2007年8月1日水曜日

お気に入りのブロガーが理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを連発しまくって困る。



世の中には、面白いブログのエントリーを書く才能を持った人というのが、一定の割合で存在していて、それ自体はどうであっても構わないのだけれど、運悪くそういう人を好きになってしまって困っている。本当に困っている。困窮しているのである。




僕がブログを書くのは、「ブログを書きたい」からブログを書いているというのはもちろんなのだけれど、それと同時に「ブログを読みたい」からブログを書いているのである。

ところが、そういった理不尽なまでに面白いエントリーを、それも物凄いハイペースで毎日欠かさず書きまくっているブロガーを運悪く好きになってしまうと、「ブログを読みたい」という衝動情熱その類が異次元彼方に飲み込まれ、寸断されて消えてしまう。

「ブログを書きたい」という動機と「ブログを読みたい」という動機はたとえるならば両翼、両脚、両輪であり、どちらが欠けても「ブログを書く」という営みは深刻な影響を受ける。

その影響が、「ブログに対する興味が失せる」というものならば、まだ良い。何の問題もない。問題もないというよりも、まるきしハッピーエンドである。

けれども、そういった類の、べらぼうなまでに凄まじいクオリティのブログを読む事によって失われてしまうものは、「ブログに対する思い」という両翼、両脚、両輪ではなく、「ブログを読みたい」という片翼、片脚、方輪であり、取り残された「ブログを書きたい」という片翼、片脚、方輪はぐおんぐおんと暴れ狂い、砂塵を上げて絡まるカシミヤのロングマフラーを切り刻んでは投げ千切り、辺り一面散らかして、鳴門の渦に消えてゆく。

ならば、そういった類のブログ、つまり面白いブログのエントリーを書きまくる才能を有したブロガーのブログを読まないようにすればいい、というのは解決策の提案としては極めて正しい。台風の日と大地震の日には海に近づかないようにすればいいよ、という現実的な提案である。けれども、考えの道順自体は物凄く正しいのだけれど、それを実行に移せるかというと、それは、ちょっと、不可能だ。

何故ならば僕はその、理不尽なまでに面白いブログのエントリーを書きまくる才能に満ちあふれたブロガーの事を、世界が僕らを許すなら、今すぐ5人でハネムーンくらいに好きになってしまっているからだ。この忌々しい世界さえ滅びてしまえばれば、この瞬間にも両手両足に花なのに。いや、この場合は両足よりももっと適切な場所があるだろう、という指摘は極めて正しいものだと思う。

即ち、僕の要求は単純至れり極まれりで、理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを書きまくるブロガー諸姉は、たまには凄まじくつまらなくてからっぽの糞エントリーも書いてくれないと困る、という事なのです。誰が困るって、僕が困るのです。ああ率直に言わせてもらえばもう無理もう駄目絞り絞って捻り巻いても涙の一つも零れない。痩せこけ草臥れ能力不足。自信喪失。僕にはものはやブログなんてものは書けっこない。精神的に参ってしまって。心折れ朽ち果てる寸前の彼方。

ところが、理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを書きまくるブロガーというのは、「つまらないエントリーを書いてください」と頼み込んでも紛いなく、理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを書き上げてしまうのだろうという絶望的なまでの圧迫感が差し迫る現実事実24時零分零秒YOサマー。YO、YO、サマー。YOサマー。