けっして書かれる事の無いものの強さ。



人を魅了するブログに憧れて、人を魅了するブログを書きたいと思ったことがあった。けれども、どのようにすれば人を魅了するブログというものが書けるのかが、わからなかった。




毎日几帳面に更新し続けている、とあるブログは僕を魅了してやまないのだけれど、1月10行書かれれば御の字なブログもまた、僕を魅了してやまない。

ゲームを愛し好き好み、毎日毎日開けても暮れてもゲームの話しばかりしている、とあるブログは僕を魅了してやまないのだけれど、ゲームを有害なものと決めつけ論外に掃しているブログもまた、僕を魅了してやまない。

頭が良くて、頭が良くて、インターネットと僕の脳みそが共に歪んでひび割れてしまうくらいの知性をまるで嫌がらせのように発散し続けている、とあるブログは僕を魅了してやまないのだけれど、知性のtの字も無い、ぐだぐだに意味不明な放言が成され続けるだけのブログもまた、僕を魅了してやまない。

それら、僕を惹きつけるブログを全て分析した結果得られた結論は、せいぜい「僕を魅了するブログは僕を魅了する」くらいのものだった。つまりは、何も得られなかった、って事だ。




もちろん、僕だって、何もせずにただ、手をこまねいていたわけではない。いろいろと考えて、仮説を立てたりもした。

「ブログを心の底から楽しんでいるかどうか」こそが、人を魅了する鍵なのだという仮説は、苦しみ泥まみれになりながらもう数年もの間毎日更新されている、僕を魅了してやまないブログの存在によって否定されたし、「アドセンスを貼っているブログは全て糞ブログ」というおまぬけな仮説は、アフィリエイトにまみれた、僕を魅了してやまないブログの存在によって否定された。

自らに都合のよい思いつきの「人を魅了するブログの鍵」をどれだけでっち上げても、すぐにそれを否定する例がどこからともなく表れて、全ては水泡に帰してしまった。

結局の所、どんなブログが僕を魅了するのかすらも、正確に捉える事は出来なかった。「僕を魅了するブログは僕を魅了する」以上のものは、何も得られなかった。つまりは、それこそが僕が得た1つの結論なのである。




決してブログに書かれる事の無いものこそが、僕を魅了してやまないものの正体なのだ。「決してブログに書かれる事の無いもの」は十人十色、人それぞれ違う。ある者にとってそれは妻への愛であり、ある者にとってのそれは死への恐怖だ。ある者にとってのそれは自らの半生に対する後悔であり、ある者にとってのそれは特定の誰かへの憎しみだ。ある者にとってのそれは口に出すこともためらわれるような見果てぬ夢であり、ある者にとってのそれは小さな黒い過去である。ある者にとってのそれは仕事の悩みあり、ある者にとってのそれは異常な性癖である。

それらは、けっしてブログに書かれる事は無い。そればかりではなく、書き手であるブロガーすらも、それら「けっしてブログに書かれる事の無いもの」の存在に気がついていない事すらある。(言うまでもなく、ここで僕が言う「書かれないもの」は「書かないもの」や「書けないこと」とは全く別の性質のものである)

けれども、ブロガーはそれから逃れる事は出来ない。けっして「書かれる事の無い何か」は、人が何を書き残そうとも、その全てに目には見えない万色の陰を落とし、その再現性の無い唯一が人を魅了する。




それが何であるかを、僕はまだ知らない。