諦める事と、計画を立てる事は似ている。

諦める事は進む事だ。何かを諦めればリソースが浮く。何かを諦めれば他のどこかに余裕が生まれる。幾つも幾つも無数にあるやりたい事の中から、一つ諦めれば他の物事が上手くいく可能性が上がる。1つ諦めるのではなく、2つ諦めればその可能性はより上がる。人生を円滑に回す為には、何かを諦め続けなければならない。世の中には、一見すると何一つ諦めずに七色の人生を猛進しているように見える人も居る。けれども彼らはその人生の認識の外側で、多くの物事を無意識のうちに諦めている。僕等はそれらとは違う凡人なので、輝く道を進む為には、勇気を出して明確に、何かを諦め続けなければならない。もちろん、輝く道を進む事を諦めるという生き方もある。道を進む事自体すらも諦めるという選択もあるだろう。しゃがみ込んで嗅ぐ雨上がりの砂利道の臭いは、アスファルトを踏んで駆けている間は知る事が出来ない。肩を打ちあの日をまるで昨日のように蘇らせる雨粒は、ハンドルを握る人の元には視界を遮り速度を落とさざるをえない障壁としてしか届かない。

計画を立てる事もそれに似ている。計画を立てると、その計画を実行する為に必要なものが明らかになる。それは時間であったり、あるいはお金であったり、時としてほんの少しの勇気であったりする。それらを用意する為には、何かを諦めたり、何かを捨てたりしなければならない。これまで他の事に使っていた時間を諦めれば、計画を実行する為の時間が生まれる。くだらないプライドや思い出を捨てれば、計画が成功する確率は上がる。何も捨てない、何も諦めない、それでは何もうまくは行かない。

もちろん、計画を立てる事に意味は無い。諦める事にも意味は無い。問題は、実行である。捨てて、計画を立てて、諦めただけで何かを成し遂げたという気分になり、自然と心は上向く。満足感も得られるだろう。けれどもそこはゴールではない。それだけでは何も変わらない。捨てたものは磁石のように人の元に戻り、諦めたものは羽ばたいて、いつのまにやら引き出しの中に舞い戻る。確かに存在していたはずの成功への道筋を書いた計画要項は、紙に書かれた文字列でしかなくなる。諦めなければならない。計画を立てねばならない。そしてなにより、進まねばならない。