2007年7月31日火曜日

親指シフト雑記。



非常に書きにくい話ではあるのだけれど、ローマ字配列から親指シフトに転向するのは、かなり大変な事だと思う。はっきり言うと、乗り換えない方がいい。きっぱりと忘れてしまった方が、良いと思う。




まず第一に、親指シフトとローマ字入力では、手の使い方が違いすぎる。キーボードという道具を使用して日本語を入力する、という所までは同じだけれど、道具としてのキーボードの用い方が全く違う。包丁の刃で大根を切る事と、包丁の腹でにんにくを潰す事くらいに違う。

そして、親指という指は、他の指とは付き方が違うので、普通のキーと同時にスペースキーを押し下げるのに適していない。この問題は、親指シフトに慣れて、親指の固定方法みたいなのを体が覚えるとかなり解決するのだけれど、「元々の付き方が違う」せいで、慣れるのに時間がかかる。

鍵盤楽器の経験があると違うのかもしれない、とは思うけれど、よくわからない。ピアニストは、親指の関節を痛めたりしないんだろうか?




次に問題になるのは、親指シフトの為のソフトの挙動だ。特に僕が気になったのは、スペースキーの挙動が変化してしまう事。「単独で打鍵すればスペースキー、同時打鍵すればシフトキー」という、所謂Shift and Space(ワンショットモディファイア)が強制的に導入されてしまう。

もちろん回避方法はあるのだけれど、基本的に親指シフトを使う、という事はこの機能を使うという事である。この機能の問題点は、「スペースキーのレスポンスが遅くなる」という事である。

コンマ何秒、という単位だけれど、ディレイが出る。「単独打鍵時と同時打鍵時を別物として扱う」為に、スペースキーを押してから、実際にスペースキーとしての挙動が生じるまでに、一瞬の遅れが出る。

その遅れは当然、スペースキーの側だけではなく、全てのキーに生じる。(この遅れを親指シフト対応ソフトの側減らす事は可能だけれど、同時打鍵の判定はよりシビアになり、シフト入力が困難になってしまう。)

僕にとっては、だけれど、このラグはかなり嫌である。メモリ16MBのパソコンでWindowsMEを走らせているかのようなストレスを受ける。タイピングをアクションゲームのような感覚で行っているならば、地球の裏側からのニュース中継のような、タイムラグを感じてしまう。




また、これは小さな問題なのかもしれないけれど、「人によって指使いが違う」という要素も差し引かなければならない。どんなに親指シフトの配列が、日本語をタイピングしやすいように最適化されていたとしても、ホームポジションや指使いが普通ではない人にとっては、あまり意味がない。

極端に言えば、「右手人差し指一本でタイピングする人」にとっては、JIS配列の方が親指シフトよりも優れた配列であると言える。

少なくとも我が国において「タイピングの正しい指使いを習得する普遍的な機会」というのが存在していない以上、タイピングは人それぞれ、ホームポジションも人それぞれ、指使いも人それぞれ、という事になってしまう。


僕は、親指シフトでの入力の方が圧倒的に速くなった今でも、ローマ字入力時のホームポジションは、左手人差し指は「D」で、中指は「2」と「3」と「W」の中間であり、少しも標準のホームポジションに近づいていない。

ここまで酷いのは稀だとしても、「キーボードでタイピングを行う時間」というのは、PCを利用する時間の、ほんの僅かなものでしかない。普通の人間がPCで行うのは、ネットサーフィンである。

僕の場合はそれがタイピングではなくゲームであり、そのせいで左手のホームポジションが、左上に引き摺られてしまっている。(家庭用ゲーム機で言う所の十字キーに相当するASDWを多用したり、[1][2][3]キーが非常に重要だったりする。)

いくらか言い訳がましくなってしまったけれど、配列はタイピング癖の差異を飲み込む事が出来ない、というのはどうしようもない事実だと思う。




とりあえず、僕がどうしてもネガティブになってしまうのは、親指シフト入力が、特に速さという面では優れているのは疑う余地の無いところだけれど、導入コスト、ランニングコスト共に、ちょっと高すぎるように思う。

親指シフトを、という人は、まず最初に、10分使用した時点で「どうもちょっと・・・」といったような違和感を感じたら、きっぱり忘れて止めた方がいいと思う。そこを通り抜けられたならば、3時間は使ってみてほしい。そこでやはり「ちょっと」と思ったならば、全て忘れるのがいいと思う。

多分、3時間過ぎて大丈夫だったら、10~20日くらいで、「それなりに」入力出来るようになると思う。それでも、乗り換えコストに見合う所まで打てるようになるのは、かなり時間がかかると思うので、コスト的には見合わないと思う。




とは言ってみたものの、やはり僕自身親指シフトの暗黒面に飲み込まれてしまっている感が拭えない。「高いお金を出して買った物を否定したくない感情」と同じような種類の、「苦労して習得した親指シフトを無理矢理にでも肯定したい」みたいな。読み返してみても、どこのどの部分で肯定しているのかは自分でも理解できないけれど、少なくとも完璧に親指シフトの暗黒面に飲み込まれてしまっているという自覚はある。なんとなく。