2006年3月4日土曜日

考えて。



考えて、考えて、それでもまた考えて、よくないことばかりが頭に浮かび続けるけれど、それは考えに考えた結果導き出されたものではなく、凝り固まった先入観が心の中に落ちてきているにすぎないと、自分の思う事全てを否定して、だから考えて、考えて、それでもまた考える。

考えて、考えて、それでもまた考えて、そうしていると、だんだんと、寒くなる。まるで春など、あるいは朝すら来ないかのように思えるけれど、どこかしらから朝は来て、例えばそれに気がつかず夕方までもbattle.netに漂っていたとしても事実、朝が来て、夜が来て、同じように春は来る。もちろんここで言う春は幸せのメタファーなんかじゃあない。僕は多分春が来て尚沈黙などせずに、くだらないこと(いわゆるくだらないことではなく、ほんとうにくだらないこと(いわゆるほんとうにくだらないことではなく、くだらないこと))を書き続けるんだろう。

考えて、考えて、それでもまた考えていると、考えるって事にはなんの意味も無いように思えてきて、途方に暮れてまた考える。例えば考える事に意味、即ち価値が無く、対する考えぬ事、あるいはその本来ならば考える事に使われていた時間を他の何か、例えばDOTA allstars、あるいはブログる事などに使う事こそがこの世界において正しい事であるとすれば、僕の「考えているポーズ」というものこそがこの世の中で最も無意味だ。「なんだって無意味さ」なんてポーズを取らない限りは、きっとこの予測は正鴨を得ている。

考えて、考えて、いや即ち、例えば僕の目の前に考えぬ人と考える人の2者が存在していたならば、僕は両者を軽蔑するだろう。一切の敬意など払わぬだろう。馬鹿にし、罵倒し、軽蔑し、その通り嘲り笑う。ろくでもない奴だと蔑視の眼差しを向ける。それは確定事項である。

けれども、例えば僕の目の前にいるその両者が、他の誰かではなく僕であったならば、即ち僕の目の前に考える僕と考えぬ僕の2者が存在していたならば、驚くべき事に僕は考えぬ僕を軽蔑し、考える僕に対しては最大限の敬意、畏敬とも言うべき恐れおののきに等しいくらいの尊敬の念を送るだろう。

「ああ、おまえはなんたる事か」
それほどまでに。

即ち、僕は己可愛さを機能させるが為だけに考えて、考えて、それでもまた考えて、やがては眠たくなって、それでも考えて、眠たくなって、考えられなくなって、嫌いになって、嫌われて、考えて、考えて、それでもまた考えて、考えるだけで夜が明けて、それでもまた、考えて。

考えて、考えて、やがて眠たい時が訪れ考えられなくなってしまって、きっと人生もこれに似て、生きて、生きて、やがて眠たい時が訪れ生きられなくなってしまって、きっと友情だとか愛だとか、幸せだとかもそれに似て、やがて眠たい時が訪れ何も出来なくなってしまって。

ブログを書いて、ブログを書いて、やがて眠たい時が訪れて僕はその摂理に従う事なく抗って、ブログを書いて、ブログを書いた。