2015年8月23日日曜日

「甘え」という格ゲー用語が嫌いすぎて吐きそう。

格闘ゲームには、「甘え」という言葉がある。ここ10年間、ビデオゲームとしての格闘ゲームは一般大衆に全く浸透していない一方で、ウメハラ等による影響で動画としての格ゲーは一般大衆に行き渡った。そこで問題になるのが、格ゲーを見るコストだ。



格ゲーを見ても、一般人の目にはどういう意図があってどういう行動をしているのかはわからないし、どのようなコマンド入力をしているか、あるいはどのような技を出しているのかすらもわからない。そういった一般大衆にとって、格ゲー動画を見る際に必要なコストはべらぼうに高い。ゲーム機を買って、ソフトを買って、格ゲーにしか使えないコントローラーを買って、コマンドを練習して、コンボを覚えて、ネット対戦で初心者狩りにあって、そこを通過して200時間~300時間費やしてやっと、「ああ、この動画のこの局面はこういうことなのかな」という事がわかるようになる。そんな馬鹿高いコストを真面目に支払おうとする人間は精々全体の、1パーセント程度だろう。残りの99パーセントは、どのようにして格ゲー動画を見ればいいのか。そこを突き詰めると、方法は2つしかない。



1,誰かや何かを手放しで賞賛する。
2,誰かや何かを嘲る。

一般大衆にとっての格ゲー動画とは、この何れかである。




もはや皆様ご存じのように、誰かや何かを賞賛するという行為は、自らの感受性を賞賛することに他ならず、それはとても気持ちいい。誰かや何かを賞賛することは、言うならば他人という道具を用いて自分を自分で慰める行為に他ならない。彼らにとって、いや私達にとって、格ゲーとはその為の道具である。世の中の全てのEntertainmentは、その為の道具であるからして、それはとても自然な事である。




しかし、誰かや何かを手放しで賞賛する行為には、裏がある。誰かや何かを手放しで賞賛してそれにのめり込み、一種の崇拝をしている間は幸せなのだけれど、格闘ゲームという世界には勝ち負けが存在する。そして、格闘ゲームは勝ち負けの世界である。賞賛し、崇拝していた人は簡単に負ける。すると、どうだろうか。すると、つまらない。

自分が賞賛していた人が負けると不機嫌になり、「1,誰かや何かを手放しで賞賛する。」の側に居た人は「誰かや何かを嘲る。」の側に行く。そこで言う「誰か」とは、ゲームバランスの悪さを利用した糞キャラクターを使用して、自分が手放しで賞賛していた人を倒したプレイヤーであり、そこで言う「何か」とは、自分が手放しで賞賛していたプレイヤーが負けるに至ったゲームのバランスである。




かくして、格闘ゲームをプレイするというコストを支払えない99パーセントの人達は、皆が皆、「1,誰かや何かを手放しで賞賛する」から格闘ゲームを見る事を初めて、決して格闘ゲームをプレイする事のないままで、「2,誰かや何かを嘲る」へと、インターネットを駆け抜けていく。

そこに登場するのが甘えという言葉である。




格闘ゲームにおける甘えとは、相手が対応に失敗すれば有利になるという選択肢である。相手に向かって前ジャンプをする事は、対空技で落とされれば損をするが、相手が対空を出し損ねれば有利になる。得をする。「甘えた前跳びを対空で落とされる奴www」といった風にして使われる。リスクを伴う行動を選択したプレイヤーを「甘え」という言葉を用いて小馬鹿にし、嘲るのが現代のインターネットなのである。

言うまでも無く、どのような対人ゲームも一切のリスク無しにプレイする事は不可能であり、甘えという言葉は現代日本のビデオゲーム動画やリプレイを取り巻く環境において、ただただ有害なものなのであり、誰かを見下し、誰かを馬鹿にし、誰かを嘲る為にだけ用いられている言葉なのである。














というところで、「あなた甘えって言葉使ってたよね」という話になると思うんだけれど、それはもう完全にKIとかひげが悪くて、あの人達は毎分毎秒の勢いで甘え甘え言って相手を煽っていた。彼らがその言葉を使う事が可能だったのは、彼らと対象者の間に一定以上の信頼関係が構築されており、その極めて内輪なノリとしての相手を煽る行為で有り、相手を小馬鹿にする行為だったからである。さらには全盛期のKIともなると、彼の言う「甘え」という言葉は本当に甘えで、ガーキャンや反撃や無敵技を含めた甘えた行動をせずに一生ガードし続けて、相手が投げに来たタイミングで投げ返して勝てばいい、みたいな事を実際にやっていたので、それが実際に出来るかというと出来ないにせよ、KIの言う甘えという言葉は身内の空気の中での馴れ合い煽りコミュニケーション以上の意味を持っていたように思う。

そんなわけで、自分の動画を見ているとKIの影響で甘えという言葉を使ってしまっている事にはもう2年以上前に気がついていた。あれだけ中野trf動画を見続けてきた身分としては、ふいに口をついて出てしまう事を止めるのは不可能だと思ったので、対処方として、「そのblinkはeulで対処されてしまうちょっと甘えた、かと、甘えたんじゃないかと、xiao8は言っているうううううう。仰るとおりその通りxiao8大先生の言うことは常に正しいキャプテンxiao8!」という風に言い回して収めれば、「部外者が」「プレイヤーを」「小馬鹿にする為に用いる」「甘えという言葉」という「格闘ゲームにおける甘えという言葉」の構図は崩れて、xiao8が言っているんだから仕方が無いという雰囲気に出来るという事がわかったので、そうするようにとのメモ書きが残ってるし、実際そうして「格闘ゲームにおける甘えという言葉」を回避した事もあった。






話を戻すと、iceiceiceやLuoさんがroshan前でcogを置く度に丁寧なプレイに好感が持てますとまるで機械的に繰り返し続けてきたという事と、1分間に1回は誰もが巨大なミスをするゲームという話をし続けてきた事に、甘えという言葉で平気な顔して絡んでくるような人間が存在するインターネットは今日も有害だと思いました。