2007年7月28日土曜日
フォースダウン
昔見た、外国のテレビの番組で、1点ビハインドのロスタイムに、その週一番のベストゴールを25ヤードのミドルシュートで左隅に決めた、太くて短い足を持つ、リーグ屈指のセンターハーフが試合後に、インタビューを受けていたのを強烈に、覚えている。
「後半開始すぐに味方選手と交錯してから、記憶が全く無いんだ。」
「あの素晴らしいシュートのことは?」
「まったく覚えてない。」
「一点目も?」
「さっきチームメイトから聞いて驚いたよ。自分が2ゴールだなんて。」
「本当に?」
「ああ、覚えてないけれど、チームの勝利に貢献出来て本当に良かった。」
(ここで渋い声のナレーターが「いえいえ、引き分けです。
しかし貴重な勝ち点1。残留争いになんとか踏みとどまりました」
とかなんとか言って、coolに水を差し、それではまた来週。)
もしも、彼の言うことが本当だったなら、シュートすら滅多と打たないような労働者タイプのセンターハーフが45分で2つの見事なゴールを決める事が出来たのは、「記憶がなくなるくらいに頭を強く打った」からという事になる。
似たような話は他でもあって、「いいのを貰ってダウンしてから、見違えるような動きになってKO勝利」とか、「目が覚めたら何故かコードが書き上がっていて、しかも驚くべき事に無事動いた」とか、「泥酔していて全く覚えていないけれど、見紛うような英語を喋っていた」なんてのも、聞いたことがある。
つまり、あいにく夜が明けてしまったので、魔女の呪いが襲い来る前に物凄く足早に間違った強引な結論を急ぐと、「人間の能力を制限しているのは、他ならぬ自分自身の思考である」と言うことが出来る、かもしれない。いや、もう夜が明け、夏が来て、蝉鳴き濡れて、腹減って、魔女に呪われてしまったので、何も迷わず断言する。
即ち、人間の能力を制限しているのは、ほかならぬ自らの思考なのである。
それは丁度、「下手な考え休むに似たり」という諺や「"Don't think. FEEL. It is like a finger pointing away to the moon. Do not concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory. 」という台詞が指し示すように。
結局のところ、言ってしまえば人という生き物は、思う力や考える力を失えば失うほどに、力を手に入れる事が出来る。音符を描くストローみたいにややこしくなってしまった我等は正に、いらないものの塊なのだ。あまりにも、複雑化しすぎてしまっており、それが僕らを妨げるのだ。頭を雲に打ち付けて、全ての思考を止めるのだ。
起きてて悲しくなるくらい、頭の足りない僕ですら、いろんな心が蠢いて、ありがとうの一言にすら、果てなく迷って辿り着けない。けれども幾夜を眠らずに、呪い憎んで過ごしたならば、思う力は失われ、考え全て煮凍って、全てがゆっくりかたまり止まる。水平線の向こうに消えた、月の数だけ遂げられる。人間は、もっと失い、もっとなくせば、もっと、もっと、成し遂げられる。願う心を失えられれば、どんな願いも必ず叶う。
考えが死ぬ度に、思いが死ぬ度に、心の咎を1つ忘れるその度に、僕は少しずつ加速する。首から上と、臍より下は、生きて行くにはもう不要。脳が腐って落ちたなら、一週間と過ぎぬ間に、僕は宇宙を統べるだろう。死ね、行く手を遮るもの全て、死ね、願いを阻むもの全て、死ね、僕を妨げるもの全て。死ね、僕を妨げるもの全て。