2006年4月5日水曜日

凡人とそうでない人の違い。



凡人は、「やれる」と思った事を行う事が出来る。
凡人は、「無理だ」と思った事を行う事が出来ない。
よって凡人は自身の勝手な判断、勝手な諦めその日の気分により、膨大な数の機会を逸する。


対して超人は、可能であるか不可能であるかの自己判断を保留したまま行動する。諦めない。そして、結果がそのどちらであったとしても動じることなく対応し、生きてゆく。これが超人である。
言うまでもなく、全ての物事が思い通りに運んでいる局面では凡人は超人に勝る。おまけに、人生は不可逆なので、超人がその勤勉さと几帳面さ、危機管理能力を持って確実に歩みを進めた結果、にっちもさっちも行かない、持てる万力を尽くしても不可能の一択、という局面にまで辿り着いてしまうことがある。
そうした場合、超人はその結末が不可能であると完全に理解しているにも関わらず、可能であるか不可能であるかの自己判断を保留し、全ての結末に対処出来るように自らを鍛錬し、万策を尽くし、自らの全てを注ぎ込み、そして満を持して不可能へと突入していく。超人にとって人生とは常に不退転である。
その超人の不屈の様は往々にして凡人に失笑を提供するだけに終わるが、万に一つを掴んだ場合のみ、偉人として扱われる。


即ち、全人類のほぼ全ては凡人である。
超人はほんの一握り特別な人達である。
しかしながら、僕は凡人ではない。


「やれる」と思った事を「俺はまだやれるんだ」という逃げ道を残しておくためにやらない。(言うまでもなく、実の所やろうとしても出来ない。)「無理だ」と思った事を「ほら見ろやっぱり無理だった、俺の予測は正しかった」と勝ち誇る為にやろうとする。(言うまでもなく、それは"やった"というポーズを取るだけであり、凡人の猪突的盲信性や、超人の持つ不退転性とは全く異質のものである)
これを、愚者と呼ぶ。