働くって、辛いね。



「ご趣味は?」

  「そうですね、夢を見る事、ですかね。」

「きゃー!はんかくさんすてきー!かっこいー!」












娯楽が無くて草臥れる。一ヶ月以上ゲームはまったくだし、それに伴うネットサーフィンも無い。そうなると、残る娯楽らしきものは夢を見る事だけである。今の僕には、悪夢だけが唯一の心の拠り所だ。他には何も、心安らぐものがない。

見る夢のパターンは、己のまぬけさに比例して単調だ。殺す夢と、殺される夢が基本形。そこに、殺してから殺される夢と、殺されてから殺す夢が加わる。それで全てだ。4パターン。

よって、夢は楽しいものではない。嫌な汗をかくだけのものでしかない。見たくないと願う類のものだ。けれども、僕の日常はあまりに単調で、楽しいことが無さすぎた。その単調な繰り返しの果てに、僕は悪夢に期待するようになった。

悪夢を見る事以外に娯楽の無い人生。こうして活字にするとうんざりするが、そんなに悪いものでもない。実際の世界で殺したり殺されたりすれば、たいへんな事になる。誰かが苦しみ、そして悲しむ。けれども、夢の中ではそうはならない。誰も悲しまない。誰も苦しまない。牢屋に繋がれる事もない。殺しフリー、殺されフリーのFREEDOMだ。

それに気がついてしまうと、悪夢も俄然楽しくなる。楽しくて、楽しくて、たまらなくなる。もちろん、悪夢を見ている最中は楽しくない。悪夢の中にいる間は、常に必死だ。命がけだ。恐怖と絶望の中を懸命に、これでもか、これでもかと殺して回ったり、恐怖と絶望の中を、殺人者から逃げ惑ったりする。捕まって、必死になって命乞いをするが暴徒の怒りが収まる事は決してない。磨かれた斧が満月を跳ね返し防弾ガラスは粉々に砕ける。それが夢だと気がついてはいるのだけれど、その気づきがゆとりをもたらす事はない。僕は常に必死だ。

しかし、一度覚めてしまえば話は別。こっちのもんだ。悪夢は、僕の人生に存在している唯一にしてラストリゾート。何よりも楽しい尊い娯楽なのだ。「あー、もっと殺しまくっておけばよかった」などと後悔する事すらある。悪夢を見る事を期待して再び無理矢理に眠ったりもする。

刺激、刺激的、命がけ。おそらくそういう事なのだろう。僕の人生には刺激というものが欠けていて、心のどこかでそれを求めていたりするのだろう。僕は温厚で引っ込み思案な人間だから、こうしてブログを書いていても誰かに喧嘩を売られる事もなければ、いちゃもんをつけられる事もない。僕の底なしの生真面目さと正直さは、僕を退屈へと追い込むばかりだ。人は僕を指さして「はんかくさんみたいに素敵な人は他にはいないわ。私もうびちょびちょよ」などと言うけれど、僕に言わせればね、この世界はね、まあね、だいたいからして、君、くだらないんだよ。くだらないんだよ。












この春から僕は働き始めた。先輩と2人でプレゼンテーションの為の資料を作っている。この仕事が取れなければ、盆の休みと夏のボーナスは無いらしい。先輩は笑って言うけれど、どこか悲壮感が漂っている。噂によると、先輩は、昨年も、一昨年も、夏の休みが無かったらしい。社会に出るというのは大変な事だ。

先輩は象亀だ。象亀先輩はパソコンに詳しい。腐りかけのキャベツをバリバリと食べながらマイクロソフトの表計算ソフトを叩いている。シェルがどうだとか説明してくれるけれど、僕にはまったくわからない。なるほど、などと適当に返している。「あ、でもそれは自分がやったより先輩がやった方が速いっすね」と出来る限りの真剣さを装いながらモニタを見たままで言う。決して目は見ない。僕だって必死だ。僕は常に必死だ。「君もはやく仕事を覚えて独り立ちしないと。」なんて事を言われるが、嫌だ。僕は先輩と一緒がいい。

徹夜で仕事をしていると、腐りかけのキャベツを買ってきてくれと言われて、雨の中をコンビニへ向かう。使い走りである。「腐りかけのキャベツありませんかね?」「キャベツではいけませんか?」「駄目です、腐りかけでないと」「それは無理ですねえ。」「そうですか、ごめんなさい。」わけもなく謝る。がっかりだ。森永のミルクチョコレートを買ってオフィスに戻る。

先輩は変わらずノートパソコンに向かっていた。森永ミルクチョコレートが手から滑って先輩の背中の上に落ちた。先輩の甲羅が割れた。胃から小腸、大腸へと流れてゆく噛み砕かれた腐ったキャベツが見える。赤い心臓がカバの寝息のような音を奏でながらゆっくりと脈を打っている。そのすぐ横には、割れた甲羅の尖った破片が輝きながら牙をむいている。やってしまった。大変なことになってしまった。

先輩は気がついていない。「おお、あった?」「いや、なかったです。」「ああ、そう。」言葉は交わされたが、僕は上の空だ。焦りでこめかみが震える。頭痛。目眩がする。呼吸が出来ない。「もうすぐ終わるから。」「終わったら出よっか」先輩はのんきなもんだ。象亀というのは、案外、甲羅が割れても平気なのかもしれないと、少し落ち着く。ばれなければ大丈夫だ。

朝一の新幹線にのり僕らは取引先の元へ向かった。取引先の担当者は、先輩の甲羅が割れているのを見て、真っ青になっていた。象亀先輩は、それを見て、「なにか、」と懸命にその真意を窺っていたが、取引先の担当者は「いえ、どうぞ、どうぞ続けてください」と、口ごもるばかりだった。僕は安堵した。

「ご質問がございましたら」「いえ、大丈夫です。」契約に至った。先輩は笑顔だった。「良かったね」などと言う。「そうですね、でも、これからですから」なんて事を適当に返す。目は見ない。先輩はとても嬉しそうだ。「はんかくのおかげだよ」。僕は何もしていない。僕は*何もしていない*んだ。

「帰ろうか」と先輩は言う。終電はない。「どうやって帰りますかね?」と僕は問うた。先輩は、泳いで帰ると言う。先輩の家は、海溝の向こうにあるそうだ。「大丈夫ですか?」いやな予感がする。「なんてことはないよ、僕は陸亀だけれどね、甲羅に空気が入っていて、海に浮かぶ事が出来るんだ。海流まで泳いで、そこからは居眠りでもしていれば着くから」笑顔のままで先輩は、海の向こうへと消えていった。
















会社に行きたくない。仕事をしたくない。働きたくない。俺は誰も、殺したくない……。