2011年12月3日土曜日

忘れる為に記憶する。

ライフログって何の役に立つの?エヴァーノートで全てを記録してどうなるの?そんな事記録してどうなるの?はいはい、その通り。ライフログなんて何の役にも立たない。なんの役にも立たないものなんです。でもそれが大事。

インターネットは情報過多で1人の人間が処理できる情報量の限界を超えている。処理不可能な量の情報で満ち溢れている。なんとなく善さげなどうでもいい情報とか、興味を引くタイトルの全く興味の無い情報とか、くだらない事で満ちている。そんな空間で毎日を過していると、自分の中に少しずつ、全く興味の無い事や、どうでもいいくだらない情報が水垢のように溜まっていく。こびりついてく。そういう情報を心の中から排除してゴミ捨て場に投げ捨てるには、溜まりに溜まった関心度の薄い曖昧な情報の1つ1つに「これは私には必要の無い情報」とか「この関連は二度と興味を抱く必要が無い」などと、逐一処理せねばならない。。そして人間はそんなに暇じゃない。故に、どうでもよい事は心の中にどんどん溜まっていくし、忘れてよい事は脳の中に少しずつ堆積してく。どうでもいい事が負担になって、忘れていい事が心労になる。

一度頭の中に入ってしまった情報を、1つ1つ「これは重要」「いつか役に立つ」「どうでもいい」「ゴミ情報ノイズ」などと識別していくのは凄く大変。1つの情報が他の情報と結びついて巨大化したり、情報と第三者が結びついて解きほぐせない程巨大化したりする。「私には不用だけれど家人には要るかも」とかね。塵も積もればなんとやら。インターネットの情報の洪水は今も明日もその勢いを増し続ける。ダム湖を埋める土砂のように人の頭に積もり続ける。

そんな事態を未然に防ぐ方法はただ一つ、水際作戦。情報の入り際で全てを処理してしまう事。情報を目にした瞬間に、その情報をとりあえず、脳の外側で確保しておくこと。記録しておくこと。入ってきた段階で一応の処理をしておくこと。あとから「どこかで何かを見た気がするんだけれど・・・」とインターネットのグーグルで無駄に右往左往する時間を消すこと。それをしておけば、忘れたい時にすぐ忘れられる。

覚えていないものを忘れる事は出来ない。忘れる為にはまず、覚えなければならない。忘れるにはまず記憶が必要。それを脳だけやるのはとても大変。頭の中だけで「覚えました」「どうでもいいので忘れます」だなんて、並の脳味噌じゃあパンクしてしまう。情報の中で腐ってしまう。それを阻止するためのやり方がライフログであり、その為のツールがエバーノート。

注意力を持たずに、何も覚えないままで生き続けると、覚えていない情報だけで頭の中がいっぱいになってしまう。その為にどうでもいい事はどうでもいい事だと覚えておく事が必要。くだらない事はこれはくだらないと覚えておく事が必要。その為のライフログ。何も思わなかった、どうでもよかった、たいしたことなかった、くだらなかった。その為のライフログ。いったい自分自身が何を見て、何を「なにもかんじなかった」のかを記録しておく為のライフログ。覚えない限り忘れられない。忘れない限り過去にはならない。ぼんやりとしてどんよりとした情報の霧の中を手探りで進むような日常と決別するための選択がライフログ。忘れない限り過去にはならない。それは即ちようするに、記録しない限り過去にはならない。くだらなければくだらないものである程に、エバーノートに放り込むべきだし、どうでもいい事であればどうでもいい事であるほど、ライフログに投げ捨てるべき。たとえば