2007年10月2日火曜日

犯罪自慢



彼らだって必死なのだと思う。

人類は知り得た物事を言語によって伝え合うことによって、21世紀まで絶えることなく生き長らえてきた。家族、集落、国家、といった形の母集団から知識や知恵を受け取り、生きてゆく為に必要な情報を身につけた個人は、その恩義に報いるべく自ら見て、聞いて、考えて、得た情報や、辿り着いた結論を母集団へと還元する。そんな途方もない繰り返しによって僕らは生きてきたのだろう。食べたい、寝たい、といった類の欲求と同じように、伝えたいという欲求もまた、人の体の隅々の、深いところまで染み込んでいる。

いつからか、どこかで、そのバランスが壊れたのだと思う。人類の進歩と歩調を合わせて、僕らが知りうる情報の量はねずみ算式にふくらんで、際限なく増大し続ける。4~5人そこらの伝えてから、ほんの少しをうけとるだけで日が暮れていた時代は過ぎて、日が暮れて尚40、50の情報の波が、ありとあらゆる人間を襲う。

それだけの情報量に対して、報いるべく還元すべく、何かを伝えたいと願っても、幾億幾多の凡人には、それを成し遂げるのは困難だ。何故ならば、伝える事なんてそんなに無いから。行き過ぎた共有システムのせいで、全てをみんなが知っているから。伝えたい、でも伝えられる事がないと、苛まれ続けて生きているのだろう。そうして、日々して少しずつ、罪悪感を募らせていくのだろう。「俺は得るばかりで、何もしていないじゃないか」って。

だから、彼らは、未だに誰もが知りえてない情報を所持した瞬間に、それを伝えずには居られない。働かずにいられない。健気に。真面目に。誠実に。