貧すれば鈍するという嘘。

才知に溢れた人であっても、貧困に陥ると惚ける。貧すれば鈍するという言葉は、そのように主張している。けれども、そんなものは嘘っぱちである。嘘っぱちのでたらめである。

人の想像力は広大である。才知に溢れた人ともなれば、その想像力は無限に等しい。突拍子もない事を毎秒思い、とんでもないことを思いつく。それが人間の想像力というものだ。たとえば、足元に2つの小石が落ちている。一つは赤い石で、もう一つは青い石だ。人の想像力はそれぞれの石になんらかの意味を見つけ、そしてその2つを結びつける。なんの意味も持たない小さな石に、理由が宿る。それは、空想である。想像の産物である。ただの妄想である。


小石に起こった出来事は、何にだって起こる。お腹が痛い、気分が良い、脂っこいものを食べたいといったものから、窓にカエルが張り付いていた、夜通し蚊がうるさい、満月が綺麗、といった些細なものまで、人はそれぞれに意味を見出す。そして空想により生み出された意味は、関連づけて結びつけられる。

貧しい人が鈍っているのを見ると、人はそれぞれに意味を見出す。なんの関連もない貧しさと鈍さを結びつけ、独立した無関係な2つの物事を繋ぎ合わせる。貧しさは貧しさとして独立し、鈍さは鈍さとして独立している。その無関係な2つを繋ぎ合わせて「貧すれば鈍する」という架空の事実が誕生する。

貧すれば鈍するという妄想の産物は、「貧しさ」と「鈍さ」の2点と共に貧と鈍の三角形を形成する。三角形という構造物は、この世界に存在するものの中で、最も強固である。ひとたび三角形が完成してしまえば、もはやそれを崩すのは不可能に近い。何人もそれからは逃れられない。

貧と鈍の三角形という魔の構造物から逃れる為に僕等が出来る唯一の対策は、貧と鈍の何れかを人生から排除することである。貧と鈍のいずれかを排除すれば、「貧、鈍、貧すれば鈍する」という三角形は絶対に形成されない。常に裕福であれ。あるいは、常に賢明であれ。