まんこ分配業ほどおいしい商売は他に無い。
まんこを集め、まんこを従え、良さそうなまんこは自分でまんこしながら、まんこに飢えている人間にまんこを分配していく。そう、それはちょうど、我が国で一番の高額納税者がやっているのと同じように。
まんこ分配業に適した場所、なんてものはない。何故ならば、まんこ分配業はいつの時代、どんな場所、どのような環境であっても成り立つ商売だからだ。そこにまんこがあって、そしてまんこに飢えている人間が居れば、そこはまんこ分配業に適した環境なのだ。つまり、人間が生存している場所ならばどこだって、まんこ分配業に最適な場所だってことなんだ。そこにまんこがある。そしてまんこに飢えている人間が居る。それに気がついた人間がやってくる。まんこ分配業を始めるためにやってくる。どんな場所も、どんな時代も、どんな国であっても例外はない。世界中ありとあらゆる場所ありとあらゆる時間軸において、まんこ分配業は常に我々人類と共にあった。これまでも、そしてこれからも
まんこ分配業の肝はまんこだ。まんこに飢えている男全員に、もしかしてまんこ出来るんじゃないかって思わせることなんだ。いや、まんこに飢えていない男も含めて全員に、もしかしてまんこ出来るんじゃないかって思わせることなんだ。いや、思わせなくったってかまわない。本人はまったく気がついていなくてもいいから、潜在意識のどこかに「もしかしてまんこできるんじゃないか」ってのを送り混むこと。秋元康はとてもよくやってるね。スマートにそれをやっている。お金を払って握手をした人間はその手に触れて「もしかしてまんこできるんじゃないか」って思っちゃうわけだ。思わないにしても、潜在意識のどこかにそれが見えない形でこびりついてしまう。本人は決してそんな事を思っていないつもりであっても、「もしかしてまんこできるんじゃないか」からは逃れられない。だって僕達はとどのつまり、未来のまんこに精子を運ぶ為だけに存在している血と肉で出来たズタ袋なんだから。だからこそまんこ分配業は世界中にありとあらゆる場所で栄えているんだ。日本だけじゃなくてね。
どうしてまんこ分配業なんて商売が成り立つかというと、それは誰もがまんこに飢えているからだ。そして、まんこの方もまんこの方で、誰もがちんこに飢えているからだ。いや、誰もがちんこに飢えているってのはちょっと言葉が過ぎたかもしれない。けれども、我が国の社会はシステムとして、まんこが一人では生きていけないシステムになっている。女であるというだけで採用されないし、同じような給与も貰えない。求められる仕事の内容も違うし、出世も出来ない。男と同じような給与を貰おうと思えば、馬鹿みたいな残業をしている男どもと同じだけ、アリバイ作りの為の残業をしなければならない。もちろん、そんなアリバイが必要の無いところもあるって事くらいは知ってるよ。けれども、実際問題この国の労働環境は腐っていて、女性に残された現実的な道筋は、なるべくいいちんこをゲットするってことくらいのもの。だから我が国は諸外国にも増して、まんこ分配業にはうってつけの国なんだ。女性の若い野心や滾るジュリームをかき集めるハリウッドや、同じような芸能界のや声優業界なんかとは違い、我が国の広い広い広大な風の通らない閉ざされた狭い社会は、野心じゃ夢によってではなく、ただ国を覆う重労働の重苦しい監視社会的な空気と、独身女性なんてマイノリティは票にならないからという理由、そして男女政策の失敗によって、我が国の女性は女性ではなくただのまんこでしかなく、我が国のまんこは、まんこ分配業の苗床になってしまっているんだ。
それが本当に失敗なのか自信は持てない。
だってそうだろ、考えてもみなよ。
まんこを経済的に虐げれば虐げるほど、裕福な男はまんこに困らなくなる。まんこを社会的に痛めつければ痛めつけるほど、社会的地位のある男はまんこに困らなくなる。そして政治家ってのはさ、経済的にも社会的にも満たされているんだ。だから彼らにとってまんこを徹底的に虐げるって政策は、とても理にかなってるんだよ。女性を虐げたまま放置するってのは、経済的及び社会的に充実している人間にとって、大きな利益をもたらす政策なんだ。「わたしは女性の地位向上に取り組んでいます」なんて口先ではでたらめなことを言いながら、全ての女性に死ねと言い、人として扱わず、ただまんことして扱い続け、政治家と、その血族と、そして自らの仲間達にとって好都合な環境を維持し続ける。社会的に、そして経済的に恵まれた人達がよりどりみどりまんことおまんこし、まんこを独占できる環境を維持し続けているんだ。そんな事をしていたら少子化で労働力が減って困るって?そんなの、研修実習生という名の奴隷を外国から騙して連れてくればいいだけの話。そんな事を続けていたら人口ボーナスが選られなくなってしまって困るって?そんなもの、移民を入れれば済む話。それに、日本が二流国に、いや三流国になればなるほど彼らにとっては都合がいい。国が荒れれば荒れるほど、貧富の差ってのは広がるんだ。政治家ににあるには金が必要で、我が国の内閣は皆世襲。我が国の社会は失敗ではなく成功なんだ。我が国の女性政策は失敗ではなくて成功なんだ。彼らにとってはね。
話をまんこ分配業に戻すけれど、そうだね、たとえばだよ。
二十歳を過ぎて出会いがなくて、モバイルフォンでよくわかあらないツールをダウンロードして使って入り浸ってネットサーフィンしているような女が大勢居る場所なんてのが、もしもインターネット上に存在したならば、そこはまんこ分配業にもってこいの場所だね。もちろん、それだけじゃだめだよ。まんこ分配業にはまんこだけじゃなく、まんこに飢えた男も必要だ。まんこ分配業ってのはようするにマッチングサービスだから、まんこだけではだめ。ちんこも必要。まあ、その点に関しては大抵の場合大丈夫だけどね。だって、男ってのは基本的に常にまんこに飢えてるし、はてなに群がってる連中なんて、それに輪をかけてまんこに飢えてる。あそこは話を聞いてくれる相手が現実に居ないからってネット上で男同士ちんこをなめあって気持ちよくなってるような、気持ちの悪いおっさんどもの住処だからさ。
インターネットってのはさ、素敵な場所なんだ。
有名になれば得をする。
有名になれば儲かる。
違うね。
ごめん。
それは、インターネットに限った話ではない。有名になれば得をする。有名になればお金を選られる。それは、この世界全ての基本的なルールなんだ。僕達人間には、本当に素晴らしいものを見極める能力というものが備わっていない。人間っていうのは欠陥だらけで、目利きをする能力なんてものは誰にも無いんだ。何が本当に素晴らしいものなのか、自分自身が本当は何を求めているのか、自らがどのようなものを好きこのみ、心から愛しているのか、そういった類いのことは一切わからないんだ。僕等人類には、物事を見極める目というものが備わっていない。僅か40センチ向こうの液晶モニタは見えるけれど、その程度のものしか僕等には見えない。真実を見る強い眼も、未来を見通す瞳も無いんだ。
もちろん、精神を研ぎ澄まし雑念を廃し、全神経を集中させて膨大な時間をつぎ込んで、データを取って慎重に、慎重を重ねて目利きをすれば、何が好きで、何が素晴らしくて、何を求めているのかって判断を下せる可能性は有る。自分にとって何が好ましくて、自分自身がどのようなものを求めていて、何を愛しているのかについて、判断を下す事の出来る能力自体は備わっているんだ。けれども、それには膨大な時間と莫大な労力が必要になる。そして無念、時間ってのは有限なんだ。
だから僕達は目利きを外部に委託してしまう。何が本当に素晴らしいかということを自らの力で見極める事を諦め、他の誰かに委託してしまう。時間も労力も有限だから、そうするしか他に術は無いんだ。この世界は無数の情報で満ちている。無限の出来事が存在している。目に飛び込む情報、肩にそっと触れながら通りすぎていく出来事について、一つずつ目利きをしている時間なんてない。どれが素晴らしくて、どれがくだらなくて、どれが真実でどれがでたらめかなんて、いちいち考えている時間は無い。見極めている時間はない。どれが自分に利益をもたらし、どれが自分にとって有害かなんて、それを調べている暇は無い。だから僕等は委託するんだ。その判断を委託するんだ。他の誰かに委託するんだ。
そして、誰に委託するかを見極める時間も無い。
誰に委託するのかを、考えている暇も無い。
だから僕等は委託するんだ。
なるべく有名なものに。
そう、僕等は全ての物事を、有名であるかどうかで判断する。
有名であるかないかという基準だけを頼りにする。
人は残念な生き物なのだ。人には、全ての物事について慎重に判断を下せるだけの時間が無い。時間が全然足りないのだ。ご飯を食べれば胃が満ちて脳が鈍るし、太陽が沈めば眠らなきゃならない。時間的制約、肉体的制約、そして情報収集能力と情報処理能力の制約によって、僕等の判断能力には限界がある。どうしても制限がかかってしまう。だから僕等はあきらめる。自分では何も調べられない。メタスコアでゲームを買い、アマゾンの星で本を買い、食べログの星でラーメンをすする。それを外部に委託するんだ。なるべく有名なもの、なるべく知られているもの。有名な物を選び、有名な商品を買い、有名な会社で働き、有名な人を褒め、有名な人をおもしろがって、なるべく有名な人を叩く。
それは決して個人の責任ではなく、有限な時間を生きる人間という生き物が、雑多な出来事についていちいち悩まなくてもよいように長い悠久の時の中で身につけて得た能力なんだ。僕等は有名な人に従い、有名な人を信じ、有名な情報を頼り、有名な食べ物を食べることによって、今日まで命を繋いできたんだ。
有名なものはきっと誰かが、「それが本当に素晴らしいかどうか」について悩みに悩み、様々なデータを集めて多方面から分析し、真剣に考え続けた結果、遂にそれが素晴らしいものであるという結論を下したのだろうという予測の元で、他の誰かが支持しているものを自分も信じるという選択を取る。この商品が有名なのは、あるいはこの人が有名なのは、そういった世界中の様々な人の懸命な判断の積み重ねなのだろうと思いもせずに思い込み、人はそれがただ有名であるというだけで価値ある物だと思い、有益なものだと思い、素晴らしい物だと思う。面白いものだと思う。
ところが、違うのだ。
かつてはそうだったのかもしれない。
有名なものには有名なだけの根拠があったのかもしれない。
けれども今では違うのだ。
現代は有名なものは誰かが「それが本当に素晴らしいかどうか」について悩みに悩んで下した決断の無数の積み重なりによって有名になったのではなく、それが「有名であるかどうか」というだけで選択され続けた結果として、有名になったのだ。そして「有名かどうか」という基準によって有名になったものは、「有名である」というだけの理由でさらに有名になっていく。そうやって出来上がっているのが、この世界なんだ。僕等の世界なんだ。もちろんあなたが「それだけじゃないだろ」って言いたがってるのはわかるよ。そうだね、そうだよね。自分が好きこのんでいるものが、自分が嫌っているものが、自分が憎んでいるものが、自分の感情が、価値観が、「ただ有名だから」ってだけで成り立っているだなんて、決して認めたくはないよね。そうやって今日も電博サイバー楽天は、重里と机を囲んで笑う。
インターネットで有名になるのは簡単だ。
有名な人と関わればいい。ちきりんでも、孫でも、ひかきんでも、乙武でも、ひろゆきでもウメハラでも誰だっていい。有名な人と関わり続け、有名な人について語り続ければいい。有名な人と言葉を交わしながら、有名を褒め、有名を貶し、有名を罵り、有名を馬鹿にすればいい。有名な人に擦り寄りながら、有名な出来事について触れ続ければいい。有名なものを買い続け、有名なものを食べ続け、有名なものについてレビューをし続ければいい。インターネットという場所は、それが簡単にできる場所なんだ。
僕等は価値判断なんか出来ない。取捨選択なんて出来ない。時間が無いんだ。足りないんだ。出来るのはただ、それが有名であるかどうかを知る事だけ。そして僕等は無条件に、有名である物には価値があると思ってしまうように出来ている。同じ商品を3カ所で見れば、それは有名なのだと思い、素晴らしいものだと思ってしまう。いや、実際にそうなんだ。有名なものには価値がある。だってそうだろ。有名なものごとについて書けば、君も有名になれるんだ。有名な人と絡めば、君も有名になれるんだ。有名な商品について書けば、君も有名になれるんだ。みんなの感心を引けるんだ。
そしてインターネットの世界じゃ、
それは即ち金なんだ、実利なんだ。
違うね。
ごめん。
インターネットに限った話じゃないね。
どこだってそうだ。どこだってそうだよ。
インターネットが僕等に教えてくれたのは、絶望だ。
インターネットでは、どんなひどい人物にだって、好きだよって言う人が付く。素敵だねって言うファンが付く。ただ有名だという理由だけで、大勢の人間が注目し、大勢のファンが生まれ、大勢の視聴者が生まれ、大勢のフォロワーが生まれ、大勢の読者が生まれる。どんなろくでもない人物でも、どんな最低な人間にでも、有名だというだけでそれを有り難がる人が必ず一定の割合で生まれるんだ。なんの根拠も無しにでたらめを並べて見ず知らずの誰かを見下して小馬鹿にし、あるいは時として口汚く罵倒し、読む物全てを不愉快にさせる文章を書き続ける人間にだって、ただその男が有名であるというだけの理由でそれを読む人間が居る。ただその人物が有名であるというだけで、物を貢ぐ男が居る。ただその人物が有名であるというだけで、わざわざ電車を乗り継いでまで股を開く女が居る。インターネットの世界における肯定的評価は、ただ有名だからというだけの根拠しかない評価なのだ。もちろん、現実の世界だって似たようなものだよ。14ドルの絵を描いたのが有名な人だってわかった瞬間に80万ドルになっちゃうんだからね。
こんな事を言うとあなた方は反論するだろう。
それだけじゃないって。例外はいっぱいあるだろ、って。そうだよ、確かにそうだよ。無名な人を褒めている人も居る。無名なものを有り難がる、無名な出来事について語っている、そういう人達も居るよね。大勢居るさ。けれども、それらは投資なんだ。「将来有名になる可能性がある人を誰よりもはやく褒めておく」という形の投資なんだ。
「あの有名な人を昔から知っているあの人は凄いんだろう」って思わせる為の投資なんだ。有名なものは、有名だから大勢の人が既に語ってしまっている。けれども将来有名になる可能性があるものは、今はまだ有名じゃない。語られない。だから人々はそれを探して、近い将来インターネットで有名になりそうなものを懸命に探して褒めるのさ。有名になってくれって願いを込めて無名な誰かを、一生懸命褒めるのさ。無名な誰かを称え、無名な誰かを賞賛し、無名な誰かと絡む。将来への投資としてのブルーオーシャン戦略なんだ。ドラクエよりもモンハンを、モンハンよりもパズドラを、パズドラよりもかんこれをそしてモンストを、AKBよりベイビーメタルを。有名な人に取り入るのはちょっと難しいけれど、無名な人に取り入るのは簡単。そして無名な人が有名になれば儲けもの、だからみんなは絡むんだ。一生懸命絡むんだ。褒めたり、貶したり、晒し上げたり、叩いたり。
そして賢明な人類は、ネットで有名を回し合う。
「将来有名になるかも」なんて効率の悪い投資はせずに、効率的に有名を回す。
有名な人は有名な人と絡み、有名になりそうな人を取り込んでいく。コラボレーションをしたり、馴れ合ったり、論争をしたり、話し合ったり、反論したり、同意したり。そんな風にして有名さを回し合うことで、有名な人はさらに有名になる。win-winの関係を築いて、有名さを分け合い育てあう。インターネットの世界において、有名になる為の最短の近道は、有名になることなんだ。
はてなブックマークってのは、その為に最適な場所なのだ。有名な人と絡めるし、有名な人と簡単に接点を持てる。もちろん規模は小さいよ。イルファンやジャスティンには逆立ちしても届かない。それでも十分な規模はある。生きていくには十分で、収入を得るには十分で、いい暮らしをするには十分なんだ。まんこをするにも十分だし、まんこ分配業をするにも十分な規模が存在している。はてなブックマークが自演によって簡単に操作できるランキングだとか、ネットで儲ける情報商材を売ってた連中がはてなに集団でやってきて群れてブログを書いて一般ユーザーを囲い込みながら有名さを回し合ってるって話は今回の題材とは違う話だからとりあえず触れずに通り過ぎるにしても、はてなブックマークってのは、有名になりたいのであれば、最も簡単に有名になれる場所なんだ。
そんなはてなに現れたのがnetcraftであり、
netcraftのはてなで大まんこ大作戦である。
まんこ分配業にとって、はてなという環境は最高の環境だ。
なぜならばはてなにはまんこが居る。
それもただのまんこではない。
ちんこに飢えた若いまんこが大勢居るのだ。
はてなブックマークという崇高で独創的なウェブサイトを作り上げた伊藤直也という偉大な男はその手癖の悪さを大義名分としてはてなを追放されてしまった。はてなブックマークは伊藤直也の手を離れ、悪しきはてなの手に落ちた。そして株式会社はてなは、その出来事から1つのひらめきを得た。伊藤直也はまんこに向かって猛進する。それは即ち、男はまんこに向かって猛進するという事実を意味する。それに気がついた株式会社はてなの行動は、まるでまんこに向かって突き進む伊藤直也と同じくらいに迅速であった。伊藤直也を参考にして、株式会社はてなは大まんこ大作戦に打って出る。これが世に有名な、株式会社はてなのまんこタクティクスである。
100人の男性ユーザーを増やすよりも、1つのまんこを増やした方が価値がある。何故ならば、男はまんこに集まるが故に、1つのまんこは1000人の男性ユーザーを引き寄せるからだ。それに気がついたはてなは女性ユーザー増加の為に、ありとあらゆる手を尽くす。
そしてはてなという空間は、まんこタクティクスを選択するに値する空間だった。はてなというソーシャルネットワーク空間は、簡単にまんこをゲットする為の有名さを選られる空間だったし、簡単にまんこと絡める空間であり、そして尚且つ簡単にまんこできる空間だったからである。まんこがはてブでコメントをしたら、すかさずスターをつける。まんこがはてなでブログを書けば、すかさずはてなブックマークする。もちろん、まんこに必死だという事を悟られないように、まんこ以外にも頑張って絡む。全てはまんこの為である。労力を惜しんでは居られない。それに直接まんこに絡まずとも、有名さを回し合うという重要な意味合いもある。まんこは有名なものに集まる。それは人の習性であり、まんこも人の一部であるから、即ちまんこの習性なのだ。
株式会社が莫大な広告費を投じて集めた女性ユーザーというただのまんこは、まんこに飢えた男達にとって、ライオンの群れに投げ入れられた張成沢のようなものだった!男達はまんこに飛びついた。猛烈な勢いで飛びついた。そしてはてなは歓喜した。まんこを集めればユーザーは喜ぶ。まんこを集めればユーザーは増える。まんこを集めればスターが売れる。そしてはてなはさらに進む。まんこを。もっとまんこを。はてなユーザーがはてなでまんこを探すよりも熱心に、真剣に、株式会社はてなはまんこを求めて探し続けた。一つでも多くのまんこを集める為にデザインを変更し、ウェブサイトを根幹から作り替え、まんこを集められないサービスを片っ端から廃止し、目を付けたまんこを公式で拾い上げて優遇する大まんこ優遇政策をも推し進め、まんこを保護し、まんこを育て、はてなこそがインターネットの世界における最大のまんこサンクチュアリであるとアピールするに打って出たのである。はてなは21世紀のインターネットの裏寂れたまんこ路地のまんこ奥の大まんこ大帝国を目指し、今日この瞬間もなお、まんこを続けて邁進しているのである。そこに目を付けたのがまんこ分配業を目論むnetcraftである。
netcraftは、はてなでまんこ大作戦を目指し、はてな周辺で有名なものについて無理から絡み続け書き続け、有名なものについて喋っているだけで有名になれるというインターネットの特性を最大限に活かす為に、はてな周辺で有名なものについて絡み続けて有名になり、そして有名である事を活かして有名さを回し合い、有名であるというだけの理由でさらに有名になるという、まんこ分配業への最短の近道を猛進し続けた。なぜそんな事をし続けたのか。それはまんこの為である。全てはまんこの為である。我が国で一番の高額納税者がまんこ分配業であることからもわかるように、まんこ分配業は非常に利益がおおきい商売である。ありとあらゆるアフィリエイトよりも、まんこ分配業の方が実入りが良い。そして、我が国最大のまんこ分配業者である秋元康がまんこ分配業を営む中で自分専用のまんこを手に入れたのと同じように、はてなでまんこ分配業を行うということは、自分専用のまんこを手に入れる素晴らしい最短の近道なのだ。netcraftは現実的即ち金銭的な利益を得る為に、そして自分専用のまんこを手に入れる為に、はてなでまんこ分配業をもくろみ、その目標の為に突き進んだ。そしてその一里塚こそがはてなオフ会という偽りの看板で告知されたまんこ分配イベントなのだ。それはちょうど遠い昔に、タケルンバ郷や天野仁史がはてなでやったのとまったく同じ、「もしかしてまんこ出来るんじゃないか」というメッセージを潜在意識に送り混む為のまんこ分配業の鍵となるイベントなのである。
まんこを分配された男は、いやたとえまんこを分配されずとも、「もしかしてまんこ出来るんじゃないか」を分配された男は、「あの人は俺のような冴えない男にもまんこを分配してくれた」という理由だけでnetcraftを崇めるようになる。それは人々がまんこで結ばれた強い絆の形であり、強い信仰の形である。壺を売らない文鮮明、コードを書かない柴田淳、サリンをまかない麻原彰晃。それがnetcraftなのであり、天野仁史であり、タケルンバ郷なのだ。
かつてまんこ分配業というのは、大変な商売だった。
徳川家康はまんこ分配業を営んでその支配体制を強固なものとしたが、長い苦難の時を経て家康がまんこ分配業を営めるようになったのは、幾度もの死線をかいくぐり、滅亡の危機を乗り越えて、相次ぐ困難な状況を巧みな外交手腕で乗り切った末に、秀吉が死してやっと初めてのまんこ分配であり、まんこ分配業である。秀吉はまんこ分配業による有名人同士の繋がりを恐れ、大名同士の婚姻を禁止していた。そればかりか、大名の家臣が他の大名の家臣と結婚することまでも、許可制にして自らの手に収めていた。まんこ分配業の独占である。その秀吉の死によって豊臣家によるまんこ分配業の独占は崩れ、家康は正宗にまんこを分配し、公家にもまんこを送り込み、大名とも朝廷とも繋がりを強め、遂には豊臣家を滅ぼすに至るのである。もちろん家康自らも、まんこによる繋がりを恐れ、武家諸法度によって1万石以上の武士同士の結婚を禁止し許可制にしたのである。そのまんこ分配業の独占によって徳川の世は300年もの長きにわたり続いてゆく事になる。
けれども現代に秀吉は居ない。
もちろん現代に家康は居ない。
まんこ分配業を禁止する関白は居ない。
まんこ分配業を禁止する将軍も居ない。
まんこを集め、分配する。
そうやって繋がりを作る。
読者を取り巻き化する。
取り巻きを家臣化する。
人脈を作る。
コネを作る。
弱味を握る。
それを利用して仕事を得る。
金を儲ける。
飯を食う。
もちろん自身も、
まんこにありつく。
まんこ分配業である。
あの頃、まんこを集めるのは大変だった。
幾人もの人を殺し、幾人もの人に命を狙われながら、人心を掌握し、広大な領土を治め、その支配地域を鉄と血によって広げ、血塗られた闘争を繰り返し、立身出世のその果てに、やっとのことで辿り着き、臣下に適当なまんこをあてがう、まんこ分配業を開業する事が出来た。金でまんこを集めればいいじゃないかというご指摘は、ある部分においては正解である。けれども、金で集める事の出来るまんこは、誰もが金で手に入れる事が出来る。男が欲し求めるのは、プレミアのついた、金では手に入らないまんこである。金で手に入るまんこならば、直接まんこに金を渡して買ってしまえば済む話なのだ。まんこ分配業に必要なまんこというのは、簡単に金で買うことの出来ない、なるべく新鮮な、野生のまんこでなければならない。そしてインターネットが存在しなかった時代において、野生のまんこを集めるというのは、簡単にできる事ではなかった。
けれども今は違う。
今はインターネットである。
有名になるのは簡単だ。
有名であるというだけの理由で簡単にまんこは集まる。
野生のまんこが多数生息する空間で有名になりさえすれば、野生のまんこは簡単に集まる。濡れ手に粟を突っ込むように、まんこを簡単に集められる。そして、株式会社はてなという企業は「男性ユーザーを集めるために、まず、まんこを集める」という成長戦略を選択している会社である。当然そこにはまんこが居る。大勢の野生のまんこが居る。はてなが投じた技術は、はてなが投じた労力は、はてなが投じた広告費は、全てがまんこに通じているのだ。株式会社はてなにとって、女とは人ではなくまんこでしかなく、まんことは男性ユーザーを集めるための生き餌でしかない。故に現代のはてなには多数の野生のまんこが生息しており、尚且つはてなという空間は、そうして集めたまんこの効果を最大限に発揮出来るように、まんこに飢えた男に最適化されたウェブスペースである。即ち、誰もが簡単に有名になり、簡単に「まんこ出来るんじゃないか」と思えてしまう空間なのである。まんこ分配業には最適な環境であり、最高の環境。まんこ分配業にもってこいの場所なのだ。
もちろん、こんな事は世界中どこにでもありふれていることだ
いや、広い世界を探さなくても、歴史のページを遡らなくても、狭いはてなの短い歴史においても、同じ事をやった人間は過去に何人も居たのである。はてなで大まんこ大作戦をして、まんこ分配業を営んだ人間がnetcraft以前にも居たのである。それは皆様ご存じのタケルンバ郷である。タケルンバ郷ははてなでダイアリーを書き、ちょうどnetcraftがやったのと全く同じように、はてな周辺で有名なことについて書き続け、ちょうどnetcraftがやったのと同じように自らのブログのエントリーについたはてなブックマーク上のコメントに対して、はてなブックマーク上でコメントを返し、さらにはてなで有名になっている話題について言及し続け、はてなの有名人と絡み続ける事で有名になり、株式会社はてな社内の人間とも絡み、十分に有名になった頃合いを見計らって「はてなオフ会」なるものを企画して食事オフ飲みオフを開催した。もちろんその正体は、まんこ分配業者によるまんこ分配イベントである。タケルンバ郷のまんこ分配業は大成功に終わり、タケルンバ郷によってまんこにありついた連中はまるで、タケルンバ郷をとても素敵な面白くて素晴らしい人物であるかのようにに持ち上げてさらに有名にし、タケルンバ郷によってまんこにありついた取り巻き達はまるで、タケルンバ郷の手下のように振る舞うようになり、はてな村という空間を乗っ取り、はてなブックマークという空間を席捲していった。まんこにありついたのは取り巻きだけではなく、タケルンバ郷自身も4人のはてなダイアラーを含む6人以上のまんこを獲得し、その中でも最も若くて締まりの良いまんこと結婚し、用済みになったまんこは取り巻き共にお下がりとして分配された。もちろん全員が分配されたわけではなく、タケルンバ郷のお気に入りとして保持され続けたまんこや、タケルンバ郷のおかしさに気がついて離脱した懸命なまんこも居たには居たのだが(いや、果たしてタケルンバ郷が有名であるというだけの理由で抱かれちゃってるまんこを懸命と書いて良いものかどうかは甚だ疑問ではあるのだが)。取り巻きに分配されたまんこを取り巻きと共に結婚式に招待したというのもまた、今では有名な話である。
その、まんこ分配業で大成功して自らのブログの商業化にも成功したはてなでまんこ分配業の先駆者と言ってよいタケルンバ郷がどのようにしてはてなから消えてしまったかというと、タケルンバ郷は酒に酔ってまんこ分配業についてあれこれほのめかしながらそのうまみを書き散らし、あっという間に削除されてしまったあの有名なはてなダイアリーの投稿において、「はてなダイアリーに投稿する為にタイピングするという行為は俺にとってタイで買った少女の膣壁を亀頭で擦るのと同じだ」という例の失言が混じった件の長いエントリーをインターネットに投稿してしまうのである。それにreikonが[これはひどい]タグをつけた上で、「最低だ」とコメントしたのを最後にreikonは、いや株式会社はてなは、はてなユーザーとブックマーク上でコミニケーションを取る事を、ほぼ完全にやめてしまったのである。netcraftが「株式会社はてなが、はてなオフ会に絡んでこないのは何故だ!」などと息巻いていたが、あの頃を見ていた僕等にとってそれは当たり前の事であり、タケルンバ郷というまんこ分配業屋の洗礼を経ている現代のはてなが、まんこ分配業を開業する人間に対して非常に慎重なのは当然のことなのである。
「はてなにダイアリーを投稿する為にタイピングするという行為は俺にとってタイで買った少女の膣壁を亀頭で擦るのと同じだ」というタケルンバ郷の発言はなにも、タケルンバ郷に限ったものではない。はてなの内外を問わずまんこ分配業はインターネットの様々な場所で商売をしている。様々な悪事を働いてニコ生から永久BANされたものの、ドワンゴの担当にまんこを分配する事によってBANを解除されて公式イベントにも招待されるようになった石川典行や、netcraftと同じようにまんこ分配業を営んで得た取り巻き達から収入を得る手段を確立してはてなを去って行った立花岳志。大日本ビール党というまんこ分配イベントで取り巻きを家臣化してまんこと仕事を得ていった山本一郎。タケルンバ郷とは少し違うジャンルながら全く同じようにはてなでまんこ分配業を営み、十二分に自らがまんこし尽くしたあとで「はてなは最悪の場所」「はてなを選んだのは失敗だった」「行遅れた不細工しか居ない」といった発言をtwitterで連投した挙げ句、「俺がハッカーになろうと志したのはヒモになるため」「金もってる女は、水商売と医者とハッカーだけ」「医者のヒモになるために医者になるってのは無理そうだからハッカーになった」などと発言して袋だたきにあってしまい、はてなダイアリーの更新とはてなブックマークでの活動をやめてしまった天野仁史。早稲田大学のレイプサークル、スーパーフリーの和田と同じように取り巻きのまんこを手下に使い、netcraftと同じようにはてなオフ会をしてまんこを漁った前野ウルド浩太郎。はてなブックマークで他人を口汚く罵り続ける事でまんこ分配業を開業したactivecute、あるいはtwitterに「起たなくなった」と書き込んだその日を最後にネット上から完全に姿を消してしまったid:lovelovedogこと愛・蔵太など、netcrafftのような類型の人間は既にはてなの中に何度も現れ、そして消えていったのである。
もちろん皆様ご存じのように、ネット上のコミュニティというの85%の人間が1年で入れ替わってしまう新陳代謝の激しい場所である。もちろん、はてなにしても同じである。書いている人は同じでも、見ている人は入れ替わる。見ているまんこも入れ替わる。故に、はてなでは同じ光景が何度も何度も繰り返されてきた。はてなブックマークという酷いウェブサイトが存在する、はてなという空間は、インターネット上の他のどこよりも簡単に、有名になれてしまう空間である。そして有名であると言うだけの理由でまんこは簡単に集められる。そうして集まったまんこを、まんこに飢えた男達に分配することで取り巻きを臣従させ、その人脈でウェブ上の仕事を、あるいはウェブ上に止まらない仕事を得たり、そうして得た家臣によって自らをさらに有名にさせて稼いでいく。それがまんこ分配業であり、現代のまんこ分配業は、気楽でおいしい稼業なのである。