幸せの理由。

苛立ちを覚え、心が掻き乱され、安息を知らない毎日を過ごす人生の中に、穏やかな一日が紛れ込んでくる事がある。心は波風一つ立たず、平穏で、少し快適で、僅かな幸せすらも感じてしまうような一日。そんな素晴しい一日に行き当たると、 心は深く目は澄んで、頭も冴えて気も回る。

苦しみや怒り、あるいは不安といった感情でまともな思考を行えなくなった僕の人生において、何か1つの物事について真剣に考えるというのは、極めて困難な作業だ。素晴しい日が訪れると、普段は出来ない事が出来る。その最たるものは、自分について考えることだ。

自分について思い、調べ、考えていると、乱れた心によって覆い隠され見えなかった、いろんなものが見えてくる。日々僕が抱いている怒り。あるいは苦しみ。悲しみ。その陰に隠されたせつなさ、夢、希望。あるいは純粋な欲望や衝動。1つ1つ、事細かに探っていると、全ての物事には原因が存在するという当たり前の事実に行き当たる。なんだって、元を辿ることが出来る。

幸せについて考える。安息について考える。穏やかな一日について考える。すると明らかになるのは、僕は馬鹿だということだ。頭が悪くて、すぐに色んな事を忘れる人間だということだ。僕の人生に訪れる、特別に素晴しい一日は、イコール特別に馬鹿な一日だということだ。

幸せな日は、幸せ故に幸せなのではなく、不幸せな理由をすっかり忘れていたから。心安らかな一日は、安らかな日であるが故に安らかだったのではなく、心乱される理由を全て綺麗に忘れていたから。素晴しい一日は、素晴しい故に素晴しかったのではなく、何か大切なことをすべて忘れてしまっていたから。

考えて、調べて、検討して、自分についてよく考えて。そうすれば、 人生は良くなるだなんて思っていたけれど、そんな事実は無かった。考えれば考えるほど、真剣に取り組めば真剣に取り組むほど、忘れていた、大切なことを思い出す。そしてそれは、過ぎ去った日々のように僕を苦しめるだけではなく、そんな事までをも忘れてしまっていた自分自身への非難として、昨日よりも悪い明日が訪れる。不幸せの理由は数え切れないくらいにあって、幸せの理由は、不幸せの理由をすっかり忘れてしまっていたというだけのことでしかない。幸せな一日に見出されたその事実は、僕の明日を昨日よりもさらに不幸せにさせてしまう。