した人々とブロガーとの間で三木の干殺しにも等しい一方的な消耗戦が繰り広げられている。それら「読むに値しないコメント」を全て読むのがブロガーに課せられた責務であるとすれば、ブログというフィードバックの敷居を下げたウェブツールの生み出す利益を最も享受しているのは、我が物顔で触れ回るだけの不躾さを有する人々であると言えるだろう。

普通の至って真面目なブロガーは自分のブログにつけられたコメントを全て読むのが当たり前の事であり、ほとんどの人はそうしているだろう。となると、それらの人々即ちブロガーは「読みたくもないのに読まされる」という点において究極にも近い無価値な文章を読まされ続けているという事になる。

無論のこと、それらコメントの多くはコミニケーションやフィードバックを求める人達にとっては福音なのだろうが、世の中にはそうではない人も大勢いて、この当たり前のようにコメント欄で馴れ合いじみた自己紹介を始める人々、大手小町的に言うと、いや、よくわからんが。大手小町的に言うと、、、わからんな。えっと、大手小町的に言うと、、、ええええ。わからんわ。

無論のこと、それらコメントの多くはコミニケーションやフィードバックを求める人達にとっては福音なのだろうが、世の中にはそうではない人も大勢いて、それらのブロガーは当たり前のようにコメント欄で馴れ合いじみた自己紹介を始める人々相手に心も脳も篭もっていない上べっつらだけの儀礼的な大人対応コメントを返し、その「コメントにレスが帰ってきた」という事象を、「馴れ合いOK!」「俺たちはもうお友達!」「マイミク申請通った!」的なサインであると勝手に受け取って、だらだらあ、だらだらあ、とまったくもって読むに値しない応答、やり取り、コメントというものが付けられ続けるという現場を幾らか目撃してはその度に萎える。

とにかく「コメントにはレスをするのがブロガーの責務」とまでは言うつもりはないが、やはりコメントには目を通すのがブロガーの責務ではなかろうか。

とやってしまっては幾らかの不都合が出る。




例えば真鍋かをりのようなブログのブロガーが付けられたコメントに目を通すとなると、それはもう絶望的な時間の無駄である。過去にあのブログにつけられているコメントがどれ程までに無価値無内容ゴミとしか呼べないものであるかは筆舌にほんまもん。

さすがに僕は真鍋かをりや、あるいは真鍋かをりのようなブロガーが「コメントはほとんど読んでいません」と言ったとしても、糾弾する勇気は無い。

とりあえず真鍋かをりの事はもう忘れよう。
彼女と僕の関係はあの日を最後に終わってしまったのだから。
今思えばあの頃の僕らは幼すぎたのだ。あまりにも。








コメントに目を通すのはブロガーの義務である。
とりあえず、僕の一応の結論はそれである。

しかしながら、そうすると幾らかの問題が出てくる。
例えばそれは、トラックバックである。

ブログにはトラックバックという機能がデフォルトでついており、インターネットの大海原を検索エンジン叩いた人や、あるいは読んだ読まないレスポンスからトラックバックが飛んでくる。




コメントに全て目を通すのがブロガーの責務であるならば、当然にしてトラックバックに全て目を通すのもブロガーの責務だろう。

即ちコメントやトラックバックというフィールドは「特定の人間に100%読ませる事が出来る」という正しく極上の著述場に他ならない。

その「100%読んで貰える」という読み保証こそが、コメントやトラックバックというもが人々に受け入れられた1つのポイントではなかろうか。おそらくmixiも似たような物で、特定の人に「必ず読んで貰える」「必ず見て貰える」という保証が欲しい人々が世の中には大勢いるのだろうと思う。




即ち、コメントを読むのがブロガーの義務であるならば、トラックバックを読むのもブロガーの義務であると思う。少なくとも僕はそう考えている。

であるからして、「トラックバックは読みません」などとぬかしているブロガーは全て人と呼ぶに値しないインターネット強いては世界の粗大ゴミであると認識している、のだけれどそれは個人的嗜好に過ぎず、過ぎない。




例えばコメントとトラックバックは読むのが義務であるとする。
そうすれば幾らかの不都合が出る。

なぜならば、インターネットの上にはトラックバックに準ずるフィードバックというものが大量にあるからである。



「送られてきたメールを読むのはブロガーの義務か?」
「送られてきたメールに返信するのはブロガーの義務か?」

「リファラから言及を確認するのはブロガーの義務か?」
「はてなブックマークのコメントを読むのはブロガーの義務か?」

読むのは、読むのは、読むのはブロガーの義務なのだろうか。
当然、そうさ。
そうだろう。





どうも、腑に落ちない。
納得の行く落としどころが見つからない。