2011年10月21日金曜日

フォルツァわらび餅

午前8時に目が覚めるよりも悪い事は、午前8時に眠れない事くらいしか無い。首から上がわらび餅のように重い。瞼は瞬きの度にねちょねちょと眼球に絡みつき、口蓋は下を媒体にして脳と顎とを癒着させる。意識はとにかく不明瞭で何を考えているのかすらわからず、勇敢さも臆病さもどこにも無い。自分が何を感じ、何を考えているのかを確かめようと両手を併せて目を瞑り、賢明に確かめようとするが、得られた成果は昨日の思い出だけ。

一日中インターネットをし、いろんなページを見て回り、Twitterを見て女の子と戯れている男に嫉妬し、アメーバブログを見てこんなつまらないブログを読む奴が大勢いるのかとブロガーも読者もまとめて見下して鼻で笑い、foxLingoを片手に海外のゲーマーの日常を読んで職も家族もある人間がゲーマー風情を気取るなと言いがかりを付けてやっかみ、自分以外の全ての者は劣った人間であると、絶対的確信の元にそう思い、インターネットがつまらないのは僕が頑張ってブログを書かないからであり、僕がブログを書く気にならないのはインターネットには僕のブログを理解出来る知性を備えた人間などただの1人も存在しないが故であり、自分は何一つ悪くなく、悪い行いなど一度としてしたことがなく、聖者そのものであり、そして眠たいから寝るのだと横になったのが冬至の近さを忘れて明るさを読み違えた午前7時。

空腹と、それにも勝る空腹で、上半身はぼんやりと揺れ、夢も希望も消え果てて、憎しみとか、怒りとか、嫉みとかで過した昨日だけが腹の鳴る音の中で孤立し、何事も無く過ぎさった昨日一日こそが自らの人生の全てであったかのように思え、この愚かさと憎悪で満たされた一つの生は、一体誰を喜ばせ誰を悲しませる事に成功したのか、そしてその喜びや悲しみは僕にとってどんな意味があったのだろうかと思い馳せると虚しくなって、肉と骨で出来た半袖の両腕を包み込むようにキーボードの手前で突っ伏せば、少し微睡み、確固たる罪悪感だけを残して意識を失い夢の中。

無我夢中で先を急ぎ、走る走る俺たちと大声で歌い叫びながらショートヘアーの美しい女学生を追い越し、駆け抜け土中を掘り進み辿り着いた眠たさの残るこの世界のニュースでは車が空を飛びカダフィが死んだ。締め切られた部屋では美しい我が国の落ちる桜の花弁のように、埃が舞い散り眉の上に積もれば、瞬きの度に半分は舞い上がり光を返し、半分はきな粉のようにわらび餅へと吸い込まれて行く。美しくもないものから美しいものを思いだし、悲しくもない出来事から悲しいことを思い出す。8時に目が覚めて、8時に眠れない。