2007年7月31日火曜日

RSS全文配信推進派の人達が、はてなブックマークのRSSが部分配信な事に文句を言わないのはどうしてなんだろう。



「RSSは部分配信よりも全文配信がいい」と主張している人達が、はてなブックマークのRSSが部分配信な事について、文句を言わないのはどうしてなのだろう。








ライブドアリーダーのRSS登録数を見ると、はてなブックマークの登録数は「人気エントリー」が4500、「注目のエントリー」が1000くらいで、登録数ランキング的には合計するとだいたい、5位相当になる。

なのに、「はてなブックマークのRSSが部分配信なのは時代錯誤」などといった批判が一切聞こえてこないのは何故なんだろう。




もちろん、「余所様のウェブサイトを全文配信するのは、著作権的に問題がある」という事は理解している。でも、そのくらい「特定タグが配置されているサイトのみ、全文配信致します。どうぞご利用ください。」で済む話である。

それに、200字以下のエントリーは、(取得すると全文配信になってしまうので)内容を取得しない、というのも滅茶苦茶な話だ。一体何に気を遣っているのかさっぱり理解できない。

これは極めて物凄い私見だけれど、全文取得して表示されるよりも、機械的にぶつぎりにされて、改行コードを削除されて、限定取得して表示される事の方が遙かに気分が悪い。そんな事をするくらいならば、全文配信にしてくれた方が、ずっと受け入れやすい。




ちょっと前に、要約表示ページ(b.hatena.ne.jp/entry/対象URL)にデカデカと表示されていたGoogleアドセンスが消えて、上部の一行広告のみになった時は、てっきり「全文配信化へ向けての地ならし」だと思っていたのだけれど、どうやら違ったようだ。あれは一体なんだったんだろう。








まあ、株式会社はてなの場合、インテリジェンスタクティクスの致命的なまでの欠如というのは、社風であり、伝統なので、そこは仕方がない。はてなダイアリーの全文配信に対しても、非常にネガティブなアクションだったようだし。

でも、はてなブックマークが全文配信に対応していない事に対して「時代錯誤も甚だしい」といったような批判が一切聞こえてこないのは、極めて奇妙な光景に見える。末端のブログに対しては「全文配信しろ。してないブログは読む気がしない」などと高圧的に押し迫る事すら行う彼らが、はてなブックマークの部分配信に対しては見事綺麗にスルーのは奇妙結滞不思議である。










変な風に、全文配信反対派だと勘違いされても困るので、誤解の無いよう書いておくと、当ブログのRSSが部分配信なのは、決して意図的なものではない。

ブロックブログが全文配信に対応していない、というだけの話である。技術的(あるいは労力的)に可能になったならば、部分配信/全文配信の両方を設置したいと思っている。

RSSリーダーでブログを読んでいないので詳しくはわからないのだけれど、欧米での全文配信を巡る論議の中で、全文配信は部分配信よりも理想的なものではあるが、テキストの長いブログには適さない、という話になった、というのを読んだ記憶があるので、デフォルトをどちらにするべきか?というところまで考えた事がない。








ただ、一人のブロガーとしては、RSSリーダーで読まれる事を想定してエントリーを書いてはいない。sinseihikikomori.bblog.jpという、HTMLの中で、読まれる事を想定して、それに最適化して書いている。




RSSの致命的な欠点の第一項は「(僕が知る限り)改行コードが反映されない」という事だ。これは本当に、どうしようもなく致命的な問題だ。改行コードは文字ではないのだから、「そこに意志は存在しない」などと思う人がいたならば、それは大きな間違いである。

例えば、みっしりとした単語を続けて段落に比重を生じさせて、それを改行で解放して、次の一段で集約、という事を行っても、RSSだとそれが全て失われてしまう。

極端に言えば、ブログとして「最も重要な情報」が欠落し、機械的に生成された「書いた物ではない何か」が流通してしまう。それはとても残念な事だし、とても悔しい。極めて無念だ。




また、僕は書いたエントリーをSleipnir/IE、firefox、flock、Operaの4ブラウザで表示確認して、どのブラウザで見ても、快適に読めるように手を入れているのだけれど、それだって意味がなくなってしまう。

>~~~~~~~~~~~~~焼肉
>定食を~~~~~~~~~~~

>~~~~~~~~~~~~デフレ
>スパイラル~~~~~~~~~~

上のような形で改行が入ってしまうと、「焼き肉」と「定食」、あるいは「デフレ」と「スパイラル」という言葉がそれぞれ分離してしまうので、


>~~~~~~~~~~~~~~焼
>肉定食を~~~~~~~~~~~

>~~~~~~~~~~~~焼肉定
>食を~~~~~~~~~~~~~

>~~~~~~~~~~デフレスパ
>イラル~~~~~~~~~~~~

文字サイズ等が標準設定ならば上のようになるように手を入れたり、行頭に"なにぬねの"や"ぱぴぷぺぽ"といった弱い字や、"閉じ括弧"等の記号が来ないようにしたりとか。








こういった「情報」や「肝心要のフレイバー」を機械的に切り捨ててしまうRSS配信というテクノロジーは、「RSS配信されたものを直接読む」という使い方が成されるならば、致命的なまでの欠陥を抱えている。

もちろん、RSSという規格によるメリットは十二分に理解している(そのメリットを享受してもいる)。また、書いた物をどのように消費してほしいか、という事を受け手に求めるつもりも、望むつもりもないし、そういった感情を抱いてもいない。僕は書く限りの人であり、「情報」や「肝心要のフレイバー」も含めてよりよいものを書きたくて、せっかく書いたのならば、出来る限りそれが残る形で流れてほしいだけである。その点から言うと、RSS全文配信には否定的な感情も抱いていなければ、肯定的な感情も抱いてはいない。RSSというもの自体にも、同じである。


ただ、RSSとRSSリーダーだけでWeb上のテキストreadingは完結するべきだという思想に基づいた、急進的RSS至上主義の押しつけには、まったくもって賛同できない。RSSはたとえ全文配信であったとしても、「全ての情報」ではなく「機械的に切り分けられた情報」にすぎないのだから。