うまくいっているときに何が出来るかではなくて、うまくいかないときに何が出来るか。



頭が痛かったり、酷く気分が沈んだり、眠れない日が続いたりして、うまく回らない事がある。そんな時に僕は耐えて忍ぶばかりで何もせず、一日中ぼんやりと、くだらない事ばかりして過ごしている。

具合が良くなれば気分もずっとよくなって、自分がやりたい事を素直に疑いもせずに頑張って、きっとなんだって出来る。だからこそ、うまく回らない時は、どうでもいい、くだらない事をして過ごすべきなんだ。








パッケージングされた200枚入りの折り紙には、赤や、黒や、黄色や白の正方形が、10枚も20枚も入っている。けれども、金色や銀色の折り紙や、きらきら輝く特別仕様の赤青黄色の折り紙などは、それぞれ一枚ずつしか入っていない。たったの一枚ずつしか。

僕自身という人間は、そんなものだと考えていた。黄金色の折り鶴を折れる機会は一度しかなく、そのたった一度をし損じてしまったら、手元に残るのは二度と元には戻らない皺だらけのみっともない残骸だけで、「どうしてあの時、一片の曇りも無く輝く折り鶴を綺麗に折りきる自信も算段も無いままで、たった一枚のとっておきの折り紙に手をつけてしまったんだろう」と、一生後悔するものだと思っていた。

だからこそ、具合が悪いとき、気分が乗らないとき、うまく行きそうに無い時は、努めて何もしないようにしたし、出来るだけくだらないと思う事を、自堕落に行い続けるように心がけてきた。来るべき、具合が良くて、気分が乗って、全てがうまく回る瞬間に、純白のキャンバスに黄金色の墨汁で勝利の二文字を書き込めるように。

けれども、そんな日は来ないのだ。僕は、完全に間違っていたのだ。全てがうまく回る日なんてものは永遠に訪れない。待てど暮らせどそんな日は決して来ないのだ。

頭痛がなくて頭は澄んで心軽やかに踊る日は、きりきりとする胃の左上を指押し試してばかりだし、それが無い日はそれが無い日で昔痛めた関節が冬の寒さに当たって浸みる。体が良い日は体が良い日で、過ち続きの過去の所業が心の裏地から染み出して、僕をどこかへ追い立ててゆく。

そういうものなのだ。何かがうまく回る日は、何かがうまく回らない。もちろんそれに気づかずに、全てがうまく感じられて、無敵の気分になる日もあるけれど、それは、ただ、僕が鈍感なだけで、本当にうまく回っているわけじゃない。他の人のは知らないけれど、少なくとも僕の人生は、必ず何かがうまく回らない日だけで成り立っている。つまり、そんな日は来ないのだ。そんな日は決してこないのだ。

多分僕は思うのだけれど、万全の状態で何が出来るのかではなくて、うまく回らない時に何が出来るかなんだと思う。大切なのは。

明日はうまくいかない。必ずうまくいかない。何も思い通りにならない。頭は痛くなるし、気分は沈む。瞳は干上がって、喉はがらがら。悔しさと恐怖と悲しみで、呼吸が肺に引きこもり、胸から息が出なくなる。なに1つうまくいかない。必ずうまくいかない。けれども、何もせず、一日中ぼんやりとくだらない事ばかりして過ごしたりはしない。まず金無垢の折り鶴を折る。指先に些細な願いを込めて。