2013年7月25日木曜日

山口県に憧れて。

山口県で1人の男が何人かを殺して山に逃げたという話を目にした。人口は10人ほどで、皆老人ばかり。山口県というところは、殺したい人を簡単に殺せる、夢のような世界だ。殺人が日常的に横行するメキシコの麻薬カルテルの大ボスですら、こうは行かない。対麻薬戦争を裏で牛耳るバラクオバマを殺したいと思っても、その願いは叶わないし、それどころか自国のフィリペカルデロンすら殺せずに終わった。プーチンも毛沢東もスターリンも、大勢の人を殺したが、殺したい人を殺せたわけではない。スターリンがヒトラーを殺したいと願わなかったとは信じがたい。世に言う殺人鬼はどこかで妥協し、どこかで自分の心を裏切っている。本当に殺したい人はどこか他の場所に居たはずだ。しかし物理的に殺せなかった。だから諦めた。小学校で包丁を暴れた人殺しも、秋葉原の路上で暴走した人殺しも、三菱の工場で人を刺した人殺しも、皆妥協の産物として人を殺した。本当に殺したい人を殺す事を諦めた。夢を諦めた結果としての人殺しなのだ。何故人は夢を諦めるのか。それは世界が広いからだ。あまりにも広いからだ。広すぎるからだ。ヒトラーがスターリンを殺したいと願ってもモスクワは遙か彼方。スターリンがヒトラーを殺したいと願ってもベルリンは遙か彼方。人の夢を妨げるのは世界の広さだ。一番殺したい人はパリに、二番目に殺したい人はリオデジャネイロに、三番目に殺したい人は鬼籍で、四番目に殺したい人は神奈川。そんな風になってしまうと、夢は叶わない。夢が叶う余地はない。結果として人殺しは妥協で人を殺す。「誰でも良かった」と勝ち誇ったように宣う殺人犯は、嘘をついている。本当は殺したい人が居たのだ。けれども、世界が広すぎて諦めたのだ。自らの夢を裏切ったのだ。自分の心に背いたのだ。もしも世界が山口県ならば。