真性引き篭もり : 私を不信にさせた人達へ。

一番古い記憶は3歳の夏に手を洗おうと並んでいると「割り込んできた」と言われ、あまつさえ押したとまでされた事である。抗弁しても誰も信じず、そればかりか尻馬に乗って何やら言われる始末で、これには酷く落胆し、少なくとも5年くらいは引き摺っていたような記憶がある。大人などは純粋無垢な振りをしていれば勝手に満足するのだと割り切れるまでにそれくらいかかった。この人生においてifというものを無理矢理に考えると、あれさえなければ僕はもう少しまともな人間になっていたのではないかと思う。何故そのように思うかというと、詰まるところ、僕はあの落胆からただの一歩も踏み出せていないのである。人としての成長というものが、完全にあそこで止まっているのである。それから数日の後に二階でクッキーを食べた事、海に行く予定を体調不良で潰した事、貧相な肝試しにたいへん怯えて泣いたことなど、たいへんよく覚えている。それもこれも、濡れ衣から来る不信があまりにも重く、それがトリガーとなって全て覚えているのである。そして、一番の問題は、未だにそこから抜け出せていない。あまりの幼稚さに反吐が出る。それからどれだけ進んでも、不信にさせた人達の事ばかりが記憶に焼き付いている。ネガティブな他人のことばかり、はっきりと思い出す事が出来る。そこを抜け出すには、つい最近まで進まねばならない。つい最近になり、僕を不信にさせる人は、我が自ら僕だけになった。昨日も、一昨日も、不信ばかりが募る。自分の信じる心を踏み躙り、勇ましさを叩き折り、無残にも醜態を晒させているものは、疑いようもなく、この僕自身である。一切の弁解も、一切の憤りも今では必要無い。事実だけがあるのだ。他ならぬ自分自身が。