2007年11月19日月曜日

視界に入ったら蹴る。



視界に入ったら蹴る、と言ってきた人が居た。その件を通じて僕が学んだのは、腹を蹴られると痛いという事だけだった。腹を蹴られると痛い。体温が2度ほど上がる。頭に血が上る。心が憎しみで満たされる。肉体からくるのか精神からくるのかはわからないが呼吸が出来ない。痛みが引いても怨念は消えない。

特定の個人に対する怨念ではない。無関係の誰かを殺すことばかり夢に思い描いていた。蹴って殴って殺さねばならないと考えていた。それが本当に考えていた、と呼べるものなのかはわからない。ただ強烈に感じていたし思っていたし、そう考えていた。

視界に入るな、と言っても難しい。廊下の向こうの方から物凄い速度で走ってくる。はじめは逃げたがそれもすぐやめた。どうせ蹴られるのだ。気がつく前に背中から蹴られて足が曲がった。しばらくトイレでしゃがめなくなり、随分と苦労した。

視界に入れば蹴る、視界に入らなければ蹴らない、という考え方が合理的である事に気がついたのは最近のことだ。私達は全てのものを蹴ることは出来ない。どこまでを蹴り、どこからは蹴らないかの判断を、光に依存するというのは理に適っている。全てが闇に覆われればなにも蹴らなくて良いし、全てが光で満たされれば我々は全てを蹴らねばならない。

今生は、視界に入れば蹴られるということだ。あれから遠く離れた今もそれは変わらない。今では見える物は指と文だけ。蹴らねばならぬし蹴られるのだろう。蒸す。