2013年10月4日金曜日

されど人生は長い。

明日飛行機が落ちたならば犯人は僕だ。明日列車が脱線したら犯人は僕だ。明日船が沈んだら犯人は僕で、発電所が爆発したならば犯人は僕だ。隕石が地球に落ちたら犯人は僕で、地球が割れたら犯人は僕だ。その程度の確信が持てるまでに悪心が酷くなったが、もはや手の施しようはない。すべてが手遅れだ。いや、すべてが手遅れだったのはもはや遠い昔の話。幾度となく様々な限界を突き抜けてしまった今、僕はもう生き残っていないと言い切って良い。フイングルスの蓋を四本の指で回しながら、おぼれかけた鯨のように途切れ途切れにキーボードを叩いているのは人の心どころか、僕の面影すらも残らない何か途方もなく嫌悪すべきだけの物体だ。たとえば僅かでも寂しさや人恋しさというものが残っていたならば、そこから生じる苦しさのようなものがきっとここから助け出してくれただろう。けれども寂しさは死んだ。孤独を感じるプロコトルはネジ山のように潰れてしまった。もう僕の心の自転の軸を担保してはくれない。悲しさや悔しさも同じように何の意味も無い。そういった感情、寂しさや悲しさ、悔しさといったものが存在しているのかどうかもわからないが、たとえば今目の前にそういったものがあったとしても、何の意味もなさないだろう。唯一のよりどころであった慚愧の念も、24時間一日のうちで僅かに数秒、数秒しかその効果を発揮する事は出来ない。数秒間に律された人間の軸は、残りの30時間で来るって乱れてよく回る。無論のこと、憎しみも遠くを飛ぶばかり。ミルクとオイルを混ぜ合わせたように、人と心が分離してしまった。こうしてブログを書いている人物が、いったい何者で、そしてどちらなのかもわからない。僕が僕を目にしたならば、こう言うかもしれない。「よく動く肉だ」と。食えない肉。せめて自らがただの食えない肉であったならば、僕の人生はこれからもこれまでのようにバラ色に輝くだろうに。仕方が無いのでLoLを100ドル課金してみた。僕を救ってくれるのはゲームだけだ。いや、大丈夫だ。わかっている。ビデオゲームが人を救うことなどありえない。ビデオゲームは人を殺す。人殺しだ。ビデオゲームは人殺しだ。生きているよりもビデオゲームに殺された方がましな人物も世の中には居る。それだけのことだ。他の何かに殺されるよりは、ビデオゲームに殺された方が幸せな人も居る。下には下が居る。単純な話だ。過去に作ったアカウントを探してみたところ、レベル16のアカウントとレベル7のアカウントの発掘に成功したので、レベル16のアカウントに100ドル課金して、バンドルを2つ買ってみた。バンドルに含まれているキャラの情報を漁って調べ尽くした結果、kassadin、singed、fiddlesticksは使う事にした。twitch、corki、ashe、nunu、TwistedFateなど他にも候補は居るけれど、ヴェイン、ジャーヴァン4、zedを個別に買ってしまったので、よっぽど感覚的に合わない限り、個別買いしてしまった方を使おうと思う。けれども残念なことに、100ドル課金してから僅か4時間、1ゲームもしないうちにその効果は完全に切れてしまった。ビデオゲームは僕を救ってくれないばかりか、僕を殺してすらくれない。乾ききって粉塵になった苦笑いが乾いた息と共にだらしなく開いた口から吹き出る。大抵の事は金で解決する。少なくとも4時間は持った。まだ金はある。されど人生は長い。