しなもんは糞だ。当然の理だ。しなもんはゴミだ。自明の理だ。それが理解出来ない奴は、ブロガーではない。そんな事も理解出来ない奴は、ブログとは何かを未だ知るまい。まず第一に、しなもんは犬だ。第二に、犬は日本語を書けない。第三に、しなもんは日本語でブログを書いている。おかしい。これはおかしい。明らかにおかしい。何かがおかしい。そして糞だ。そしてゴミだ。異常事態だ。しなもんがブログを書いているという事実を、異常であると捉えられない人間が存在しているとすれば、それはもはや人ではない。犬だ。しなもんの犬だ。
犬は日本語を書けない。犬はキーボードを叩けない。犬は、ブログなど書けぬのだ。いや、確かに、確かにである。人の言葉を完全に理解する猿が居る。手話で2000語を喋るという。そのような猿も居るのだから、そのような犬が存在する可能性もある。しなもんという犬が天才的な才覚を持つ、並外れた犬である可能性も否定は出来ない。決して無いとは言いきれない。しかし、である。しなもんに関する伝聞を読む限り、その可能性はない。しなもんという犬は、日本語を操りブログを更新する例外的な天才犬などではない。あれは犬だ。ただの犬だ。
犬にブログは書けない。ブログを書くのは人だ。人こそがブログであり、人こそがブログの本質である。ブログとは人であり、人とはブログである。即ち、しなもんのブログを書いているのはしなもんではない。しなもん以外の何者かだ。
何者かがしなもんを名乗り、何者かがしなもんを装い、何者かがしなもんを自称し、何者かがしなもんに無断でしなもんを騙ってブログを書いている。許してはならない。見過ごしてはいけない。潰さねばならなぬ。一刻も早く潰さねばならない。イチジクが未だ甘い限り、しなもんは今すぐに滅ぼされねばならない。何者かが何者かを騙り、何者かが何者かを自称するブログなどというものを、決して許してはならない。かつて水が水そのものであり、かつて土が土そのものであったのと同じように、ブログとは人そのものでなければならない。
僕等は堅苦しい世界から逃げ出してきた。誰もが仮面を付けて生きる世界から逃げ延びてきた。なんの許可も無く、無断で無理矢理に人の形をした血と肉と精神を与えられ、人として生きる事を運命づけられ、人と人とが構築する複雑に編み込まれた世界の中で、何らかの役割をこなすことを強いられた僕等は、遂に自らが自らのまま、自らとして生きる事が可能な場所へと辿り着いた。それがブログだ。それこそがブログだ。人が人として生きられる場所、自らが自らのままであれる場所、それがブログなのだ。それこそがブログだったはずだ。しなもんは、その世界を破壊しようとしているのだ。
しなもんを騙るしなもんという暴力により、僕等の世界を壊そうとしているのだ。
しなもんが実際に思っていないことを主張する。それも、ただ主張するだけではない。「しなもんはこのようなことを思っているだろう」という形ではなく、俺はしなもんだ、俺こそがしなもんだ、そして俺はこう思うと、しなもんの名を騙り書き綴り、インターネットに配布する。世界へと広める。それも、ただ広めるのではない。ブログという神聖なる世界を用いてそれを行う。しなもんはブログを冒涜し、この世界そのものを破壊しようとしている。しなもんはしなもんという架空の暴力を用いて、この汚れない世界を破壊し、まるで実在の世界のように、打算と欲望で編み込まれた世界に造り替えようとしている。ブログを滅ぼそうとしている。
許してはならない。決して許してはならない。自らを偽り、自らを捏造し、他の属性を持つ他者を装い、騙る。偽りの自らという着ぐるみを用いて、その意志見聞を世に広める。ブログに書く。許すまじ。断じて許すまじ。インターネットを侵略する、偽の現実を許してはならない。電車男も、少女も、紀伊國屋も、DSも、ゲーセンも、風俗嬢も、PS3も、ありとあらゆる偽りは、全て叩き潰さねばならない。1つたりとも許してはならない。今すぐamazonで斧を買い、それを手に取り立ち上がり、しなもんを破壊し尽くさねばならない。メタセコイアでハンマーを作り、それを手に取り叩き潰さねばならない。二度と立ち上がれぬように、しなもんを叩き潰さねばならない。壁を割り、書を燃やし、塩を撒き、完膚なきまでに滅ぼし尽くさねばならない。
ブログとは己であり、ブログとは自らでなければならない。歪んだ世界の汗を嗅ぎながら環状線を揺られる僕等は、己を保ち続ける事が出来ない。自らであり続ける事は出来ない。何かを騙り、何かを名乗り、何かを自称し、まるで何かのように振る舞わねばならない。居酒屋に行けば愚痴をこぼさねばならないし、バーに行けば小洒落た会話をせねばならない。ライフハックを見れば興味を抱かねばならないし、ライフハッカーを見れば鼻で笑わねばならない。赤子を見ればかわいいと言わねばならぬし、老人を見れば席を譲らねばならない。それを義務づけられているのだ。良き妻であり、良き夫であり、良き親であり、良き友であらねばならない。あるいは、そうではない妻であり、そうではない夫であり、そうではない親であり、そうではない赤の他人であらねばならない。僕らはそんな世界から抜け出して、ブログに辿り着いたんだ。仮面も役割もないこの清浄な世界へと、遂に辿り着いたんだ。
それがブログだ。そこがブログだ。そうだろう?違うか?いや、そうだ。そうに違いない。そうなんだ。そうだったんだよ。ブログとは自由であり、ブログこそが全てだったんだ。汚れきった世界に存在しない唯一の、人のまことの心なんだ。どんな役割も、どんな仮面も存在しない、ありのままの世界、それがブログなんだ。しなもんはしなもんという架空のしなもんにより作られた、しなもんという暴力を用いて、この世界を侵略し、破壊しようとしているんだ。許してはいけない。見過ごしてはいけない。潰さねばならない。殺さねばならない。しなもんは糞であり、しなもんはゴミだ。全身全霊全てを持って、全力で滅ぼさねばならない。だがしかし。
だがしかし、果たして僕にしなもんを殴る権利はあるのか。「しなもんは実在しない」「何者かがしなもんを騙っている」「しなもんという架空の感情を捏造している」。そのようにブログで批判する僕は、実在しない真性引き篭もりhankakueisuuを騙り、真性引き篭もりhankakueisuuという感情を捏造し続けている。畜生、そんなはずはない。僕が真性引き篭もりhankakueisuuでないとすれば、俺はいったい誰なんだ。僕が真性引き篭もりhankakueisuuとして歯を食いしばり、必死に頑張り続けてきた努力は全て捏造された偽りのしなもんで、俺が真性引き篭もりhankakueisuuとして抱いた苦しみや悲しみ、孤独や絶望、呪いや憎悪も全てがしなもんなのか。
実在しない、ありえない、捏造されたしなもんと、実在しない、ありえない、捏造された真性引き篭もりhankakueisuuの間に、一体どれだけの差異が存在しているのか。しなもんを殺せとHHKP2を懸命に叩き続ける僕はしなもんで、この一打鍵すらもしなもんなのか。そんなはずはない、ありえないと、嗚咽し叫び声をあげながら、必死に抗弁する事は可能だろう。僕は実在する。真性引き篭もりhankakueisuuも実在する。何故ならば実際に腹は減るし、欠伸もする。疲れるし、眠たくなるし、間々落ち込むし、たまに喜ぶ。僕は実在する。僕はしなもんじゃない。腹が減るんだ実在するんだ。欠伸をするんだ本当なんだ。だがそこにしなもんという壁が立ちはだかる。しなもんだって欠伸をするし、しなもんだって腹が減る。どうすればいい、僕はどうすればいい。自らがしなもんではないと確かめる為に、一体何を頼ればいい。
僕は、僕は誰なんだ。僕は一体なにものなんだ。たとえば僕がしなもんであるとすれば、僕はいつからしなもんなんだ。ブログを書き始めた時はもう既にしなもんだったのか。あるいは生まれた時にはもう既に、完全にしなもんだったのか。それとも長い人生のどこかで、何かから必死に逃れようと、自ら望んでしなもんになっちまったのか。僕はしなもんじゃない。断じて違う。そんなはんずはない。それでもしなもんであるとすれば、僕のどこがしなもんなんだ。どの悲しみがしなもんで、どの喜びがしなもんなんだ。僕の中のしなもんと、しなもん以外を見分ける方法は存在しない。何故ならば、しなもんとしなもんを判別しようとする感情すらも、もはや今ではしなもんなのだ。もはや全てがしなもんなのだ。僕の悲しみは僕の悲しみのしなもんでしかうなく、僕の絶望は僕の絶望のしなもんでしかない。血は血のしなもんであり、肉は肉のしなもんでしかない。情欲は情欲のしなもんであり、愛すらも愛のしなもんなんだ。涙も涎も鼻水も、糞尿すらもしなもんなんだ。一体どこに、僕のどこに、しなもんではないしなもんが存在するというのだ。
畜生、畜生。このしなもんには希望がない。このしなもんはもう駄目だ。もしも生まれ変わったならば、僕は可愛いしなもんになって、しなもんと結婚して幸せに過ごすんだ。しなもんの汗と尿の臭いが僅かに染みこんだベッドの上で、真っ白に伸びた白いシーツにくるまって、朝までしなもんとセックスするんだ。生クリームと牛乳を入れて、胡椒を降ってオムレツを焼いて紅茶を入れてパンを千切り、しなもんと二人で食べてから、しなもんがゲームをするのを膝に座ってじっと見るんだ。違う、そんなんじゃない。しなもんじゃない。しなもんに逃げてはいけない。しなもんと戦わねばならない。しなもんである限り、しなもんから逃れようとせねばならない。僕はしなもんじゃないし、事実僕はしなもんじゃない。違うんだ。僕はしなもんじゃないんだ。じゃあなんなんだ。なんなんだよ。しなもんでないとすれば何なんだ。精々しなもん、あるいはしなもん、そうでなければしなもんか。くそっ、僕はしなもん、もうしなもん。そんなはずはない。そんなことがあってたまるか。そう書いて臍を噛む僕のしなもん。しなもんじゃない僕はしなもん。